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【考察】これって悪いこと?

初めに言います。
ここでは、問題提起と考察過程のみを扱い、
僕の中の結論は敢えて述べません。

1. 第一問。

ここは駅のホーム。
そこには目の前に立っている人と
自分しかいない。
まもなく電車が来るというアナウンスが聞こえてくる。
列車の先頭車両がどんどん近づく中、
目の前に立っていた人が
線路へ転落したのが見えた。

この場面で、なにも出来ずに
見殺しにしてしまったら、
これは悪いことでしょうか。

2. 第二問。

ここは砂漠。
自分の水筒には、次の町に着くまでに
必要な最小限の水しか入っていない。
少しでもこの水を失えば、
自分は生きて隣町へは辿り着けない。
そんな中、砂漠をさまよう旅人に出会った。
その旅人は「もう何日も水を飲んでいない。
死にそうだ。水をくれ。」と言ってきた。

この場面で、
自分が水を分け与えないことは
悪いことでしょうか。

3. 考察

これら二つの問題は、よく似ています。
ここで論点となる部分は、
他人を救えるのに救わないことは悪か。
相手より自分を優先するのは悪か。

という問題だと思います。

僕は直感的に、
他人を助けることはだと思っています。
従って、線路で人を助けることはだし、
砂漠で水を与えることもだと考えます。

そして、善と悪は対極にあります。
仏教でも「生き物を殺さない」ことは善。
「生き物を殺す」ことは悪です。

しかし、自分が死ぬかもしれない中、
線路で人を助けなかった人は悪人でしょうか。

自分が死ぬかもしれない中、
砂漠で水を与えずに自分だけ生き延びた人は
悪人でしょうか。

いずれにしても、
これを悪かどうか決めるのは、
本来ならば自己信仰の絶対者です。

しかし、今の日本では世論な気がします。

ここで、世論と倫理観について少し、
考察を加えます。

上の問いについて、
「悪人でもないし、善人でもない」
とも考えられますが、それは極めて危険な発想と言えます。人間は都合の良い解釈に頼る性質があるので、善悪という思想の意義が無価値化すると思います。

4. 世論と政府

最近では、SNSによって他人の意見と比較する環境が一般的なため、均一的な世論が形成されることが増えている気がします。
(少数派の意見が発信しにくい環境なだけかもしれませんが)

一方、少し前まで、世論を操っていたのは政府やメディアでした。
政府の価値観世論の価値観に反映されやすい世の中だったということでもあります。

少し、政府の価値観についても触れてみようと思います。そこで注目されるのが表彰勲章です。

とりわけ、首相官邸では人命救助に尽力した人たちに対して、「人命救助内閣総理大臣感謝状」を授与しています。

その折、安倍前総理は挨拶でこのように言いました。

人命救助に関する感謝状の授与に当たり、一言御挨拶申し上げます。まず、本日、受賞された皆さんに、心から、感謝を申し上げたいと思います。
 皆さんは、偶然、遭遇された事故現場で、自らも命を落とすかもしれない危険を顧みず、貴重な人命を救助していただきました。
こうした現場に遭遇した際、咄嗟の判断で行動を起こすことは、実際には、なかなかできることではありません。
 皆さんの勇気と行動力に、内閣総理大臣として、心から敬意を表します。私たちの社会は、皆さんのような、他者を思いやる、勇気ある人々によって支えられている。
皆さんを前に、そのことを改めて認識しているところであります。

僕としても、遭遇した事故現場で、
自らも命を落とすかもしれない危険を顧みず、人命を救助することは尊く
人道的な行動だと感じています。
しかし、別問題として、
政府が「自分の命を顧みずに人命救助すること」を表彰すべきなのか
という議論が、盛んな現実があります。

政府が「自分の命を顧みずに他人を助ける行動」を表彰することは、
国民の中でその行動をと認識する世論が
形成されうるということです。

そのような世論が形成された場合の社会の縮図は次の二つです。

・自分の命を投げ出して他人を助けることを称賛する社会
・助けにいかなければ「人を見捨てるような、非常で自己中心的な人間」だと叩かれる社会

果たしてこれは健全でしょうか。

こんなことを言っておいてなんですが、
僕としてはこのような表彰を行うこと自体には
賛成の立場です。
なぜなら、単純に、それは人から称賛されるべき尊い行動だと思うからです。
しかし、表彰するためには必要な土台(政府の表彰を必ずしも善として受け取ってしまわないような、各々の独自的な倫理観)が必要不可欠です。
今そのような土台は出来ていないと思います。

何を善とする何を悪とするかについて、
多くの人が無関心である現状からは、
世論感情論によって揺れ動く不安定な社会しか生まれないと思います。

少し前からというか今も、このような問題に対して、多くの場合で僕は考えるのを辞めています。
答えがないし、自分に都合が悪い問題だらけだからです。

しかし、このような問題の答えから目を背け、考えないことは、恐ろしいことなのかもしれないと感じます。

SNSでの誹謗中傷も根本は、自分たちに善悪の価値観がないからなのか。そんなことも思います。

いずれにしても難しい問題です。
皆さんはどのように回答するでしょうか。

5. 倫理の正解

これからの時代、これらの解答を明確に求めなければならない時代がやってくると僕は思います。

なぜなら、人間は人工知能倫理の正解
教えなければならないからです。

人工知能に対して
「これは良いこと。これは悪いこと」
という基準を教えなければ、
人工知能の力は十分に発揮されません。

例えば、人工知能による自動車運転。

人工知能の運転であっても、
衝突が避けられない状況に遭遇することを
想定しなければならないのです。

トロッコ問題のような場面に差し掛かったら、
人工知能をどのように判断させるべきなのか。

つまりは、三人を轢く、一人を轢くを選択しなければならない状況に陥ったら、人工知能にどのように判断させるべきなのかを人間が提示しなければならないのです。

それは、人工知能の製作者が選択できる現状にあると言えますが、我々とも密接に関わる問題です。

「一人を轢くか」「三人を轢くか」
人工知能が「一人を轢き、三人を生きさせる」を選び、自分の家族がその「一人」に選ばれたら、どうでしょう。

おそらく、感情に流され、善悪の問題について客観的に判断することはできなくなると思います。

感情に乗っ取られる前のフラットな状態で、倫理を考えるという行動こそが、現状とても求められていると思います。

最後に問題です。

私は砂漠で無限の水を持っている。
そんな中、砂漠をさまよう旅人に出会った。
その旅人は「もう何日も水を飲んでいない。
死にそうだ。水をくれ。」と言ってきた。

さて。水をあげないのは悪でしょうか。



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