【考察】小学生の自分に「今、幸せ?」って訊かれたらなんて答えますか?
住野よるさんの『また、同じ夢を見ていた』を読んだ。(以下、めっちゃネタバレを含む)
なんだか、感じるものが多すぎて「良かった」「面白かった」という淡白な感想では申し訳ない気がする。
最近の僕は、映画や小説で泣くことは滅多になかったのだが、この本を読んでいくと、勝手に涙が目を覆った。
この小説を読んで考えた。
・自分にとっての幸せはなにか。
・人生とはどのようなものなのか。
1、幸せとは
幸せとは何ですか?と聞かれたとしたら、小学生の頃の僕は「分かりませーん(そんなことよりポケモンやりたい)」と答えることだろう。
また、今の僕が聞かれても「なんだろね〜」が回答な気がする。
僕にとっての幸せは、「自分が幸せだと感じていれば幸せ」であり、言語化する必要はないと思ってる節があるのだ。
一方、『また、同じ夢を見ていた』では、主人公が小学4年生であり、「幸せとはなにかを考えてきなさい」という学校から出された宿題を考えていくストーリーとなっている。
手首に傷のある高校生「南さん」
カッコいい大人の社会人「アバズレさん」
一人暮らしの老婆「おばあちゃん」
主人公は、ひょんなことから出会ったこの三人の女性に「幸せとはなにか」を訊いていく。
その三人が未来の自分なのを知らずに。
そう、主人公と「南さん」「アバズレさん」「おばあちゃん」は全て同一人物なのである。
それぞれが異なるパラレルワールドの存在という設定だ。
その中で、未来の主人公の幸せとは以下のようなものだった。
・「幸せとは、自分がここにいていいって認めてもらえること」
(両親と喧嘩したまま、両親を亡くした未来、「南さん」の思い)
・「幸せとは、誰かのことを真剣に考えられるということ」
(同級生たちから無視され、他人との関わりを断ち切ってしまった未来、「アバズレさん」の言葉)
・「幸せとは、今私が幸せだって言えること」
(ある友人に謝れずに、いつまでも隣にいることが出来なかった未来、「おばあちゃん」の言葉)
このような価値観を受けた主人公は、最終的にこう考えるようになった。
・幸せとは、自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり、大切な人を大切にしたり、自分のことを大事にしたり、そういった行動や言葉を、自分の意思で選べること。
つまり、人生に存在する無限の可能性を、誰に強いられるのでもなく、自分の意思で選んでいけること。掴み取っていくもの。
それが幸せなのだと主人公は考えた訳だ。
こうしてみると、それぞれ行き着く幸せの形が異なっていることが印象的に思う。
僕にとって幸せはなんなのか、
改めて考えさせられた。
それはとりあえず内緒である。
しかし、「今、幸せ?」と小学生の時の自分に訊かれたとしたら、「お前より圧倒的に幸せやで」と言ってやろうと思う。
また、「あなたの幸せは何なの?」と訊かれたとしたら、「こうやって生きて、いろんな体験をできることだよ」とでも答えると思う。
これを読んでるあなたはどうだろうか。
「幸せですか?」
「あなたにとって幸せはなんですか?」
と問われたらなんて答えるだろうか。
2、人生とは
・「人生とは、自分で書いた物語だ。
推敲と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる」(by南さん)
・「人生とはプリンと一緒だ。
人生には苦いところがあるかもしれない。
でも、その器には甘い幸せな時間がいっぱい詰まってる。人は、その部分を味わうために生きてるんだ」(byアバズレさん)
この主人公は「人生とは〜だ」が口癖らしい。
人生を何かに例える模写が多く出てくる。
そんな中、僕が一番印象に残ったのが、この例えである。
・人生とはオセロみたいなものですね。
たった一枚の白で、私の黒い気持ちは一気に裏返るのよ。
僕が黒の駒に支配された時代を振り返ると、やはり、大学一年の時の部活が浮かぶ。
数ヶ月辛い環境が続き、オセロに例えると、僕の盤面は黒ばかりだったと思う。
しかし、一人の先輩との出会いがきっかけで、環境はみるみる変わった。
今振り返って見れば、あの先輩こそが白の一手だったのだと思う。
黒ばかりの盤面は本当に辛いし、いろいろな負の感情が浮かぶ。
しかし、どんなに盤面が真っ黒でも、過去の白に気づき、一つの白を置くことが叶えば、全ての黒の駒は、白になりうるのだと思う。
真っ黒な盤面であればある程、一気にひっくり返った時は気持ちが良いし、周りもびっくりすることだろう。
ちなみに黒が白になるとは、過去の出来事が無かったことになるというわけではない。
盤面が白に変わることで、黒の思い出を見る目に余裕ができるということである。
ここには留意が必要だろう。
一方、「おばあちゃん」はこのように言う。
「もう何もいらない。私のオセロの最後のマスには、なっちゃん(小四の主人公)っていう幸せが置かれた」
「人生とは、道じゃなくてオセロ?」
おばあちゃんは、首を横に振りました。
「いいや、違うさ」
これを読んだ時、「おおオセロは違うんか」となった。
ならば、おばあちゃんの言う人生とはどのようなものなのか。
いいかい、人生とは。
全て、希望に輝く今のあなたのものよ。
…さぁ、どういう意味だろうか。
ここで、「私にとって人生とは〜のようなもの」というパターンをいきなり覆してきた。
希望に輝くあなたのもの。。
僕は、ここの場面は今までとは違い、お婆ちゃんが主人公にアドバイスしたものだと思った。
(おばあちゃんはもうそんなに「希望に輝」いてないでしょ、という推察も含めて。)
つまりは、希望を持つ主人公と読者に向けたメッセージと考えられる。
「人生とはあなたのもの」
つまり、自由なのである。
加えて、思い出してみると、主人公にとっての幸せとは、「行動や言葉を、自分の意思で選べること」だった。
つまり、言葉や行動を自分で選べる人生というものは幸せなのだ、ということなのだろう。
(アラジンのジーニーの夢も、ランプから出て自由になることだったし)
当たり前すぎて盲目的なところだが、大切にしたいことだと僕自身思った。
ついでに、人生の意味とは何か。という問題を考えると、これも自分で選ぶものだと思う。
そもそも、人生は自分の意思で始めたものではないのだ。よって、生きる意味を持って生まれた訳ではないのである。
つまり、人間は自分で人生の意味・理由をつけられる。自由にだ。
これは、割と幸せなことなのではないかと僕はちょっと考えている次第である。
近所の犬や庭にやってくる野良猫も、子孫繁栄のために生きている訳ではなく、その自由な生活を楽しむために生きているように僕には見えるのだ。
ちなみに、23歳の僕が今、パッと思いついた人生の見方とは、「人生とは、授かったご褒美の時間」ということだ。
臭くなりそうだから説明はしない。
いずれにしても、みなさんは人生はどのようなものだと考えるだろうか。
プリンだろうか。オセロだろうか。
僕としては、
嫌なことなんて数えればきりがないけど、
でも、それよりもっと多く、
数えきれない楽しいことや
嬉しいことがある人生だったな。
と振り返って言える生涯を歩みたいと思う。
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