ムツゴロウ

更新頻度は不定期です。

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最近の記事

有名人の死から考えること

先日アルゼンチンサッカー界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナさんが心臓発作のため亡くなられた。 幼い頃からサッカーをしていた(現役世代を知っているわけではないけど)からかなり衝撃的だった。 この映像を見る限り、マラドーナさんの死を惜しみ、たくさんの人達が悲しみに暮れて涙を流している。 このような人達がたくさんいるということは、それだけ彼が愛されていたという証拠であると思うし、本人にとっても「すごい嬉しいことなんだろうなぁ」と感じた。 もちろん本人自身は、もうこの世

    • 飛行機で出会ったベトナム人の話Part3

      大学二年生の夏の時、私は約3週間東南アジアを一人バックパッカー旅をした。 今回はその時に出会ったベトナム人の話Part3。 ↓part1&2 https://note.com/310_ki/n/na60e53af9b25 ==================================== 旅の初日の疲労は半端ではなかった。しかし、死んだように寝た次の日は清々しい気持ちで朝を迎えられた。 目を開けた瞬間いつもの自分の部屋とは全く違うことに気づく。 「そうだ、

      • 飛行機で出会った優しいベトナム人の話Part2

         大学二年生の夏の時。私は約3週間東南アジアを一人バックパッカー旅をした。  今回はその時に出会ったベトナム人の話Part2。  Part1はこちら↓ https://note.com/310_ki/n/n90c77344d8c5 =====================================  市内に向かうといっても、空港からは車で一時間ほど掛かるらしいというのは事前にリサーチ済みで、夜中まで走っているリムジンバスのようなものに乗る計画を立てていた。

        • 飛行機で出会った優しいベトナム人の話

           大学二年生の夏の時、私は約3週間東南アジアを一人バックパッカーで旅をした。  今回はその時に出会ったベトナム人の話。  彼女に出会ったのは旅の初日(19/09/17)。成田空港からタイの空港を乗り継いでベトナムへ向かう飛行機の中だった。  タイの空港からベトナム(ハノイのノイバイ空港)までは二時間足らずで着いてしまう。私が飛行機に乗ってしばらくしてその女性は私の隣にやってきた。  普段の私は電車や飛行機で隣に座る人のことなど気にはしないのだが、その時、隣にいた彼女は

        有名人の死から考えること

          勝ち組負け組って何?

          「勝ち組・負け組」って言葉があるけど、私は昔からあまり好きではない。 よくインターネットのコメント欄や掲示板とかでも 「〇〇な俺or私って勝ち組だわ」「〇〇(職業)とか勝ち組だよね」「自分は負け組になりたくない」のような言葉をよく目にする。 でもその人達に言いたいのは 何を持ってそんなこと言えるのか。どんな物差しや尺度で測って勝ち負けを判断しているのか。ってこと それはお金なのか社会的地位なのかそれとも容姿なのかわからないけど、なんか人と比べて自分のポジションでマウ

          勝ち組負け組って何?

          都会の人は田舎の人より冷たい?

          2年前の夏、僕は高校の友人と2人で、地元の千葉県から岡山県までヒッチハイクで旅をしました。 今回はその時に感じた都会と田舎の違いを話。 この二つの違いを結論から言いますとそれは「僕たちを拾ってくれる車が現れる時間の長さ」です。 皆さんの想像通り、都会では全然捕まらず、逆に田舎では比較的早く車を捕まえることが出来た。 僕たちの場合は、例えば新宿のど真ん中でヒッチハイクをした時は、約3時間待ってやっと捕まえたし、八王子で待った時は確か合計で5.6時間してやっと乗せてくれる

          都会の人は田舎の人より冷たい?

          人間の行為の動機は全て...

          高校生の時、「自分はボランティアとかには興味ない。だってボランティアに参加している人ってただの自己満じゃん。」と言っている人がいた。 そしてある人は「SNSとかをやってる人ってただの自己満じゃん。だから自分はやらない。」 彼らは半分は的を得ていて半分は的外れなことを言っている。 〔的を得ていること〕それはボランティアに参加している人、そしてSNSをやっている人達はみんなそれを自己満足でやっているということ。 〔的外れなこと〕この2人は共通して自己満足を何か悪い行為をし

          人間の行為の動機は全て...

          考える力

          時間の経過と共に科学技術やAIが発達するにあたって、今まで人間が行ってきた多くの仕事とか作業がAIやロボットに置き換わっていく。 そんな急激な変化の中で、最終的に人間に残された力とは何か。 それは考えることだったり想像する力なんじゃないかなと思う。 AIの多くのことを学習する量は人間の脳と比べると桁違いな量です。でもいくらAIが発展したとしても、AIは自分で物事を考えることは出来ない。(もし脳の神経細胞がロボットと同じように再現できようものなら話は別ですが。。) 例え

          出席を取ることについて

          私は、大学において講義の出席を取って、それを評価の基準に入れることに何か違和感を感じています。 私の通っている大学では、全部ではないですが、ほぼすべての講義で出席票みたいなのを提出しなければなりません。自粛宣言が出され、今では前期の講義が原則でオンライン授業になりましたが、それでも講義に出ていたかを確認するため、出席というのは取る方針みたいです。 しかし私個人としての意見は大学において出席は取らなくて良いと思ってます。 なぜ出席を取ろうとするのか。その理由は、例えば「先

          出席を取ることについて

          最近またやりたいことが増えた。

          コロナ自粛でやりたいことができない時期が続く中で、最近またやりたいことが増えた。 それは「私の両親が私と同じくらいの年齢の時、どんな人柄で、どのような性格で、何を考え生きていたのかを両親の周りで生きた人たちにインタビューする」ということ。 どんな失敗をしてきて、どうやってそれを乗り越えていったのかとか。 流石に何を考えて生きたとかは本人しか分からないだろうけど、人柄とか性格はどんなだったか、自分と共通点はあったかとか知りたい。 本人に直接聞けばいいじゃんとか思うかもし

          最近またやりたいことが増えた。

          コロナ禍で思うこと(学校編)

          今covid-19の影響により日本のみならず世界中の国々で学校が休校になっている。 最近(20/5/1)になって日本では「9月入学」の是非が議論されている程。 しかし私がこの状況下で思うことはそんなことではなく、 まず「それよりもっと変えなければならない部分があるのではないか?」ということ。 今、私は自粛のため大学に通えていない大学生の一人なのだが、大学に通っている時と比べても何一つ勉強をする上で困ったことはないし、むしろ楽しいまでさえある。 勉強方法のチャンネルは

          コロナ禍で思うこと(学校編)

          自分は何者でもない

          「自分は何者でもない」 この言葉は自分が浪人時代にどっかで聞いた言葉で、当時想像したことは自分の性格(キャラ)は自分自身で縛らないほうがいいということ。(と解釈してる。) 自分で自分自身をキャラ付けてしまうと、その人の可能性はその範囲内で終わってしまって広がることはない気がする。 自分とは考えが全く異なる人と話した時とか自分がやらなそうなことをやってみたりした時に感じる「へぇ、そうだったんだ面白い!」という思いは自分の新たな視野だったり選択肢が広がっていっているようなイ

          自分は何者でもない

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          私が中学生の時にブログのようなものを一時期書いていたのだけれども ふとしたキッカケでそのブログを見つけ 「当時こんなこと思ってたのかぁ」と まるで別人のブログを見ているような感覚に襲われた。 その感覚が自分にとってはすごい新鮮で、これはおもしろいと思いそしてまた書きたい欲が出てきたので note、はじめます。 ここでは私が日頃生活している中で感じたことや疑問に思ったことを始め、自分の趣味から思考まで幅広いカテゴリーを言語化し、書き残していきたい。

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