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コロナ禍で思うこと(学校編)

今covid-19の影響により日本のみならず世界中の国々で学校が休校になっている。

最近(20/5/1)になって日本では「9月入学」の是非が議論されている程。

しかし私がこの状況下で思うことはそんなことではなく、

まず「それよりもっと変えなければならない部分があるのではないか?」ということ。

今、私は自粛のため大学に通えていない大学生の一人なのだが、大学に通っている時と比べても何一つ勉強をする上で困ったことはないし、むしろ楽しいまでさえある。

勉強方法のチャンネルはここ数十年で大きく変化していて、例えば何か気になったことがあった時には自分で何でもネットや本で調べることができるし、さらには大学の講義をオンライン上で公開している大学さえある。(もちろん語学や対話形式の講義は大学に行って学んだ方が良きと考えてる。)

でも最近のニュースをみると文科省が全国の公立高校に「対面指導なしでは原則、単位として認めない」だとか「原則シラバス通りに授業をこなせと先生に通達」していたりしているらしい。(私立とかは別かもね)

このように考えると教育に関していえば日本は色々な意味でかなり遅れているし変化に適応できてないと思ってる。

例を出すと、日本には最初から学校に行かない(ホームスクーリング)という選択肢はなく強制的に(しかも決められた年齢で)学校に行かなければならないし、学年はほぼすべて統一され「飛び級制度」もないため自分の学びが外からの圧力でコントロールさせられてたりね。

教師に「シラバス通り授業を行わせる」ということについても、シラバス通り進めたい教師はそのまま進めればいいし、逆に教師自身で「こうやればもっと面白くなるんじゃないか」と思っているのであれば、状況によって工夫して教師自身が授業を組み立てられることだって可能になって良いと思う。

そうやって色んな選択肢の中から選べる、そんな多様性に富んだ教育システムの方が今の時代にはよりフィットしているのではないか。

もちろん方針を変えるってことは民主主義国家では大変な時間を要するし、さらに変えることによって新たに問題がほぼ確実に生まれるっちゃ生まれる。

変えたことによってプラスな影響は短期的には現れないかもしれないけれども、長期的にみたら今より絶対良い方向に向かっていくと思うんだけどね。

それをやらないのはただ単にめんどくさいのか。それとも何かのしがらみがあって変えようとしないのか。はたまたただ単に頑固おじさんがいっぱいいるからなのか。

つまるところ言いたいことは「9月入学」という形式的な枠組み(これに関して自分は賛成)を議論する前にもっと変えなくてはならないところがたくさんあるのではないのかということでした。

チャンチャン。

#大学生 #自粛生活 #教育 #九月入学 #今の私にできること