人間の行為の動機は全て...

高校生の時、「自分はボランティアとかには興味ない。だってボランティアに参加している人ってただの自己満じゃん。」と言っている人がいた。

そしてある人は「SNSとかをやってる人ってただの自己満じゃん。だから自分はやらない。」

彼らは半分は的を得ていて半分は的外れなことを言っている。

〔的を得ていること〕それはボランティアに参加している人、そしてSNSをやっている人達はみんなそれを自己満足でやっているということ。
〔的外れなこと〕この2人は共通して自己満足を何か悪い行為をしていて、自分はそうではないかのように考えているということ。

しかし実際には自己満足だから自分はボランティアに参加しないだとか、SNSをやらないっていうこと自体、同じく自己満足であると言えるのではないか?

つまりボランティアに参加しない自分に満足していて、SNSをやらない自分に満足しているということ。

こう考えると、たとえ周りから見て崇高な行為であろうと、酷く言葉を失う下劣な行為であろうとも人間の行う行為の動機は全て「自己満足」であるという結論に至る。

世界中の人達から尊敬されて、その生涯を人のために尽くした偉人達(例えばガンジーやマザーテレサ)が行なっていた恵まれない人民や子供達を助けるという「他者貢献」(マズローの五段階欲求にある自己実現のさらに上の段階である)さえも自己満足の一つとして考えることができるかもしれない。

「自己満足=利己的な行為」は悪い意味で捉われがちだけど、決して悪いことだけではなくて、世界をより良くするためにも必要なことなんじゃないかな。

だから、他人から「自分が自己満足に思われるのが嫌なために、何か行動や発言、表現が出来ない人達」がもしこの世の中にいるのだとしたら、この考え方は、その人の肩の荷を和らげてくれるのではないかなと思う。

「自己満足」VS「社会の規範」

しかし人間が行う全ての行為は「自己満足」だと言っても、もちろん人を殺めたり、人からものを盗んだりということはしてはいけないのであって、「自己満足」にもベクトルというか方向性のようなものがあり、なんでも自分の好きなようにやっていいわけではないことも確かだよね。

この人間社会で生きていくには「自己満足」(ここでは「自分の欲望」と置き換えることができるかも)と「社会の規範」という二つのものに挟まれながら、私達はバランスを取って生きていかなければならない。

バランスを取ると言っても、完璧に中立を保つことは不可能であって

確かに昔は「これはこうしなさい!」だとか「それはそういう決まりだからダメなんだ。」と言われたりすることが現代より比較的多くて「社会の規範」に重きが置かれていたんだと思う。(実際にその時代を生きてないからなんとも言えない部分はあるけども。)

けれど今の世の中を俯瞰すると、例えばYouTubeのCMやでお馴染みの「好きなことで生きていく」みたいな考え方や、最近の自己啓発書などで自分の個性を育てることが一番だという考え方が浸透してきていることを考えると、どちらかというと「自己満足」の方に重きが置かれ始めているような気がする。

「自己満足」に重きを置かれている社会では、人生の選択肢は莫大に増えるけど、その分その「沢山の選択肢の中から選択して、自分自身で自分の未来を切り拓いていく力が必要になってきている」のだと思っている。

だから、そんなような時代がまた迫ってきている中で、自分は大学生という状況に置かれているが(まだというのはおかしいか)、今の内から自分の「戦闘力」を高めていきたいと思っている。

でも年齢や状況なんて関係ない。みなさん一緒に頑張りましょう。

#大学生 #自粛生活 #自己満足 #人間 #他者貢献 #哲学