自分は何者でもない
「自分は何者でもない」
この言葉は自分が浪人時代にどっかで聞いた言葉で、当時想像したことは自分の性格(キャラ)は自分自身で縛らないほうがいいということ。(と解釈してる。)
自分で自分自身をキャラ付けてしまうと、その人の可能性はその範囲内で終わってしまって広がることはない気がする。
自分とは考えが全く異なる人と話した時とか自分がやらなそうなことをやってみたりした時に感じる「へぇ、そうだったんだ面白い!」という思いは自分の新たな視野だったり選択肢が広がっていっているようなイメージ。
もちろん自分の信念や価値観というものは大切にするべきだとは思っている。
でもそれだけに固執するあまり他のものに対しては盲目のような状態に陥ってしまったとしたら、その人の思考はアップデートすることなく、やがて停止して脳は死んでしまったも同然な状態になってしまう気がするんだよね。
だから私は死ぬまでに色んなことに挑戦して、様々なところに行って、たくさんの人と話し、自分が見たことなかった・知らなかったものにできる限り多く触れたいと思ってる。
人間はみんなそんな想いがある中で、それを小さい頃から意識して出来上がっていたのは、人一倍その想いが強かったのかもしれない。
「ノマド」という考え方
この考え方はドゥルーズとガタリという哲学者が書いた本「千のプラトー」で主張されている「ノマド」という生き方に似ている部分があると最近気付いた。
ノマドとは「一箇所に留まることなく、つねに多種多様な価値の領域をリゾーム的かつスキゾ的に横断する生き方」だそう。
正直何いってるかわからないね。笑
簡単にいうと「差異を差異のまま認めて自分の欲望のおもむくままに、その時その時を楽しんで生きる生き方」らしい。そうまるで遊牧民のような生き方だ。
自分が思っていることは何十年も前に一つの哲学として提唱されてるって考えるとなんか面白いね。