「美術家列伝」全訳完成を知っていますか?
ルネサンスの書物
「ルネサンス」と聞いて、「歴史の教科書にあったかな」ぐらいの感覚が多くの人のこの言葉の印象かと思います。とても大雑把に言うと、14世紀頃から始まった西ヨーロッパを中心に起こった「古典復興・再生」を謳った文化のムーブメント。その中心は1500年前後のイタリア フィレンツェと言われています。
そして、この「ルネサンス」という言葉の直接的な起源と言われているのが
ジョルジョ・ヴァザーリの「美術家列伝」(「画家・彫刻家・建築家列伝」)です。
著名な美術家のイメージの元になっている
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと言った有名な画家について、なんとなく持っている私たちのイメージ、その多くの部分が実はこのヴァザーリが書いた「美術家列伝」に書かれていることが元になっている可能性がとても大きいのです。彼は、ルネサンス期の有名な画家たちと同時代を生き、本当に活きた証言として(彼個人の好き嫌いも多分に反映されているようだけれど:だからこそ余計に生々しく感じられる)そこに残されています。そこには作品だけでなく、それぞれのキャラクターが表れているエピソードも書かれ、お金にまつわる事件から恋愛事情まで、当時の生活を垣間見ることもできます。ルネサンス期の芸術作品にまつわるフィクション、ノンフィクションの書物の参考にされることも多く、そこから現在の私たちが持つそれぞれの芸術家へのイメージへとつながっているのです。
彼のこの本から「美術史が始まった」と言われています。
第一版発行は1550年。そのあと、修正や加筆をして第二版が1568年に発行されています。この本は世界各国で翻訳され、先進国で翻訳されていないのは日本だけだと言われていたものです。
そして、ついに日本語全訳版が発行されたのです。
知らなかった…日本語版完成
この「美術家列伝」日本語版完成。よく美術展に足を運ぶ私ですが、まったく知らなかったのです。ある日の朝刊の書物広告で「ヴァザーリ『美術家列伝』全訳記念」という文字を見るまで。
日本語訳は、なんと14年の歳月をかけ昨年2022年12月刊行されていました。
「えー!知らんかった!すぐ言ってよー!」とたぶん声に出したと思います…。
これが「美術家列伝」日本語全訳全6巻。ヴァザーリの原本は3巻なので倍の分量になってます。各伝記の前に解説がしっかり書かれているようです。現物の写真じゃないのが残念なのですが、1冊33,000円×6巻…すみません、すぐに買えません。
でも、なんとか現物を見たい。図書館で借りられるかも?と図書館の蔵書検索をしたら、大阪中央図書館にありました。でも、貸出不可。大きい書店なら置いてるかも?と大阪で一番大きい書店、梅田の紀伊國屋書店へ行きましたが、取り寄せのみ。 私はまだ現物に会えてないのです…。
訳者はボランティア!
しばらく意気消沈してこのことから目を背けていたのですが、「芸術新潮」を読み進めていくと、この本の発行についての大変な苦労と携わった人々の熱い思いを感じてしまったのです。
この「芸術新潮」の64頁から始まる「『美術家列伝』全訳14年 その現場と意義を語る」というところに監修者のお二人の先生の対談が載っています。
・2008年の秋に国立西洋美術館元館長の前川先生から中央公論美術出版の当時の社長に「美術家列伝」の全訳をぜひ出版するべきではないか、という提案から始まったこと
・最初の打ち合わせが2009年3月で最終巻の刊行が2022年12月の足かけ14年の大プロジェクト
・これまで日本でも部分訳したものは発行されていたが全訳がない
・商業的に成立する出版ではないので、学術振興会の助成金を得ることが大前提となり、その条件として訳者の印税はゼロ。
驚きました。監修者に名を連ねておられる先生方はルネサンス期の美術展で講演されるような有名な先生たちです。私もそういうところで、著書にサインを頂いた先生もいらっしゃいます。最終的に翻訳には27人の方が関わっておられるけれど、出版社から調査費的なものが少し補助されただけの全員ボランティアだというのです。
中央公論美術出版は自力で出版しようと考えていたそうですが、1年ほど検討して難しいということになり、助成金の申請に方向転換します。それでも最初の2回は通らなかった。学術振興会の助成金は、基本的には書き下ろしの研究所に出るもので、「これは翻訳ではないか」となってしまい、ただの翻訳ではないということを書き連ねて、ようやく2013年に申請が通ったというのです。
学術振興会には巻ごとに申請するそうで、全部で3回ぐらい落ちているとこの対談で書かれています。
そんな苦労の中で、2014年2月に第1巻が刊行された…。
ほんとにNHKの「プロジェクトX」になりそうなお話です。
それにこの「芸術新潮」は新潮社、「美術家列伝」日本語訳本は中央公論美術出版。これだけの特集、他の出版社の書物のために組めるって、新潮社すごい!!
コマーシャルしちゃいけないの?
その後、何度かに分けて刊行され、全訳が揃ったのが2022年12月。
私はこの10年ほどの間に、ルネサンス時代の画家の美術展に何度も通いましたが、この全訳本の存在、プロジェクトに気づきませんでした。助成金をもらったら、商業ベースで販売しちゃいけないのでしょうか?電車の車内吊り広告とかも見たことないし、もうちょっと宣伝してもいいと思うのですが…。せっかくこれだけ頑張られて出来上がった書物を、美術好きな私のような一般人にも、美術はそれほど興味がない人にも、一度は目に入るようなことはできないのかな…とてももったいない気がします。
商都大阪で生まれ育ち、長年営業事務を仕事にしてきた私なら、この全訳完成記念タイアップの美術展とか考えてしまうけれど…。すでに企画されていたら嬉しいのですが。
後世に伝えられたら…
ヴァザーリの書いた中身は、決してすべて本当のことでもないと言われていますが、その人間味溢れる描写は、美術史だけでなく、伝記としても充分面白く、多くの若い人、中学生や高校生に読んでもらえたらと思います。美術の教科書に出てくる有名な画家が女性を追いかけてたり、感情的になって作品を壊したりというエピソードは、彼らを身近に感じることができるはずです。
日本は美術展に多くの人が訪れる国です。そして、それは海外の美術品を貸し出してもらえる国でもあるということ。各美術館の学芸員の方や企画される関係者、そしてスポンサーになれる企業、それぞれの努力と日本という国家への信頼。東日本大震災後の原発事故で日本全土が汚染されたと思われたときや、コロナ禍で往来がストップしてしまったときを除いて、素晴らしい作品を日本で見ることができ、それは所蔵されている海外の美術館で鑑賞する以上にわかりやすく(もちろん日本語だし)テーマも絞られて、観やすく設定されています。学校から見学に行くこともあると思います。
そんなとき、このヴァザーリの「美術家列伝」が学校の図書室にあったらどんなに世界が広がるでしょう。でもこの価格だと、そんなことはとても無理。まして、百科事典のようなA4版でこの装丁だと貸出しも出来ないでしょう。この日本語全訳第一版が話題になって、多くの人の目に留まり、がんばって購入する(がんばらないと買えないのは私)、そうすると改訂版が出たり、巻数は増えてももう少し扱いやすい単行本サイズが出版され、それが全国の学校の図書館へ置かれるようになる。「画家・彫刻家・建築家列伝」という名前でも呼ばれているこの本を手にした若者が、すばらしい建築家になることもあるかもしれない。そして、多くの人が望めば、もしかしたら全30巻ぐらいの文庫本になるかもしれない…なーんて空想したりしています。
文化の日に。。。
多くの人たちの熱い思いで刊行されたジョルジョ・ヴァザーリ「美術家列伝」日本語全訳本。私はただの美術と歴史好きとして、こんな本が出来たことを多くの人に知ってもらいたいと思いました。
そして、今日、11月3日の文化の日に、こうして文化的なお話ができることに感謝します。世界中の誰もが文化を味わえる状況に早くなりますように…。
余談
せっかくこうしてnoteに書いたんだから、私は今日とりあえず第一巻をこれから買いに行きます!(取り寄せだから今日手に入らないけど…ボーナス払いかしら…笑)
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