大人になってから歩く。
今日は「散歩」というと走ってくるのに、
暑さでバテてると犬も歩かなくなるを知った日。
最寄りのコンビニまで徒歩10分、最寄り駅までは徒歩40分、薬局やスーパーはもう少し遠く。近くにあった八百屋さんは潰れてしまったため、車や自転車がないと生活をするのには不便であったが、田舎にしては住みやすい方であったわたしの実家。
家を出て右に行けば川、左に行けば田んぼ、後ろに行けば畑、前に行けば山。そしてどこに行くにも坂道を越えなければならないというのが当たり前の日常だった。わたしは学生の頃、毎日この坂を越えていた。そう思ったら無性に歩きたくなり、実家の近所で飼われている犬をかりて外に出た。
とりあえず通っていた小学校まで歩いてみることにした。家を出てすぐの坂を登ると横断歩道。毎朝、横断歩道にはメガネをかけた歯抜けのおじいさんが黄色い旗と眩しい蛍光黄緑の帽子を被りながら待っていた。
わたしはその人のことを「じーさん」と呼び、その人はわたしのことを「あーちゃん」と呼ぶ。「おっ!あーちゃんおはよ〜!」と、どんな天気でも、どんなにわたしの機嫌が悪い日にでも、とびきりの笑顔で元気に挨拶をしてくれるのがじーさんだった。
今でも毎日横断歩道に立ちながら、子どもたちの安全を守っているらしい。
じーさんいつも今日もお疲れ様!
「 川には入らないこと 」これは大人たちから言われた約束ごとだった。そんな事を言われたら内緒で計画を立てて、入ってしまうのが子どもだったりする。土手の1番上からダンボール滑りをして、そのまま川に飛び込む遊びをよくやっていました。
夕方のチャイムが鳴っても帰らず遊んでいたら大人に見つかって、集会場で全員横に並んで正座させられたりもしました!笑
橋を渡って坂を下り、今も昔もやっているか分からないボロボロの車屋さんを越えると、幼馴染が住んでいたお家に辿り着いた。わたしはこの家へよく遊びに行っていた。一緒に何かをする訳ではなかったが、幼馴染と同じ空間にいるのが普通みたいな感覚だった。わたしは漫画!むこうはゲーム!みたいな感じで、お互い自由に過ごしていた。
クラスもほとんど違ったし、2人で何かした記憶があまりないけれど... バカなことをすればアホだな〜って笑ったりして、そういう感じがいつも心地よかった。
幼馴染のお母さんは料理上手で、夕御飯はよくご馳走になった。お菓子作りはこのお家で学び、女の子らしいことをさせてもらって嬉しかったのを覚えてる。
仕方なく犬を抱えて歩いていると、田んぼから土の生臭い匂いがしてくる。そのうち畑にある錆びたドラム缶からでる煙の匂いも漂ってきた。この匂いのせいか、田んぼにランドセルを背負ったまま突き落とされたり、お気に入りのキーホルダーを川に捨てられたり、ハードな帰り道を過ごしていたことを思い出し腹が立った。
どこからでも見つかってしまう、隠れる場所もない広々とした土地でやりたい放題やって、つまらない時間を過ごしていたと思う。そんな事を考えて、柴犬小屋がある小さな交番を通り過ぎると自分が通っていた小学校に到着した。
どこにでもある外観をした普通の学校。3階の渡り廊下は6年生の時によくいた場所で、右側の建物は給食室になっている。わたしは給食室の裏口から出てくる、食べ物の匂いのする湯気を浴びながら、名前の付いていない黒い門をくぐって登校していた。
体育館とプールの間はわたしのお気に入りの場所だ。塩素の匂いに包まれながら、日陰になっている体育館裏で休むのがとても好きだった。小学校の敷地内には入ることができなかったため、まわりを散策してから帰った。
小学校のまわりには、算数ノートや体操着を買ったり、中学校にあがる前に制服の採寸をしてもらった衣料品店。夏になると水風船が大量に売られる、同級生の祖父母が経営しているコンビニ。給食で出るパンの製造工場。わたしが通っていたそろばん塾などが今も変わらずあり、うれしい気持ちになった。
子どもの頃に長く感じていた通学路は、大人になってから歩いてみるととても短かった。歩きながら記憶を辿るのが楽しかったせいかもしれないが…この道を大人になってから歩くことができてよかったです。あと、今度は犬じゃなくて人間を連れて行こうと心に誓った!笑
みなさんは大人になってから通学路を歩いたことがありますか?
時間がある時にいつの日かまた、あの道を歩いてみて下さいね。
それでは、また。
もーにんぐ、か
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