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短編小説:思い出のキャンパスにて

 昔の恋人の夢を見た。
 大学生の頃から、社会人一年目まで付き合っていた、ふたつ歳上の人。あの頃のように、楽しくおしゃべりしているだけの夢。

 なんで急にあんな夢を、と思いながら、ベッドから起き上がる。頭がガンガンする。なんとなく気分が悪い。
 テーブルや床に転がる空き缶を見て、麻美あさみはぼんやりと昨日の夜を思い出す。

 昨晩、麻美は大学時代の友人とオンライン飲みをした。
 他愛もない会話のなかで、結婚だとか、恋人だとか、大学時代の思い出だとか、そういう話題が出てきたからあんな夢を見たのだろう。

 恋人は元気なのだろうか。
 当然ながら、別れてから一度も連絡をとっていない。
 大学院で学び続けていた彼をおいて地元に戻り就職した麻美にとって、彼の存在は少しずつ重荷になっていった。彼の「会いたい」に応えられない自分がもどかしくなって一方的に別れを告げてしまった手前、連絡なんてできない。

 本当はまだ好き。

 なんてことはない。

 それでも、一度好きになった人のことを思い出すと、今何をしているのか、元気なのか、少しだけ気になってしまった。

「…何年前の話?」
 そんな自分に呆れ、麻美は思わずつぶやく。

 時計を見ると、まだ朝の8時前。
 頭はまだ少し痛むが、目が覚めてしまった。麻美はさっさとシャワーを浴びると、朝食代わりにコーヒーとビスケットをつまむ。

「この前、仕事で大学の近くまで行ったからついでに寄ってみたんだけど、何にも変わってなかったわ」
 ふと、昨日の友人の話を思い出す。
 そういえば、卒業してから一度も大学の近くには行っていない。スマホのカメラロールを開いて、大学時代の写真を探した。彼の写真はすべて消してしまったけれど、彼と出かけた先の風景の写真は残している。通っていた大学は、秋になると紅葉がとても綺麗だった。授業のあと、彼と一緒に帰りながら撮った写真が残っている。

 懐かしいな。
 時期的には、紅葉はまだだろう。しかし、もう何年も訪れていない大学を見たくなってしまった。きっと、昨日の友人との会話と、彼の夢のせいだろう。
 麻美はちらりと時計を見る。
 時刻はまだ、8時半を少し過ぎたくらい。
 明日も仕事は休み。

 考えるよりも先に、麻美は動いていた。
 仕事の日の朝もこれくらい早く動けたら良いのに、と思うくらいの素早さで着替え、メイクを終え、バッグをつかんで家を出る。
 家から歩いてすぐのところにある駅に着くと、時刻表もろくに見ずに、切符を買って、ちょうどやってきた特急列車に乗り込んだ。
 もともと麻美にはあまり計画性がない。それにしても、これほどまでに衝動的に動いたのは初めてだった。麻美も自分で自分に驚いている。

 列車が動き出して、麻美はようやく冷静になった。そして、自分がしでかしたことに気付く。バッグに入っているのは、財布と、スマホと、ハンカチくらい。
 窓を見ると、移り変わる景色。この列車は、しばらく止まらない。
 もう、あとにはひけない。
 不安な気持ちと、自分に驚く気持ちと、わくわくする気持ち。
 いろんな気持ちが合わさって少し震えている手で、新幹線の時間を調べる。今から大学に着くまで、3時間程度。麻美は、シートに身体を沈める。

 
 それからは、あっという間だったようにも、とてつもなく長い時間だったようにも感じる。
 新幹線に乗り換えて、鈍行に乗り換えて、そこからまたバスに乗る。案外、どれに乗れば良いかよく覚えていた。

 ―私、何やってるんだろうな。―

 バスのシートに身をあずけながら、麻美はぼんやり考えた。
 友人と思い出話をして、何年も連絡をとっていない彼のことを思い出して、ついでに大学のことを思い出して。
 ゼロ、というわけではなかったけれど、仕事が忙しいのもあり、これまで彼のことも大学のことも思い出すことはなかった。それなのに、急に夢に出てきたとたん、この有り様。
 少しずつ、でも確実に大学に近付いていくバスの中で、麻美は大きく深呼吸した。

「次は…、」
 バスのアナウンスが聞こえる。いよいよ次が降りる駅だ。降車ボタンに手を伸ばすが、麻美の前に誰かが押したようだった。そうだ、当然だ。ここで降りる人、主に学生は、多い。
 人の流れに乗りながら、麻美はバスを降りた。
 懐かしいキャンパスが、目の前に広がっている。
「何も変わってない…」
 麻美はつぶやいた。
 友人の言う通り、何も変わっていない。懐かしい景色を見ていると、当時の思い出が次々とよみがえってくる。楽しいものも、嫌なものも。
 さて、これからどうしようか。
 衝動的にここまで来たものの、これから先のことは何も考えていない。
 麻美はとりあえず、自分の通っていた学部がある棟へ向かった。

 ―彼はまだ、ここで学んでいるのだろうか。―

 ふと、考える。
 別れてからは、彼がどういう進路に進んだのか何も知らない。あのまま、この大学で研究を続けているのだろうか。それとも、他の大学に行ったのか、就職したのか。
 何も知らない。

 知らなくて良い。もう別れたんだから。

 風が、木々を揺らしている。
 休日だが、ちらほら学生はいるようだ。
 キャンパス内にあるカフェが目に入った。麻美が通っていたころは、土日は休業していたが、今日は開いているようだ。確か、学生だけでなく誰でも利用できる場所だったはず。ちょうど、昼過ぎだ。簡単な昼食をとろうと、麻美はカフェに入った。

 ―あれ?―

 わりと空いているカフェの、奥の窓際の席。
 見たことのあるシルエット。まさか…、

「ご注文は?」
 店員さんの声で、麻美ははっと我に返る。
「あ…、ランチセットA、ドリンクはアイスコーヒーで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 どぎまぎしながら、麻美は奥の席の人物を横目で見る。
 その人物は、コーヒーを飲みながら、何やらパソコンを操作していた。少し離れた席に座って、スマホをいじるふりをして盗み見る。
 人物は作業が終わったのか、パソコンを閉じて立ち上がった、

 ―あ、振り向く…。―

 荷物をまとめ、出口に向かう人物の顔を見る。
 目が合った。

 男性は、訝しげに麻美を見た。

 彼ではない、シルエットが似ているだけの、知らない人だった。

 ―そりゃそうか。―

 麻美は、大きくため息をつく。
 長い間会っていない人に、そんなにタイミングよく会えるわけないじゃないか。

「おまたせしました、ランチセットAです」
 運ばれてきた、サンドイッチと、サラダと、スープのシンプルなランチ。
 彼とよく食べていたランチ。

「卒業しても、会いに行くから」

 ―嘘つき。―

 結局、卒業してから一度も会うことのないまま別れることになった。

 ―嘘つきだ。…私は嘘つきだ。―

 もう彼への気持ちが冷めているのは確かだし、きっと彼もそうだろうけど、申し訳なさはなんとなく、くすぶり続けている。

 ―あの時も、今日みたいに動けてたら…。―

 今日は、何も考えずに、理由もなくここに来てしまったのに。どうしてあの頃はそれができなかったんだろう。
『彼に会う』
 という、ちゃんとした理由があったのに。

 ―約束通り、会いに行っていたら…。―

 仕事だとか、流行っていた感染症とか、何かと理由をつけて会いに行かなかったし、彼も会いに来なかった。
 もしもお互いに、会えない理由ではなくて、会うための理由を探していたら、今、何か違っていたのか。

 ―…なんてね。―

 考えたって、どうしようもない。
 麻美は、あの時と変わらない味のコーヒーをすすった。





※フィクションです。
 未練たらたらな恋愛チックなものを書きがちですが、そういう経験があるわけではないです。無意識に憧れているのでしょうか。

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