ある説から見えるもの

わたしのモヤモヤの理由(わけ)。



わたしが、何故【信じる】【愛】という言葉に対してモヤモヤしているのか。

(その言葉たちを使うタイミングが適切ではないのでは…?別の言葉なのでは?)
とわたし自身感じているところがあるのは、自覚している。

そして、
(その言葉たちは、今の瞬間わたしに対して利用しているとしても、果たして本当にわたしに向けて言っているの?)
という違和感…こころのモヤモヤがずっとある。

そのことに、わたしは苦しめられている。



ある方が、とある仮説を唱えた。

そして、【言葉】について、ある方の本から引用してある説を教えてくださった。

それは、【言葉の理解の深さの違い】だった。

わたしは、言葉に対して敏感なところがある。
ある人から言わせれば、言葉に対して過敏だとも言われた。

そして、わたしとある人の言葉に対しての理解の違いをこう語った。

「Nagomiさんは、言葉を深く捉える方だと思う。そして、言葉を大切に扱おうという人。」
「対する、相手は言葉を道具として扱っている人だと思う。だから、言葉をぞんざいに扱っているんじゃないかな?」

これ以外にもある仮説を言われた時、わたしはとても腑に落ちた。

音にすると、【ストン】と落ちて、点と点が線で繋がるような感じになった。
こころが、ほんの少しだけスッキリとして、話せて良かったと思った。

だからといって、わたしがその問題の相手に対して気持ちが変わるかと言ったらそうではない。
その人は、その人なりにわたしを思っての行動、言動をしているのだから。

(相手がわたしのことを気持ち悪いと思っていようとも、人としてみていなかろうともね。)




その仮説は、あくまで仮説。
けれど、わたしと考え方が近しい人からの言葉はストンと腑に落ち、こころに響く。
とても良い気付きだった。


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