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アフリカン ジャズ

アフリカ巨大都市 ラゴス                       躍動する巨大都市 ラゴスナショナルジオグラフィック日本版 2015年1月号
 ナイジェリアをアフリカ第一の経済大国に押し上げた大都会、ラゴス。活況に沸く街で人々がひたむきに富を追い求める一方で、貧富の格差が広がっている。 文=ロバート・ドレイパー/写真=ロビン・ハモンド

 今日のラゴスは16世紀にポルトガル人によって建設され、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。
 1807年、イギリスが奴隷制の禁止をかかげて西アフリカ沿岸の奴隷貿易港湾を襲い、ラゴスもその手に落ち、1861年公式にイギリス植民地として併合された。今日のナイジェリアの残る部分は1886年に征服され、ヨルバ人やイボ人の地域を中心とするニジェール沿岸保護領とハウサ人を中心とする北部ナイジェリア保護領、そして直轄の植民地であったラゴスの3つの領が成立した。
 ラゴスは両保護領の外港として発展し、1898年には内陸部とラゴスを結ぶ鉄道も建設を開始し、1901年から一部運行を開始した。この鉄道は1912年には北部ナイジェリア保護領の中心都市・カノまで全通し、ラゴスが貿易港としてより一層発展する基盤となった。
 1900年にニジェール沿岸保護領が改組されて南部ナイジェリア保護領が成立するとその行政府もラゴスにおかれ、行政の中心としても発展を始めた。1906年には南部ナイジェリア保護領とラゴス直轄植民地が併合され、さらに南北ナイジェリアが1914年に一つの保護領として成立すると、ラゴスがその首都となった。ラゴスはナイジェリア独立後の1960年代からビアフラ戦争に先立つ1970年代前半に掛け、石油生産を中心とした経済好況の結果、急速な発展を遂げ高層ビルが立ち並んだ。


ラゴス1851年~2019年

そのころ日本の明治維新                       江戸幕府の崩壊から新政府の成立と改革に至る一連の時代の総称。維新は中国最古の詩集「詩経」の「維(こ)れ新たなり」が出典で政治の一新という意味の呼び名。米国のペリー提督が艦隊を率いて開国を要求した黒船来航(1853年)から、旧藩体制が一新された廃藩置県(1871年)までを指す。

それは「ラゴスは16世紀にポルトガル人によって建設され、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。」、の時期とぴたり一致する。

アメリカジャズの発祥
1900年代に入ると、街角の福音伝道師の歌唱スタイルに影響を受けたブルースが南部一帯に広まり、1910~1920年代には、ジャズ・バンドの伴奏で女性歌手が歌うクラシック・ブルースが人気を博した。
1930年代になると、ラグタイムの影響を受けたピアノ音楽シティ・ブルースがセントルイスを中心に流行し、シカゴではアーバン・ブルースやダウンホーム・ブルースが発展する。ゴスペル音楽に関しては、1900年代にメンフィスのペンテコステ派教会が、説教師による歌いかけと会衆の応唱からなる熱狂的な礼拝のやり方を定めたことにより、その基本的スタイルが確立された。1920年代になると、多くの黒人教会が男性のゴスペル・クァルテットを育成しはじめ、1930年代には、ゴスペルを歌う説教師たちとともに、教会外でも頻繁に演奏が行われた。また、ニュー・オーリンズでは、20世紀初頭に、葬儀における行進や街頭パレードのためのバンド音楽からディキシーランド・ジャズが生まれた。その後ジャズは急速に合衆国中へ広がり、ニューヨークでは、ラグタイムをもとにしたストライド・ピアノ奏法が人気を得た。1930年代には、ブルースの影響を受けたピアノ音楽ブギ・ウギがポピュラーになった一方で、ビッグ・バンドによるスウィング・ジャズが全盛をきわめた。


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