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光ってなくても

久しぶりに一緒に帰ったのは別れ話するためだったのに、結局切り出した私の方が踏ん切りがつかなくて、中途半端にお別れムードを共有した末に「もうちょっと考える」ことになった。別れの決断なんて今までは難しいことじゃなかった。「この人じゃない」と察知すれば迷わず断ち切れた。私の人生に必要ない。ここまでで出会えていないのなら、とっておきの人が他に残っていて、どこかで私を待っているはずだ。未来が見えているみたいに確信していた。昔振った男に「神様的なものを信じているんだね」と言われたが、少し違う。私が信じているのはいつも私自身だった。

段取りは前もって決めていた。シュミレーション通りに実行したが、はっきり別れたいと言うことはできなかった。

三週間ぶりに休日を一緒に過ごした。嗜好がまったく異なる彼から、ストーリーが哲学的で難解な映画を「俺はよく分からなかったけど、ところどころ〇〇が好きそうだったよ、作画の雰囲気も」と勧められた。実際、好きな感じだった。そういう視点も持っている人だったのか。私自身について、必要以上に人あたりがよいから舐められやすいのだと愚痴を溢したら、「いや、たまに全然警戒心隠せてなくてとっつきにくい時もあるよ」と指摘された。嬉しかった。この人は最初から私を〇〇りん扱いせずにいたことを思い出す。大抵の人は私の適当な愛想の良さに簡単に騙されるが、この人はそうではない。主体性には欠けるが、私が〇〇りんでいなくても離れようとはしない。夜中1時過ぎに目が覚めると、テレビもつけたままソファで寝落ちしており、彼を探すと、お気に入りのラグに転がってすやすやと眠っていたので、起こして、歯を磨いた。

マッチングアプリをまた始めたのは別れの決心を後押しするためだった。大抵はプロフィールもメッセージも退屈だったが、唯一会って話してみたいと思える人がいて、その人は言葉の解像度が比較的高く、人間の暗いところの話ができた。はじめての電話で基本のプロフィール情報よりも内面のことばかり話した。その人には会おうと思った。良い人だったら彼とはそのまま別れようと思っていた。これで終わりにできるんだろうか。写真の印象と実物が違って、好みの顔でないことをどこかで祈ってしまっている。

自分の言葉に大切なことを思い出させてもらう瞬間が時々ある。以前書いたものを読み返していて、私はまだ光を欲しているのだなと思った。そしてどこかで必ずそれが手に入ると信じている。もはや信仰に近い。そして、恐らくアプリを介して会おうとしている人にも、私の光となりうる存在であることを期待している。それを手中に収めるためなら、今好きなだけの男なんていくらでも手放せる。躊躇わずに切り捨てられる。だけど本当は光なんてない。光って見えるのもはじめのうちだけで、いつかは消える。人間性に問題はないが生活観がまるで合わず、三年同棲している彼氏との結婚を悩んでいると溢す友人を見て、やはり光はないのだと思った。私と彼とは生活観は大方一致しているが、対立的な気質が多くある。そういうものだ。結局そういうものなのだ。手に入っているものを大切にできればそれでいいのではないか。はじめから光っているものなんてきっとない。

「深海」はミスチルで一番好きなアルバムで、いつもトラックの順に通して聴く。ここ数日、7曲目の名もなき詩から先に進めず、ずっと1曲をリピート再生している。


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