見出し画像

回避型愛着スタイルの彼と、不安•回避両価型(不安が特に強め)の私が一緒にいるには

この人しかいないとは微塵も思わない。けど、基本的にはとても居心地がいい。金銭感覚とか、食事したいお店とか、出かけたい場所とか、帰りたい時間とか、寝たい時間とか、起きたい時間とかが大体一緒で、人混みや賑やかな場所、隣の席が近い場所が苦手なのも一緒。いくら仕事の愚痴言ってもずっと付き合ってくれる(感情移入せず他人事として受け流せるから苦に思わないっぽい)。悩みやすい私に構わず呑気に過ごしてるのを見ると不思議と和む。私に理想の人間像(キャラクター)を押し付けず、ああしろこうしろと言わない。いくら会いに行っても嫌がられず、私が一人になりたい時は好きなだけ自由にさせてもらえる(そこまで興味がないだけなんだけど)。家事も苦にならず、ひと通りのことはできるし、頼れる。相手に友達が多いとなんとなく引け目に感じてしまうのだけど、彼はお家にいることが多いからそこでさみしくならない。電話したがってもいつも応じてくれる。特別に強い喜びや支えはないけど、日常生活を送っている分には大きな歪みはなく、ふつうに楽しい。一人で過ごしたい時にそれが叶わなかったり、「女の子なんだから」と言葉遣いを注意されたり、ゴロゴロしてるだけで叱られたり、してもいない浮気を異常に疑われたり、疲れて早く寝たくても叶わなかったり、出かける約束をしているのに相手が全然起きなかったり、悩みを話す度に「考えすぎ」と指摘されたり、会いたいと言っても頻繁に断られたり、そういう日々に比べたら圧倒的に平穏で、他人どうしとして当たり前のレベルの食い違いしか起こらない。傷つきやすく、気分にむらのある私にとっては貴重な存在だ。

ただ、話し合いや喧嘩になり、私が傷つき、彼がキレ始めると、二人の相性は最悪になる。それぞれが正反対の方向へ突っ走ってしまう。主に不安型の愛着スタイルを持つ私は、見捨てられ不安がとても強い。「相手に嫌われてないか」が何よりも気になって常に顔色を伺い、「理解してほしい」「理解してあげたい」「深く分かり合い」という欲求が人より強い。一方、彼の愛着スタイルはもろに回避型で、開示と共感がとにかく苦手で、面倒ごとには触れたくない。腹を割って話すとか、人と深い関係になることを避けたがる。私が彼に対する不満を漏らせば、彼は瞬時に私を敵と見なし、苛立ちを露わにする。別人のように怒り、私は恐怖で泣き、とても話し合いにはならない。大人の男性(絶対に力で敵わない相手)に怒りをぶつけられるのはとてつもなく怖いし、特に好きな人から強い言葉を浴びせられると心に深い傷を負う。悲しい時ほど、分かってもらいたくて必死で気持ちを伝えようとするから、私も感情的になる。しかし一度怒らせてしまうと、こちらの悲しみを伝えても火に油で、収拾がつかなくなってしまう。

向き合いたい(向き合ってほしい)私と、向き合うことが苦痛(深入りされたくない)な彼。たぶん、本当の意味で彼と向き合うなら、「話し合う」のも「気持ちを聞き出そうとする」のも不正解で、気になることがあっても「放っておく」「受け流す」のが最重要なんだろう。彼の気持ちが分からない…といくら悩んでもムダで、彼はとにかく、とやかく言われたくない。それが一番の願いで、どれだけ時間かけて考えたってそれ以上の気持ちはないのだと思う。だから、一緒にいたいなら、彼の言動や行動で傷つくことがあっても何も伝えず我慢するか、その場では絶対に言わないようにとにかく注意して、時間が経って冷静になってから話すか(基本的には共感はされず、話しても彼が変わったり、変わろうとしてくれるわけではないのだけど、怒らず聞いてくれる場面はちゃんとある)。

でも、そうやって彼への「向き合う」がなんとかやれたとしても、私へ「向き合う」人は不在のままである。たぶん歴代の元カノたちは、そこに耐えられずに短期間で彼の元を去っていったのだと思う(しかし普段は社交性があり落ち着いていて、外見も身綺麗で爽やかなので、恋愛関係に至る女性がコンスタントに現れるのだろう)。自分の心を守るために正しい選択だと思った。一番そばにいる人は、私の理解者でも何でもなく、ただ共に暮らす人になる。彼を受け入れるということは、そういう諦めを伴った関係性を継続していくということだ。気持ちの深いところで繋がることに一番の安らぎを得る私は、それに耐えられるのだろうか。傷ついた私を見ても、自分自身がその傷つける側になった場合でも、ケアしない(彼は他人へケアを求めないから、その必要性が理解できないのだと思う)。なにより「好きな人から必要とされていない」と感じることに恐怖を覚える私が、素通りされても精神を病まずに、彼と生活をしていくことは可能なのだろうか。いずれにしても相当の根気が必要になる。もう少しタフな人間であればよかったけど、私はかなり不安定気味で、抑うつっぽい思考になりやすい。誰と過ごしてもそういう面は少なからず出てきてしまうけど、彼といることでそうした性質が悪化するのは間違いないと思う。そのうちにさらに不安定になって、強く支えを欲するようになれば、「理解してほしい」気持ちが強まり、怒りや悲しみでいっぱいになり、抑えられなくなる。彼はさらに私とのかかわりを拒絶する。彼との暮らしは「帰りたい場所」にはならないかもしれない。そんな状態でも、「彼と向き合う」を頑張ることは出来るのだろうか。

真の愛情であれば見返りを求めないとよく言うけれど、そんな聖人みたいな人間が本当にいるんだろうか。誰だって、どこかで支えや喜びを感じる瞬間がなければ他人にまで愛を注いでいられないはずだ。笑顔とか、「ありがとう」とかを糧にしているはずだ。気持ちを伝えない彼と「向き合う」のには根気が必要だけど、彼は私といるために何かを捧げてくれているのだろうか。避けてばかりいるように見えるけど、彼なりの努力があるのだろうか。もしあるとすれば、「付き合おっか」と彼の方から私に言ってくれたことが最大の努力なのかもしれない。彼は親しくなる以前から「彼女とはただ一緒にいてのんびり出来ればいいんですけどね」とか「一緒にいられたらそれで十分(それ以上望まないし求められたくない)」とか言っていて、その度に私は「"一緒にいるだけで幸せ"が一番難しいのに何をぬけぬけとそんなこと言ってんだろう」とか、「そういう関係性に帰着するにはめちゃくちゃな努力も時間も必要なのに、なんで最初からそうなれる可能性があると思ってるんだろう」とか思っていたのだけど、彼にとっては「この人と一緒にいる」という選択や他人に時間を割く行為そのものが、最大の努力なのかもしれない。そんな覚悟をもって告白してくれたようにはとても見えない(あまり深く考えてなさそう)けど、私が悲しみを伝えた時、「人に関心のない自分にとっては他人と一緒にいるというだけでめちゃくちゃすごいことなのに、なんでそれ以上を求めてくるんだ」「なんで楽しい時間をぶち壊すようなこと(相手の気持ちを考えなくてはいけないような苦手な状況を作ること)するんだ」みたいな思考なんだろうな。

色んな人と付き合ってきたけど、彼がぶっちぎりで難しい…。それでも好きで、もう少しだけ頑張れないかと思ってしまう。だけど女には時間がない。自分の中で期限を決めようと思う。夏。夏が終わるまではいったん頑張ってみよう。必死こいて「向き合う」をやってみよう。そこでもうちょっといけそうであれば継続する。やっぱり寄り添ってほしいと思ったら別れを考える。付き合いはじめて四ヶ月経つけど、色々分かったことはある。そんで、夏が終わるまでに今からまだ四ヶ月ある。もしダメでもそのくらいなら取り戻せる。出会いはいくらでもある。まずは怒りっぱなしの彼から連絡が来ないことには始まらないんだけど、私の予想では、彼は喧嘩が悪化しても自分から別れを切り出すことはないと思う。自分の気持ちを伝えたり、話し合うことがなにより苦痛で面倒なので、別れ話なんてその最たるものを自ら行ったりはしない…ような気がする。放っておいてる間に気持ちが落ち着くなら、いくらでも待ってあげようと思う。まだ四ヶ月あるからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?