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無関心とは、精神の麻痺であり、死の先取りである|エッセイ

久しぶりの平日休み。今日は晴れの予報だった。

洗濯を干して、部屋の掃除をして、ランニングでもしようと思っていたが、朝食を済ませたあと、心地の良いソファーから動けなくなってしまった。

こんなに天気がいいのにやる気が出ないなんて、あまりにもしょうもなかったが、現実の自分はそんなものだった。

結局だらだらとゲームをしたりして時間が過ぎてしまった。
 
このままではダメだと思い、気分転換に散歩をしようと決めた。時刻はすでに14時を過ぎていた。

どうにかして、ダメな自分を自分で救うしかないと思い、小学生たちが学校から帰るのを見守りながら駅前の銀行まで行って、帰りにスーパーに寄って夕飯を買うことにした。

自転車で行けばもっと短い時間で行けたのだが、散歩のほうが運動になると思ったし、何より途中でタバコを吸いやすいと思った。

季節は春に近づいており、昼間の気温は暖かいものだとばかり思っていたが、思いの外肌寒くコートを羽織ってこなかったことを後悔した。手袋も耳当てをするのも忘れていた。

手先がすっかり冷えてしまい、途中で喫煙スポットを発見したが、タバコを吸えないというよりは吸う気にもなれなかった。歩けば少しは気持ちが前向きになるかもしれないと思っていたが物事は何も変わらなかった。

甲州街道沿いの歩道を歩き、いよいよ銀行に着くという時に、少し先で信号待ちをしていた自転車に乗ったおじさんがよろよろと転倒した。足を着こうとしたら滑ってしまったという様子だった。自転車の後ろには荷台があり、そこには二本の杖が備え付けられていた。どうも足が悪いようで、おじさんはなかなか立ち上がれずに困惑していた。その横を心配そうにはしながらも人々は「あらあら」と言いながら通り過ぎていった。

お人好しにはなりたくなかった。人を助けたって何かが返ってくるわけでもない。自分のことで精一杯なのだ。みんなと同じようにさっさと通り過ぎようと思った。

「あぁ、どうしていつもこうなんだ」

おじさんの近くまで来ると考えが変わった。

ついつい駆けよって、おじさんが立ち上がれるように自転車を支えてあげてしまった。

「大丈夫ですか?」
「ああ、すいません」
「怪我はないですか?」
「ええ、本当にありがとうございます」

倒れた衝撃でサドルが曲がっていたのでそれも直してあげた。おじさんはお礼を言うと、ゆっくりと自転車を押しながら僕とは反対の方向に進んでいった。しばらくその様子を見守ってから再び歩き始めた。

人助けをするほど、自分ができた人間だとは思えなかった。ずうずうしく、だらしない、決めたことを何一つとして成し遂げられない自分がこんなことをして何になると思った。

ただ、自分のためにはなかなか動き出せないのに、他人のためとなれば行動出来るというのは不思議なものだ。

おじさんの体重を支えているとき、自分が世界と繋がった気がした。

見て見ぬふりをできなかった自分を少しだけ認めてみようと思った。


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