【短編】扉を開け続ける夢
こんな夢を見た。
父が私と弟を連れて、釣りに連れて行ってくれた。釣りと行っても実際は潮干狩りに近く、波打ち際の岩場に私たちはいた。
「釣れないなあ」と、釣果は芳しくなく、ポイントを変えようと一列になって歩いていった。
気づくと洞窟の中だった。岩場と潮溜まりの続く道の先、向こうから光の差す洞窟を三人で歩いていた。もはや釣りでも潮干狩りでもなく、その光を目指して三人で歩いた。
やがて光に包まれるとそこは、インテリアが適度な間隔を保ち、清潔さの際立つ室内だった。窓からは温かな陽光がカーテンを優しく輝かせている。とても心地良かった。
私は一人で、父と弟の姿はなかった。しかし母も含めて、この屋内のどこかにいることはわかった。みんな、心穏やかにこの場所に身を委ねている。
誰かが呼ぶ声がして、私は名残惜しくもその部屋を後にした。
扉の先は、先ほどの室内と似てはいるものの、別の場所であることが判然とした。
民家のような戸建ての温もりはあるものの、博物館のように設えられた調度品に、気品のある空気を受け取った。
屋内が広いこともすぐにわかった。一つひとつの空間は広く、私以外にも、ちらほらと室内の様相を観察して佇む人々がいた。
私は芸術に対して特に知識があるわけではないのだが、それでもその空間に、私は興味関心を抱いていた。
佇む人々は停滞しているようで、流動的でもあった。私は二階に上がり、次の扉のある部屋に受動的に足を運ばせていた。
もうしばらく、ここにいたいと思った。
中学生の時に恋慕した女友達がたまたま同じ部屋にいて、扉を開いたのを見た。
そして、扉の向こうに行ったと思ったら、扉は開いたままだった。
すると、彼女は扉の向こうから顔を覗かせた。しばらくして彼女は向こうに行ってしまったきりだった。
私の方を見てはいなかったが、私もその扉の向こうへ行くだろうことは理解していた。
いいな、と思った。
彼女は次の扉の向こうへ行こうとも、こちらにも帰って来られる存在のようだった。
私は、くぐった扉をまた開くことはできない。そのことはもうわかっていた。
扉は開いたままだったから、私は流動的にその扉をくぐった。
そしてどういうわけか、私は家族と共に、スロットマシンの前に鎮座していた。スロットマシンのレバーを叩いた。当たるだろうことは予感していた。
果たして、当たりの図柄が揃った。
ああ、ようやく当たったと思った。並んで座る家族を尻目に、私は一度席を立ち、トイレに入った。席に戻ったら、悦に入りながらレバーを叩こうと思いながら、自分の台に向かった。
すると、並んで座っていたはずの家族は自分同様席を外していた。
どこに行ったんだろうと思うと、
「待ってたんだぞ。ほら、早く行こう」
と、家族の呼ぶ声がした。
なんだ、もうそんな時間か。
せっかく当たりを引いたのに。
私は後ろ髪を引かれる気持ちで、呼ぶ家族の声のする方へ歩き、その空間から出ていった。
そして、とてもとても寒い場所に座り込むことになった。
そこは以前の職場の前だった。
私は外套を着ていた。しかし、とても寒い。
立襟に顔を埋め、職場のシャッターが開くのを待っていた。
すぐ近くに、小学生のときに毎日遊んだ友人が、薄着でいることが感じられた。
それでも彼は元気だろうことは、何故だか肌で感じていた。寒さの他に肌で感じられるものはそれだけだった。
私は寒くて、彼の方へ顔を向けることができず、ただただ外套の立襟に顔を埋めることしかできなかった。早くシャッターが上がらないものか。
しかし同時に、また他の場所に行くための気力が私にはなかった。長い長い時間の中でも、彼は疲弊した私にはない力を持っていた。
私は寒さの中で力を溜めるべく、深く深く目を閉じた。
「夢にしては、だいぶ覚えていますね」
今年度異動になり、職場の変わった私に、8歳年下の同僚が一言呟いた。
彼の言葉には、皮肉は込められておらず、その言葉通りの意味合いだけが含まれているのを、私は知っている。
「話し始める前にも言ったけど、朝シャワーを浴びているときにふと思い出して、なんだかセンチメンタルになった今日の夢の話だよ」
「怖いとは違いますけど、なんだか意味深ですね」
今年新入社員として入社した、後輩にあたる女性が不思議そうに感想を述べた。今日は彼女の誕生日だった。
「だから少ししんみりしているんだけど、夢に妹が出てこなくてさ、それが少し自分自身ショックだったんだ。」
私は自分の夢に関して、思ったことの一部を吐露した。
「だから、『元気にしてるか』って、朝に妹に連絡を入れたよ」
ぽいですねーと、軽い乾いた笑いがした。
もしかすると、妹の夢も見てはいたのかもしれないが、眠りから覚めた私には欠落していて、夢の残骸の中に妹はいるのかもしれなかった。
それが兄として情けなかった。
昼の休憩時間、話のネタが尽きて沈黙が流れたために打ち明けてみた私の夢の話は、会話を弾ませるものではなかったようだ。それでも、私がこんな話を話せるのは、彼らだけだった。
「扉を開ける夢というのは、何かしらのチャンスを暗示しているみたいですよ」
8歳年下の彼が言った。
「アルフレッド・ヒッチコックの作品を思い出しました」
「ヒッチコック?」
耳慣れない人物を口にした、私より30も年上の女性上司に対して、私は言った。
「そんな作品があったと思うんですよ」
スマホで調べてみると、観る機会のなさそうな時代の人物の作品が出てきた。
「あ、ザバードも怖かったです」
私の話は、怖い話の一種に分類されたようだった。
「でも夢の話って、何かを暗示していることもあるみたいですね」
「何を暗示しているんだろうね」
同僚の彼がこの話をまとめてくれ、それに私が返答したことで、昼の4人の話題は潰えた。
話す機は逃したが、こうして彼らに話したおかげで、この夢に対して思うことが整理できた。大きく分けて、私が見た夢についてと、それを聞いてくれた彼らについての二つ。
一つ目は、扉は自分が意図せずに現れて、私の意思で、あるいは意思に反して、そのどちらにしても私はその扉をくぐることになること。
そして、中学生のころに恋慕した女友達は、私のことは見ず、それでも私の前に現れることができること。
非常に仲の良かった友人とはもう会えないだろうこと。それでも、彼が元気でいることを、私は知っていること。元気でいることを信じていると言ってもいい。
そして、私はもう扉をくぐらなくてもいい、くぐりたくないと、私自身が本心で思っていること。
二つ目は、私がどこまで気づいているかどうかをわかっているかはさておき、この話を深掘りしてしまったら。
私が何かに気づいてしまうと、私の信頼する仕事仲間が思っていること。
私を思って、深く追求するのをやめてくれたこと。
8歳年下の心優しい同僚が以前に私に問いかけたときのことを思い出す。
「過去・現在・未来、この三つの中から一つを選ぶとしたらどれですか?」
私はほんの少しだけ考えて、過去と答えた。
解釈一致だと言って、彼は喜んだ。
そんなふうに私のことを知ってくれているから、私は彼らにこの話をしたのだ。