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【えーる】雪景色に思う

よく鹿野には足を運ぶ中で、時々「いいな」と思う風景に出会うことがあります。そんな中で、特に好きな風景とはなんだろう……そう考えた時に、鹿野の景色から、2つの候補があがってきました。

清流通りのモミジと青空。秋も、もちろん大好きな季節です。

1つは秋。歩いているだけで汗の吹き出す夏が終わって、半袖にほんの少し肌寒さを感じる風が心地よい季節は、モミジの燃え上がるような赤色が目に留まります。
特に「平成の名水百選」にも選ばれた清流通りで、さわやかな水音を聞きながら、真っ赤なモミジを見上げると、その先に見える雲一つない青空の背景が鮮やかでした。

これもぜひ見てほしい景色の1つなのですが、なんだろう、もう少し何かが足りない気がします。もう1つ、自分の心にしみついて離れない景色。
結局、そちらを紹介しようと心に決めました。

記憶にあるのは、楽しかった雪の世界

清流通りから見える、一面の銀世界と青い空

それは、秋の次の季節、冬。
モミジの赤と対比するかのような真っ白な雪が、鹿野を白一色に染める季節が、どうしても心から離れないのです。

まだ自分が小学生の頃、雪が降らない年はありませんでした。
12月頃になると、ぐっと冷え込んだ空気に冷やされた水分が、灰色の雲からびゅうびゅうと降り注いできます。夕方、薄暗くなった空から真っ白い雪が降り始めると、たいていその翌日は雪が積もっていたように思います。
もちろん、そうではない日の方が多かったとは思います。しかし、一夜明けると世界が真っ白に染まっていたあの衝撃は、今も心に焼き付いていますから、ことさらに「昔はすごい雪ばかりだった」という記憶になるのでしょう。

もっと雪国に行けば、山さえ真っ白になるのでしょうが、鹿野の山はうっすらと白くなる程度のことが多いです。
それでも、地面を見ればまぶしいばかりの白。2階の自室の窓から外を見ると、すっかり晴れた空から太陽が輝き、降り積もった雪がギラギラと輝いて、目に痛かったこともあります。

当時は冬でも半ズボン登校だった時代。雪深い場所に子どもの足で踏み行ってしまうと、ゆうに膝上まで雪があるものですから、長靴の上から雪が入ってきて「冷たっ!」となることは当たり前のようにありました。
しかし、冷たいと感じるのは最初だけ。だんだん、その冷たささえ楽しくなってきて、友達と一緒にはしゃいでいました。

子どもの頃、冬といえば雪。雪といえば、冬にやってくる「楽しいもの」でした。朝の登校時だけではなく、雪ダルマを作ったり、かまくらを作ったりしたこともあります。そうでなくても、朝の輝く雪を見ているだけでもなんだか心が躍る。そういうものでした。

感じ方は変わっても、かけがえのないもの

車のハンドルを握ると、気が気でない景色……。

成長して社会人になり、この少なくなってきた雪が、とても恐ろしい存在であるということにも気が付いてしまいました。

自動車免許を取得して、自分がハンドルを握って運転するようになってからは、雪が降ると憂鬱な気分になってきたものです。スリップするんじゃないか、対向車が突っ込んでくるんじゃないか……これは不安だけではなく、実際にスリップ事故で車が廃車になったこともありますし、突っ込まれはしませんでしたが対向車がスリップするのを眼前で見たこともあります。十分に、現実になりうる不安なのです。

雪は、ただ楽しいものではない……大人になって、それを知ってしまいました。それでも毎年、冬が来ると雪を待ち遠しく感じている自分がいます。

夜、ストーブの暖気を感じながら暗闇の中に降りしきる雪を眺めると、何も音のしない中に、小さく雪が落ちる音が聞こえてきます。暗闇の中でも、ぼんやり白さがわかる雪を見ているだけで、なんだか特別な世界にいるような気分になってきます。

子どもの頃と変わらず、朝起きて積もった雪のまぶしさに心が躍ります。雪化粧した鹿野と青空が、白と青の二色で彩られている風景は、思わず写真に納めておきたくなるような、そんな気分になってきます。

木々の隙間から差し込む太陽の光

朝、体の芯まで冷え切るような、肌に突き刺さるような寒気を感じる鹿野の冬。鹿野は人口も少なく、車の往来も少ない地域ですから、朝や夜だけではなく、昼でさえ音が聞こえないこともあります。

冷え切った空気、音一つしない中で、真っ白な雪景色を眺めてみませんか。
大丈夫、寒さはたくさん着込んでなんとかしましょう。
他のどこでも見られない、鹿野の雪化粧を、ぜひご覧あれ。

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