京浜東北線内で出会ったクロアチア人のおじさまの指示のもと、泥酔サラリーマンのサポートをした。
ちょうど、去年の今頃。
私の生活スタイルは最悪の状態。「彼に貸したお金が~」の話を読んでくれた方はイメージしやすいと思うが、元彼とのお金の件もあり精神的にもどんよりしていた時期だった。
その日は金曜日。20時過ぎ頃に会社のビルを出た。
私は、事務仕事の残業をこなし、気力体力がごっそり奪われた1日だった。
職場から駅までの道のりで、ワイヤレスイヤホンを両耳につけたものの、曲を選ぶ気すらわかない。ただの耳栓だ。
ぼーっとしながら、駅のホームまでたどり着く。
思考停止。マスク着用をしていたが、
死んだ魚のような目をしていたと思う。
うーん、ひどい。
無気力ながらも、電車の座席に座る権利を必ず獲得してやるという意志は強い。
京浜東北線が目の前にとまる。
ドアが開く前から、1つの空席に狙いを定めていた。
そこしか見えていない。
必ず座ってやる、というハイエナ状態。
電車の混み具合はぼちぼちといったところ。
ドアが開き、降車する人がいなかったことで、一直線に狙い通りの座席に座ることができた。
さーて、ここで、やっと何を聴こうかとスマホを取り出す。
これは私だけなのかとちょっと気色悪がられるかもしれない。
よし見てやろうなどと、決して意識はしていないものの、両隣に座っている人のスマホ画面や読んでいる本を、ついちらっと見てしまうのだ。
じろじろ見るつもりはないけども。
過去、私がワンピースのアニメを家で視聴していた頃だった。
朝の電車通勤中、偶然にもちょうどその先の話を電車内で見ている人がいたのだ。
ウォーターセブンのトムさんが出てくるあたりの話だった。
(うおぉネタバレやめてくれぇ…)と心の中で嘆き、視線を逸らそうとしたが、その人の背後に私が立っていたということもあり、じっくり見てしまった。
その時の私はさすがに、“じろじろ見る”に該当するなと思ったが、基本的には一瞬気になって見るだけだ。だけだ、と言い切るのもなんか変だと思うが。
私の右隣は、顔はわからないが、ヴィンテージ風のおしゃれなスーツを着た男性が洋書を読んでいた。
左隣は、まあ、こりゃすごい。
リクルートスーツを着たお兄さんが、上半身を屈ませ、ぐでんと腕を垂れ流し、いびきをかいて爆睡している。(このいびきのかき方は、飲酒済だ)と、すぐに察知した。
鞄のチャックもほぼ全開で、危なっかしいかと思いきや、上半身の圧で鞄がサンドされているため、セキュリティロックは90%かかっている。
(捕ったりしないよ。笑)
両隣チェックが完了し、再びスマホで曲選びをしようとした。
右隣のおしゃれスーツさんもスマホを取り出し、英文を打っていた。
普段はここまで見ない!!が、物珍しさを感じてしまい更に横目で見てしまった。(反省)
(曲…!)と意識をスマホに戻し、適当に曲を選んだ。
とくに意図はないが、音量はかなり低く設定していたので、何の曲か自分でもよくわかっていなかった。
そうして、スマホでニュースなどを見ていた時、右隣のおしゃれスーツさんが私に向かって何か話し始めたような気がした。
気のせいかと思ったのと、疲れもあり、(絡まれるのはごめんだなぁ…)と思っていると、「ねぇねぇ」とはっきり私に向かって話かけてきた。
そこで、ゆっくり顔をあげ、右隣のおしゃれスーツさんの顔を見ると、やはり外国の方だった。瞳が綺麗なブルーグレーだった。ちょっと私の祖母(秋田県民)に雰囲気が似ていた。一瞬にして懐かしさも蘇った。お顔がとてもちいさいおじさまだった。
おじさまはニコニコ柔らかく微笑みながら、私の左隣の人を指さす。
「あぶないね。もどしてあげて。」
と、酔いつぶれて爆睡中のお兄さんのスマホを指さす。
電車の揺れで今にも落ちそうなくらい、鞄からスマホがはみ出ていた。
心の中では両隣チェックとか言って、いきいきと人間観察をしていたが、実際には「あぁ…」と覇気のない声が出た。
私は、首の皮一枚状態のお兄さんのスマホをそーっと引っ張った。
スマホも「うわぁ助かった~!」と思っているはずだ。
だが、スマホ本体を引っ張ると、続けてスマホ下部にくっついていたシリコンの紐も出てきた。(スマホアクセサリー的な)
どうやら、鞄に取り付けているようだった。
(もしくはお兄さんの上半身に圧迫され固定されていたのかも)
私は、鞄とスマホ本体が繋がっていると認識し、右隣のおじさまに「たぶん鞄とつながってる…」と手振りを添えて伝える。
「おぅ…!うんうん」と、少し安心したのかおじさまはゆっくり頷く。
なんだかとても癒される反応だ。
午後の紅茶のCMに出演していそうな雰囲気だ。
私は再びマイワールドに戻ろうとしたが、おじさまは私に話し続ける。
「酔っぱらっているね。」
「そうみたいですね。」
「金曜日だからネ~」
ちょっと、斜め上をいく返答だった。
勝手に決めつけていたところもあったなと思うが、まさか海外の方から「金曜日だから(=週末飲みを楽しむ)」といった意味合いの日本ワードが出てくるとは思わなかった。
私は少し笑ってしまう。
「そうだね。」
敬語を忘れ、こちらも自然とフランクな話し方になってしまった。
おじさまは続けて、「お仕事帰りですか?」と、私に可愛らしいカタコトでたずねる。
「そうです。いっぱいお仕事してきました。」
保育士時代の、こどもに向けたゆっくりとした話し方に自然となってしまった。
どこまで日本語を知っているのだろう?とおじさまに対して思った。
「おぉ~おつかれさまぁ。わたしは横浜から乗っているよ。横浜でお仕事してます。製紙工場で。」
諸々驚きだ。意外と長い時間、乗車していたのだなと思った。
「製紙工場?」
「そう。かみの工場。そこで機械の使い方教えてる。日本に来て教えてほしいって。」
「へぇ…じゃあ先生だね。」
「うーん…せんせいとちょと、ちがう。EXPERT!」
馴染みのある英単語だが、急なネイティブな発音にびっくりしてしまった。
「あぁ、そうなんだ…」
かなり塩対応のように思えるかもしれないが、私の顔は一応笑っている。
ただ、疲労で脳が回らないだけだった。
私は、このおじさまは話し続けるだろうなと思ったので、イヤホンをしまい、傾聴にまわる。
おじさまは、クロアチアから日本に仕事で来ているとのこと。
今は日本に住んでいるが、まだまだ日本語を勉強中のようだ。
それにしても、日本の飲み文化を理解されているようだし、とにかく日本語が上手だった。
「日本の中で、どこか旅行に行った?」と聞いてみた。
「たくさんいったよ~。上は北海道、下はおきなわ、までいかない。」
ズコーッ
笑いのセンスも抜群だった。
そんなおじさまの話に私もけらけら笑っていた。
おじさまは47都道府県ほぼすべて、旅行に行っていた。
私なんて、3~4県しか行ったことない。
クロアチア人のおじさまから日本の良さを知る。不思議な構図だった。
「なにかすきなことありますか?」と質問される。
当時、私の中でプチブームだったのはスマホアプリのチェスだった。
勿論、そんなに強くはない。
「うーん、ちょっとしかわからないけど、スマホのゲームでチェスやってるよ。」
「おぉ~!チェス~!」
おじさまのひとつひとつの反応が、品のあるオーバーリアクションで可愛い。
「わたしのおとうと、オーストラリア、おうちひきこもってチェスゲームばっかりやっているよ。パソコンの。」
ひきこもって。(笑)
目上の方だ。可愛い可愛いと言うのは失礼かもしれないが、耳心地の良い優しい声と相まってカタコトがとてもかわいい。どんよりした疲れがどんどん浄化されていく。
「チェスボードかわないの?」
「うん、ネットショッピングで見てみたけど、高いなって思っていて。」
「100えんショップはどう?」
100円ショップ…!?
またしても、おじさまの斜め上の回答に驚く。
「日本の100円ショップで見たことないかなぁ…」
「日本の100円ショップなんでもあるね。オーストラリアにも100円ショップあるよ。たぶん、オーストラリアにはチェスボードうってる。日本もみてみて!」
「うん、わかった。今度みてみるね。日本語が上手ですね。」
「日本語、べんきょうむずかしい~」
くしゃっと笑いながら、左右に揺れるおじさま。
愛嬌満点。
「でも、べんきょうすきね。日本語独学でべんきょうしたよ。1冊の本だけ買って、ずーっと何回もそれを読んでべんきょうしてます。もう、いっぱい書いてぼろぼろ。」
わぁ……
ちょっと、ドラマチックだなと感じてしまった。
1冊の本に向かって、勉強しているおじさまの姿が目に浮かんだ。
「努力家だね。」
自然と言葉に出た。
言った後に、(努力家ってわかるかな…)と考えた。
「うーうん、べんきょうたのしいから。」とおじさまは言う。
言葉の意味は理解されていたようだ。さすがだ。
「でも、本でべんきょうよりも、こうやっておはなししておぼえるのがすきね。」
「だから、長い時間、電車にずっと乗っていられる。いろんなひと乗ったり降りたりするから、たまにおはなしして、日本語おしえてもらう。あなたとおはなしできたのも、よかった~。」
この勉強家なおじさまの柔軟性に、ちょっと今の自分が恥ずかしくなった。
感慨深い気持ちになり、おじさまの話をじっくり自分に落とし込もうとしていたところ、
「あぁっあのひと、なんかふんだ」
真向いに立っていたガタイの良いやんちゃ系なお兄さんが、何か小さなパーツを踏んだと言うのだ。おじさまは踏まれたパーツの声を代弁しているのか、「あぁ~…」とか細く悲痛な声をあげる。
そして、ガタイの良いやんちゃ系お兄さんにまでも指を差し始めたので、それはちょっと止めておいた。
「…たぶん、大丈夫だよ」
こちらがひやひやしてしまう。
「そっか。」
あっさり諦めてくれたようで安心した。
すると、忘れかけていた左隣の酔っ払いお兄さんがむくりと立ち上がり、フラフラしながら降車しようとしていた。
その時、がっつりスマホが床に落ちたので、「あらら」と、拾ってお兄さんに渡す。
「あぁ、すみませんっ…」
酒好きとして、言える。
しっかり言葉を交わせて、偉い。
「いっぱいたのしんだのかね~」
おじさまはお兄さんの背中に向かって呟く。
お兄さんが降りた後も、おじさまとのお喋りは途切れることなく続いた。
そして、なんと、そのおじさまが住んでいる場所は私の住んでいる場所の隣町だった。
お互いに知って、「えぇ~!」と驚いた。
一体、この二人の会話を周囲の乗客はどのように見えていたのか、少し気になる。
「それなら、またあえるかもしれないね」
「そうだね。あえるかもしれないね。」
そして、おじさまが降りる駅に着く寸前で、
「おなまえは?」と聞かれた。
かれこれ40分程、おじさまと会話したが、お互い名前を名乗っていなかった。
私はちょっぴり周りを警戒し、おじさまにだけ聞こえるように小声で、「みこ。」と答えた。
「ん~!みこ。」
おじさまも同じように小声で返す。
御察しが良い方でもあった。
「わたし、エドワード。」
映画から出てきたような陽気で紳士なおじさまは、「エドワード」さん。
お名前も、素敵だ。
電車のドアが開く。
エドワードはすくっと立ち上がり、降りる人たちに紛れながら、
「See you~みこ~♪ Bye~」と、ひらひら手を振りながら降りて行った。
「ば…Bye~エドワード~♪」と、ちょっと恥ずかしかったが、私も同じ調子で返してみた。
心がうるおうような40分間だったのでした。
おわり
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