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私は何のために大学へ行くのか?

長過ぎる前置き

思うけれど、小中高大と進む中で、大概の人が周りの同級生や雰囲気に流されているだけじゃないか?
私はそんな風に上手に流される周りの人たちに若干の疑問を呈しているけれども、また同時に羨ましいとも感じている。その方が大人に喜ばれるし、また自分にとってもメリットがあることに遅かれ早かれ後々気づくことになるであろうことは重々承知だから。

義務教育九年間はなんせ「義務」なのだから、進むか進まないかで迷いようがない。行きたくなかったら不登校生になれば良いだけ。勝手に在籍させられて勝手に卒業させられる、それが小・中学校。

けれども、高校は義務教育ではないのだから行かないという選択肢もあり、まずその時点で迷うことだって許される。それでも殆どの中学三年生はきっと「周りがそうだから当然自分も行くべき場所」として高校進学を捉えているだけで、「なぜ高校へ行くべきなのか?」といった疑問など抱くことなく、このことにおいては思考停止状態で高校受験を迎えているのだと思う。
高校は学部やカリキュラムが無数に存在する大学と違い、偏差値で序列化されている以外はどこも大体似たり寄ったりな感じだから、多くの中学三年生は大した理由もなく少し背伸びした偏差値の高校を選んでいるだけだろう。私もそのうちの一人だったけれど、それではやはりやる気が全く出なかったため「制服がカワイイから」とかいうおバカな付加価値をくっつけたりしていた。まあ私のような適当な付加価値でなくとも、他に部活とかもう少しあるだろうけれど。
にしても津々浦々の中学三年生の皆々様、あなたたち本当に凄いよ。大人や周囲の雰囲気からのさりげない圧力の中高校進学という選択肢を選び、さして選びようのない中で選んだ高校に何とか自分なりに動機を付け加えたりして、受験勉強をちゃんと頑張っているのだろうから。

大学受験は流石に迷う人もいるはず。大学進学率は60%を超えているけれども、一方で他にも専門学校や就職という選択肢があることは学校の先生や大人、インターネットがきちんと提示してくれるから。

それでも「学校の先生や大人、インターネット」らは大抵大学進学をオススメしてくる。それが最もメジャーな道であり、安全な道であり、将来得をする道だから、そんな理由で。ご丁寧にも「大学を出ないとこんな風になっちゃいますよ」と言わんばかりに学歴別生涯収入のデータや過去のしくじり先生たちの例まで示してくださるのだから、こちらは納得せざるを得ない。

分かりました、大学に行くのが一番良いのですね。教えてくださりありがとうございます先生。僕/私は受験勉強に精を出して頑張ります。

要約したら皆さん大体こんな感じでしょ。皆随分とお利口さんだこと。

それから文系/理系、学部など提示された選択肢の中から自分の興味があるもの、あるいはそれに近いものを選び、学力や評判を鑑みて大学を決め、ここの学校の校風が好きだから、ナントカサークルに入りたいから、とか何とか言って大学に行きたい理由をより強固なものにしていく。

話が逸れてきたけれど何が言いたいかって、中三〜高三にかけてのこの学生達の流されよう、凄くないか。
それが世間でどれだけ最善な道として考えられているものだろうと、なんかもうちょっとあるでしょ。
皆が皆同じ道を正しいと過信し、同じ方向を向いて一斉に進もうとしているこの受験という状況が、何だか不気味に思えてならない。そんなのきっと私だけだろうけれど。
「大学受験はせずに一年くらい海外を放浪してみます」とかは極端だけれど、流石にもっと他に選択肢があったって良いですよね?と先生やその他の大人に問いかけたくなる。

でも分かってますよ。大人しく大学に進めば良いんですよね。それが延いては自分のためになるんですよね___と心の中では納得しているものの、喉に刺さった魚の小骨のような違和感が、どうしても拭えなかった。
大学受験が頭を過ぎる度、そして受験生という立場になっても尚「本当にこれでいいのか?」と囁く自分が常にいた。

そんな自分はきっと、親切な大人がどれだけ真摯にアドバイスをくれたところで「そうか!だから私は大学に行くべきなのか」とは思えないんだろう。もちろん実際のところそうだった。結局のところ大学に行きたい理由など、自分で考えて心の底から納得したものでなければ何も役に立たない。

それでも何とか「将来の夢」というものを見つけるところまで漕ぎ着けた。
しかし私という人間は、将来やりたいことが決まって大学と学部も決めたはずなのに、それでもその目的が受験勉強をする原動力になり得ない、そんな大バカで物分かりの悪い不器用な性格である。
夢を叶える手段の一つとして大学に行く、それだけでは何だか物足りない。将来の夢に対してワクワクはするけれども、その中継地点でしかない大学はワクワク感があまりにも少なすぎる。
そんな飲み込みが悪く、捻くれて素直さを持ち合わせない私のような人間は、こういう時本当に苦労するなあとしみじみ感じる。周りに合わせて何も考えずに「よーし受験だ!」と切り替えられることが受験においては一番良いはずだけれど、まあこういう終わってる性格なもんだから仕方がない。

ということで自分なりに数ヶ月考え続けた結果、何とか捻り出したり、また本から知見を得たりして「自分が大学へ行く意味」というものを幾つか作り出した。と言っても二つだけだけれど。言語化してみればもう少し勉強のやる気に火が付くだろうという策略でnoteに書いてみる。

1、ヤリたいから

ぇ…………………………………?
と今思ったでしょう、これを読んだ皆さん。そんな不真面目な理由があるか、と。
私もそうです。しかし別の観点からの「え?」ですが。こういう系の発言ってのは本来女子の、とりわけJKの台詞ではないでしょう。せめて彼氏作りたいからとかいう可愛らしい換言をしなさいよ。うーん。こいつは考えものだ。そう俯瞰している自分が現在心の中で囁き中。
しかし私のような、なぜだかテストステロン値が生まれつき高いようで性欲の強い人間(女)にどうにかして希望を持たせたいとき、一体どんな目的が最善かというとやっぱりこれ一択ですよね、という訳でして。
これを思いついたときには正直勉強頑張ろうと切実に思った。いや私のバカヤロー。
いくらセックスがしたいといっても、相手がいなければ話にならない。いやまあ女性用風俗使えよ(風俗は挿入NGなので実際は不可能)、マッチングアプリかなんやらでワンナイトの男探せよってご意見もあることでしょう。でも大学で付き合った同級生や先輩とヤレるって超青春だと思いません?というか風俗とか出会い系絡みの人で処女捨てるとか絶対嫌だわ。オバハンになって自分の初体験を懐古するとき、「そういえばどこの馬の骨かも分からん風俗の男とヤッたわねぇ…」とかってなる訳でしょう。そんなの絶対嫌。私の初体験は青春を感じられる甘酸っぱい美しい思い出となって欲しい。
青春的なセックス、欲を言えば愛のあるセックスで処女を卒業したい。その夢を叶えるためには愛せる存在が必要で、愛せる存在が手っ取り早く見つかりそうな場所と言えば、即ち大学。つまりはそういうことです。
にしてもこんな理由で貴校を志望しました、なんて学生どこの大学もお呼びじゃないだろうな。でもまあ心の内は自由ですもん。建前だけ「〇〇大学の△△学部で□□を学びたいです」とキラキラした目で言っておきさえすれば良い。なんにせよドが付くほどのアホであることに変わりはないけれども。大学に行くのに大した理由なんて見つからない私のような人間には、きっとこれぐらいがお似合いなことでしょう。
以上が学校の先生とかには口が裂けても言えない、第一の理由。

2、いつか現れるであろう運命の人を落とすため


この理由は口が裂けなくとも言える。

以下は「いつか別れる。でもそれは今日ではない」という書籍の「色気と教養」という章より抜粋した文章。

 視点は多ければ多いほどいい。それを楽しむ視座が増える。
 一つの物を豊かに見るということは、逆に、どんな角度から見てもなんの風情も感じないような物に遭遇した時、味わう苦痛が倍加するということでもある。それでも勉強は、確かに世界の深度をさらに深く、密度をさらに濃くするだろう。

 本当の勉強の目的は、こうだ。
 いつか出会うであろう、自分の手に届くか届かないかもわからない、魅力的な人を、ほんの少しの会話で、獰猛に自分の世界に閉じ込めてしまう=色気を手に入れるため。
 本当に頭が良いと思う人は、お酒を一緒に飲んで楽しい人では、ない。カルピスを一緒に飲んでいたとしても、心の底から楽しいと思える人だ。ただ、いつもの場所を一緒に散歩しているだけで、街が見違えて見えてくるような人だ。
 そしてそれは、その人の教養のおかげだ。世界解釈のおかげだ。つまり、その人が放つ、色気のおかげである。色気は、エロとは違い、脱ぐことでも着ることでもない。
 ただそこに存在するだけで香り立つものだ。

私にとってこれらの文章は、学校の先生や親、それからインターネットなどに教えてもらった「勉強するとこんな良いことがあるよ」の数万倍説得力がある「勉強する意味」である。
勉強したら頭が良くなる?頭が良くなって有名な大学に入れてどうなる?収入が増えてどうなる?お金持ちになったら幸せなのか?学歴社会で地位が高くなることにそんなに意味があるのか?…いつも大人や世間に向かってそんな問いばかり投げかけてきた私を、この数文の文章が黙らせた。
ある一面からしか解釈できなかった物事が、勉強することで増えた視点により複数の違った解釈をできるようになる。たとえその物事が ”なんの風情も感じないような” ことであるとしても、そのような能力を持っていれば ”世界の深度をさらに深く” してみせることができる。そしてその恩恵とは何か? “いつもの場所を一緒に散歩しているだけで、街が見違えて見えてくるような人” と自分がなり得るので、好きな人を “ほんの少しの会話で、獰猛に自分の世界に閉じ込めてしまう” ことができる。
勉強して賢くなることで得られるメリットが、先のような「収入」や「社会的地位」にしか留まらないと思っていた私は少し浅はかだったと思う。そうか、もっと実生活に即したメリットを考えてみれば良かったんだ、そう気づかされた。
いつもの場所が見違えてくるような世界解釈ができる人、私もそんな人に惹かれる。というかその前に、「自分を好きにさせる」という意味合いの文を「ほんの少しの会話で、獰猛に自分の世界に閉じ込めてしまう」と軽やかに表現してしまうような、また「勉強する意味」に対してこのような解釈ができる著者のFさんに惹かれてしまう。勉強したらこんな優れた解釈や綺麗な文章を書けるようになるのか、と思うと俄然受験勉強のやる気が湧き起こってくる。
大学に行って多くのことを学べば、多少なりとも視点が増えることだろう。その自分なりの視点で様々な物事に対して人と違う解釈をできるようになり、そのオリジナルな解釈で好きな人を落とせるかもしれない。
「運命の人」がいるのかどうかは知らない。しかし魅力的な人に出会ったときのために今から出来ることはある。
勉強すること、それこそが最強の自分磨きだ。
優先順位をつけるのなら、ダイエットやファッションは今の自分にとっては二の次でしかない。そんなことは大人になってからいつだって出来る。今からやるべきことを今ちゃんとやれ、自分。
これが今現在、私が勉強する意味の中で最も大きな割合を占めている。
以上が第ニの理由。

総括

以上深夜テンションでお届けしました。
まあ総じてアホによる大学進学に対する動機、とでも言いましょうか。
推敲しようと一から読み直してみたものの、下ネタがしっかり登場していることにより文章全体に何の説得力も無いことに気がつきました。

しかし世の高校三年生達はもっとまともな理由で受験勉強を頑張っているんだなあと思うと、私は最早違う人種なんじゃないか?とさえ思ってしまう。
それでも、自分が納得できればそれで十分。頑張る動機など、つまるところ大学に入ってしまえば何だって良い。

明日も私はまともな動機を持って勉強に励む同級生たちに化け、一緒に受験勉強という名の苦痛を味わってきます。もっとも、まだまだ序の口だけれど。

魅力的な男性をオリジナリティ溢れる世界解釈や知性で落とし、最終的にセックスへと持ち込む。いや何だこの最後のヤリチンみたいな台詞は。しかしそのミッションを完遂するために私は大学へ行くし、クソつまらん勉強を今頑張る必要がある。

よし。本腰入れてやってくぞ!

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