しがない高三

誰にも読まれなくてよい。

しがない高三

誰にも読まれなくてよい。

最近の記事

  • 固定された記事

高三、今の私について

誰にも読まれないブログだろうけど、私はそれでよい。 というか読まれなくて別に構わない。 延々とどうでもよいことしか書いていないから。 ギリギリジェーケーな私について 18歳、高校3年生。 つまり世間で言うところのジェーケー。 一応ジェーケーなんだけど、ジェーケー特有のフレッシュさをもう持ち合わせていないと自分でよく思う。 盛りに盛ったプリクラをインスタのストーリーにあげ、閲覧数やいいねの数で満足するあの行動はもうどこが面白いのか分からない。 学校祭や体育祭などのイベ

    • いやばあちゃん話長えよ

      9割9分9厘喋る祖母 最近祖母が一週間程家に居候していました。ずっと自分の話をしていました。見出しにあるように9割9分9厘、いや更に刻んで8毛7糸…くらい祖母が喋っていました。おばあちゃんコミュニティ内でしか面白さが伝わらない内輪ネタを四六時中延々と聞かされる、そんな毎日を過ごしていました。 以下極限まで不満を溜め込んだ私の愚痴が続く。 いやばあちゃん話長えよ 何度心の中で呟いたか知れないこの一言。 「おばあちゃんの話」ってどうしてあんなに長いんでしょうね。私が1喋ろ

      • 私は何のために大学へ行くのか?

        長過ぎる前置き 思うけれど、小中高大と進む中で、大概の人が周りの同級生や雰囲気に流されているだけじゃないか? 私はそんな風に上手に流される周りの人たちに若干の疑問を呈しているけれども、また同時に羨ましいとも感じている。その方が大人に喜ばれるし、また自分にとってもメリットがあることに遅かれ早かれ後々気づくことになるであろうことは重々承知だから。 義務教育九年間はなんせ「義務」なのだから、進むか進まないかで迷いようがない。行きたくなかったら不登校生になれば良いだけ。勝手に在籍

        • 風の如く生きてみたい

          偶然を面白がる 人生はセレンディピティの連続、私はそう思う。 セレンディピティ、即ち偶然の産物。 その先に何があるのか分からない道を進んでみること、そして思いもよらぬ結果に出会うこと、更には何日後、いや何年後かは分からなくとも、その偶然の結果に何らかの意味を与えることができようになること。 その過程全てを面白可笑しく受け止めてみる、そんな人生を生きてみたい。 だから、私の人生にはそんなに沢山の目的がなくてもよい。大まかな目的は少しだけ持っている。けれども、細かいもの

        • 固定された記事

        高三、今の私について

          数珠のように繋がる命

          祖母が昔話をしてくれた。 普段はバーさんコミュニティの内輪ネタを延々と聞かされるから適当に聞き流していたのだけど、この昔話は自分にとって初耳であることが多く、またそこから得た気づきがあったので書き留めておこうと思う。 この話の前半は恐らく、私以外の人にとっては面白くも何ともないものだろうけども。まあもし興味があったらどうぞ。 祖母は1940年代後半生まれ。 その祖母の祖父、つまり私の高祖父(ひいひいじいちゃん)にあたる人は、軍人で戦時中かなり地位の高い身分だったんだそう。

          数珠のように繋がる命

          模試の理科の時間 × 哲学

          模試の理科の時間。 不勉強で解ける問題が少ないせいで、私はいつも半分くらい時間を持て余す。 その理科の時間に、私はとある道にふと迷い込む。 ぼーっとしていると、時々ふらっとその道を歩いてしまう。 その現象が理科の時間にいつも起こる。模試で脳がそろそろ使い物にならなくなってきたからかな。 その道、即ち哲学の道。 毎回決まってこの時間、生きているのが不思議になる。 今鉛筆を握っているこの手、もう投げ出して帰ってやりたいという心の声、椅子に座り続けてお尻が痛いこの感覚、夕

          模試の理科の時間 × 哲学

          Instagram、一抜けた

          Instagramによる毒の摂取 Instagramは、きっと多くの人にとって毒だと思う。 ひとたび開けば、他人の日常の切り取りを否応なく見せつけられる。 その日常というのは、たとえば美味しいものを食べている「私」だったり、あるいは友人や恋人と遊んだときの可愛い「私」だったり。例を挙げれば枚挙に暇がない。 このような些細な日常は、ただ単に私生活の一部を切り取っているだけのように見えて、実のところどれも他人に対する「私をこう見てほしい」というメッセージを多分に含んでいる。

          Instagram、一抜けた

          可愛い子/イケメンがタイプって人さぁ

          “顔ガチャ”で当たりが出た、この一言に尽きる 「好きなタイプは顔が可愛い子」と言っている男子がいるとぶっ飛ばしてやりたいといつも心の中で思う。いやもう、ものすごく癪に障るんだよね。ウゼェ…と心の中で毒突いてしまう。 人間の本体が魂だとすれば、顔を始めとする身体は結局のところその容れ物でしかない。 君、生まれたときから決まっていてその人には選択権なんてなかった“容れ物”を見ただけで人を評価するという、割と残酷なことをしているんだよ? 顔が可愛いだとかイケメンだとか、綺麗だと

          可愛い子/イケメンがタイプって人さぁ