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久しぶりの平日一人休暇

先週の平日、久しぶりに一人で行きたい場所を探して出かけた。SusHi Tech Squareスシテックスクエア・東京都渋谷公園通りギャラリー・Bankrobber LABOバンクロバーラボ・ワタリウム美術館の4ヶ所。

自分の気分に合わせて調べ、行きたい場所へ行く平日休み。4月の半日休が最後だっただろうか。
5月下旬の建築祭は平日も楽しんだが、私がスケジュールを合わせれば行けた。それは何か別。
自分の気分が赴くままに決めた場所へ行きたい気分が強かった。

見出し画像は、そんな私の手荷物とは関係ない。
東京都渋谷公園通りギャラリーの展示室1にあった、飯川雄大いいかわ たけひろさんの作品「デコレータークラブ - 0人もしくは1人以上の観客に向けて」。

展示室外にある作品「デコレータークラブ - 新しい観客」も、キャリーに載せられたバッグ。他の会場のそれを、この会場へ運んでみたかった。

その日に私が運べる会場はなかった。私が思った他の会場というのは、都内だったが休館日。無理らしいことは休暇前日に気づいていた。観るだけだったが楽しんだ。

休暇が間近な時期まで体の痛みが激しかった。休暇返上の可能性が高く、行き先を決めたのは前日。結果的には痛みが治まったタイミングで休暇だった。

強い痛み止めの処方薬を使ってでも、出る気で調べて行った場所。
家にじっとしていれば治るという医師の話ではなかった。

元から朝に弱いうえ、疲れてはいたらしい。朝は想定より出遅れた。渋谷で1ヶ所、行けなかった場所がある。上に書いた4ヶ所を楽しんだ。

あちこちでたくさんの作品を楽しんだ日。予定していた会場以外でも楽しい時間があった。そんないろいろを、このnoteにまとめておくことにした。いつも通りだが、展覧会内容を網羅した案内ではない。

初めに行った、有楽町駅前のSusHi Tech Squareの話から書いてみましょうか。

「GROWING Table」Ian Grossberg。
テーブル側を撮っていなかったらしい
廃材による大きな切り株と、街灯の鉢と植物と…

SusHi Tech Squareは「人間x自然x技術=未来」展。とても空いていたので、のんびり好きにウロウロした。その滞在時間だけでも、気分は満たされてくる感じだった。

以前、週末に友人たちと行ったときは混んでいた。それでも、企画展の奥にある常設らしいエリアも含めて楽しんだ。
今回は、いろいろと教えてくれる人アートコミュニケーターが、頻繁に声がけしてくださった。下調べ不足な私はスムーズに楽しめた。

「GROWING Table」は、廃材による大きな切り株デザイン。カウンターテーブルも一体。細長い鉢の素材は街灯とのこと。街灯の中で小さな観葉植物が育てられていた。たっぷり霧吹きをされたらしい濡れた葉だった。

先日のWHAT MUSEUM企画展で見た「円相」に近い、何だか落ち着く気分を感じた展示。

その街灯は、霧吹きしてほしいタイミングで緑に光る。そのタイミングでカメラが10分間動き、タイムラプス動画になり、隣の小さな画面で常に再生されているらしかった。(そんな説明を受けた怪しい記憶)

企画展全体を楽しんだ後、会場を出ようとしたところで、緑に光っている街灯を見られた。他の来場者が霧吹きしていた。その緑が落ち着く色とは思わなかったが、面白く感じたのも確か。

「Moving Green Park」Tokyo緑予想図

緑がないなら移動してそばに緑を、といういうキャスター付のグリーンたち。癒しも運ばれるような気がした。

写したのはそばに座れるグリーン。他に、グリーンが真ん中にあるシーソーなど遊具もあった。移動遊園地ではなく移動公園? 写真の奥側のグリーンもキャスター付だと、後で通ったときに気づいた。

「未来のCybridマルシェ」岡本龍史/石井孝佳
イネコムギ・コムギ・パールミレットらしい

写真は撮ったものの、これがメインというコーナーではない。

気候変動などに対応するための、穀物の交雑・育種についての研究紹介。
あとは、いろいろな植物の、植物名とイラストの断片が描かれたブロックがあるので、思いつきで積む。好きに植物を作って、プレゼンのメッセージボードを書いて展示できる。

アートコミュニケーターさんから、イネコムギとコムギのわずかな違いは教わった。乾燥だからわかりにくかったのか、とも後で思った。が、きっと乾燥前でも似ているのだろう。

パールミレットと書かれていた植物を大きく写した

パールミレットは、どんな料理になるんだろう、というような話にもなった。ヤングコーンのようなサイズの穂に小さな粒がたくさん。

この乾燥の丈は短かったが、他の展示では背の高い植物との話だった。

その乾燥の展示は「パールミレット」ではなく、「パールミレットコムギ」だったのではないか? と、会場でいただいたパンフレットを、後で見ながら思ったりもした。丈がそんなに違って同じ名前ということはあるのか?

パールミレットって何だろう、とは気になった。後日調べた。

調べてはみたものの、そもそも情報が少なかった。日本ではなじみの薄い穀物の様子が、早速、伝わってきた感じがした。

インド料理に使われていそうな情報も少しは見かけたが、粗飼料やストーバーに使われるという説明が先に見つかった。

粗飼料は、乳牛などに必要な餌。反芻はんすう家畜には、パールミレットのような繊維いっぱいの餌が必須らしい。

ストーバーというのは、暖房のストーブに近い言葉と思われた。収穫後の残りの茎などを、バイオ燃料として使うという話だった。

いきなり、料理の話から遠ざかり自分でも驚いた。が、料理方向も、もう少し調べてみた。
下に書いてはおくが、正確かどうかは怪しい。自分の料理を含めた知識不足と、日本語圏でなじみの薄い植物という理由による怪しさ。

国内で食べられるとしたら、インド料理のロティとしてなのだろうと感じた。

ロティの意味は、いろいろ過ぎて把握しきれない。

ざっくりとはパンの意味だと思う。が、インド料理に限らないなら、クッキーやクレープなどの菓子まで含まれそうだった。
調理法としてもロティという名前があり、それはインド料理に限らない。オーブンで焼けばロティなのかと思ったりもした。

パンのロティは、私はどこかで食べたように思う。
かなり前に上野駅構内のカレー屋さんで食べたような…
モチモチした薄い円い小さなパンが添えられていたような…

上野駅構内にあるシターラのメニューを検索してみると、「ローティー」という名前が出てきた。かなり前の記憶が大間違いではない気もした。

だが、その材料になる粉は1種ではないらしい。多くの場合は小麦全粒粉のアタ粉という、パールミレットとは別な粉で作られるらしい。
なので、ロティだから材料がパールミレットの粉という話でもない。

シターラのメニューでも、全粒粉までしかわからない。
「全粒粉」は粉の製法というか、植物のどこまでを粉にしているかを伝える言葉。小麦に使われることが多そうだが、植物を特定する言葉ではない。

パールミレットの和名はトウジンビエ。
蔵書「美味しい進化」のパンの章には、トウジンビエはアフリカで栽培化されたと書かれていた。

トウジンビエという名前から、ヒエの仲間だと伝わるが、日本の稗は別な名前を持つ植物。Japanese barnyard milletというらしい。

ミレットは、イネ科の中の分類というのか、雑穀の総称というのか。国内なら、雑穀に分類される稗・アワキビに当たるようだった。

パールミレットの粉は、トウジンビエ粉/バジラ粉/バジラアタという名前で売られているように思った。が、近所のスーパーに小麦粉と一緒に並んでいるかというと、そんな感じは全くしなかった。

上野駅のカレー屋さんに行ったとき、友人の一人は店員さんに、何で出来ているのか尋ねた。返ってきた言葉は、誰も聞いたことがない言葉だった。「バジラ」だったのか。聞いた言葉をすぐに調べた、別な友人の検索結果を聞いても、誰も知らない植物だったような。

パールミレットはグルテンフリーという情報も見かけた。グルテンフリーの食品は、小麦などで体調が崩れる体質の人には、きっと有効なのだろう。
ヘルシーな方向性も感じた。

そもそも、古来からの穀物がアンヘルシーということもないだろうが… ヒトの方も変化することは、上に書いた蔵書からも感じられる。

私には雑穀が身近ではない中、雑穀で作られたパン、料理というのはあまり想像できない。いろいろな料理店がある日本でも、インド料理でパンといえば、ナンを食べていることが多いのではないか。

気候がどんどん変化する中、それに合った植物・食材が求められている時代なのは、以前から感じていた。いろいろな植物の可能性を利用して生きていく時代なのだろう。

調べる前でも、なじみが薄いからと、知らなくて良い話とも思われない分野の展示だった。
ヒトは食べないと死ぬのだろうし、美味しく食べたい動物でもあるのだろう、と思いながら興味深く楽しんだ展示。

「ミツバチ・デリバリー」R2

初めてになるのか、ドローン操作体験もした。

マリオ即死な私がコントローラーを持っていいのか…
ゲームはギャラリー側で楽しむものだと思っているのだが…
せっかくガラガラに空いていたので、体験する気になったものの…
手に持った時点で終わった気がした。

が、並んでいる人も見物中の来場者もいない。丁寧に手伝ってもらいながら、花粉に見立てた、輪が取り付けられたボールを運んだ。硬式テニスのボールだったのか。

写真の黄色い棒の上にあったボール。初めの一つは近づいて止まって操作方法を考えていたところ、ドローンの風圧で落ちてしまった。2つを中央のバスケットに入れて終了した。
3つ入れられた場合の演出があると思われたが、見ないまま終了。

減少しているミツバチによる受粉を模した展示を楽しんだ。

「GREENSCAPE」田中薫
どんどん変わる光景が楽しかった作品

近づくと白い粒子が増えて、表示が大きく変わる。滑らかな動き。庭園のような緑の立体的な光景が刻々と変化していた。何となく癒され心地良かった。

この座標の数値は伏せ字にした

とても楽しんだので撮った写真だが…
この、顔検出された状態の座標は伏せた。
座標の上の、白枠の図形は顔を検出したことを表示している様子だった。顔の前に、偶々カメラを出したときに消えたことで、そう思った。

Xは、スクリーンに対して私が立っている横位置だろうと思う。
Yは、0を1にすると… 目の高さ・単位はメートル、ではないかと思われた。

私が撮った写真の他の座標は、白い枠もなく、自分の身体情報との関連性は感じなかったので、そのまま載せている。が、この数値からは少なくとも身長が推定できるように思った。

正確にセンサーで顔の検出・計測された状態での数値には、どことなく気持ち悪さを感じたのでOFFとした。勝手な推測でしかない判断。楽しんだこととは別に、そういう気持ち悪い感覚もスルーしない。

企画展の展示は他にもたくさん。全てを興味深く見たり体験したりした。書こうと思えば、もっと書くことはあるがSusHi Tech Squareの話は終了。

この会場だけでも、かなり満たされた。空いていたので、好き放題マイペースに動けたのも大きいだろう。

渋谷区立勤労福祉会館へ向かった。1階の東京都渋谷公園通りギャラリーでは「⽇常アップデート」展。ここも、いろいろな人の作品を楽しめた展覧会場。

いちばんに楽しみにしていたのは「微分帖びぶんちょう」を読むこと。書く方の体験もできる日だったが、そちらは空席がないように見えた。読むだけになったが、たくさん面白い展開を読んで楽しんだ。

初めに書いた誰かの、数文のストーリーでできた、紙1枚を半分に折った4ページ。
そこに数人が、数文のストーリーの4ページを、真ん中に真ん中に差し挟む。
すると、途中の展開が思いがけないのも当然だが、最初の人が決めた結末も、思いがけない方向に印象が変わる。

写真はないが、期待通りにとても楽しかった。漫画ver.もあった。

「普通の日」ユ・ソラ

全てが、白い布と黒い縁取りのステッチで覆われた日常。
写真は1枚だけだが、たくさんの作品があった。

触れる展示も、上の写真の展示室外にあった。どういう手順できっちりと覆えて、コーナーなどの縁がピッタリ現物合わせになっているのか、見ても触ってもわからなかった。

制作方法も謎だったが、日常がズレた感じの謎な見た目を楽しんだ。

いくつかの展示室間の廊下にて

その会場の展示は全て楽しんだが、このnoteでの話は終了。

会場を出た後は、「渋谷公園通国際ガーデニングコンテスト」の作品が並ぶ歩道を楽しみながら坂を下りた。いろいろなテーマを表現した花壇が並ぶ歩道は、暑い中でも楽しかった。

が、その道は90°間違っていた。

「公園通」と作品のプレートにも、何度も書かれていたのをスルー。会場があった勤労福祉会館から、次の目的地があるHMV record shop渋谷は、公園通りではなくオルガン坂を下るだけ。距離としては200mもない。

小さなスペース、Bankrobber LABOの滞在時間よりも、迷子時間の方が長かったような気もする。
勤労福祉会館を出てすぐ、慎重に慎重に地図と景色を見比べて歩き出したのだが… 何をどう確認したのだろうか…
渋谷ではいつものことでもあるので、気にしないことにする。

お店の2階にあるBankrobber LABOでは、田島周造・個展「森へ行く日」。
「防音」と書かれたグレーのシートで覆われた壁面と床。そこに飾られた絵やコラージュなどの作品を楽しんだ。

小さなギャラリー内には、絵の具の匂いと思う何かが漂っていた。制作の空気を残しているらしき匂いの中、何かの途中のような空気感を作品から感じて楽しんだ。

ギャラリーがある店名がrecord shopだったが、レコードだらけなお店とは想像していなかった。

かなり勝手な想像というか思い込みにより、CDやDVDが多いお店と思っていた。お店に入るとレコードだらけだったので驚いた。レコード店に入ったのは、おそらく初。お店自体も興味深くウロウロした。

私は若くないので、子どもの頃の自室に、ポータブルのレコードプレーヤーはあった。操作方法は全く憶えていないが、それでも自分で操作して聴いていた記憶はある。

子どもの頃は、何の雑誌だったのか、小さなレコードの付録があったりもする時代だった。自由に触らせてもらえたレコードはそれだけ。

お店で見かけたようなサイズのレコードは、ほぼ触れなかった。
針の操作ミスはレコードの傷に直結するし、下手をすると針もダメになる。正常にかけられたとしても、レコードの方が、かけるだけ傷むとの話だった。今の機材より傷みやすかった時代だろうと思う。

CDの時代にもネット接続の時代にも、全くなっていない私の子ども時代。童謡や絵本の朗読などの音源はカセットテープだった。
USENという表記ではなかったはずだが、配信はあった。が、そこから子ども向けコンテンツは流れていなかった。

趣味・仕事などで、レコードの需要は今でもあるとは思っていた。が、こんなにたくさんレコードが売られているお店に、自分が偶然でも入ることになった展開が、思いがけないことで楽しかった。

お店の出入口付近にあったのは、私が小さいとまで言わない子ども時代以降に知ったジブリ音楽だった。それにしても、既に古い時代の話のように思ったり。古いのか新しいのか、何だか不思議な感覚も楽しんだ。

最後は、ワタリウム美術館。「らくがきのワークショップ」時間中に着いてみたかったので、後回しという意味ではなく最後の目的地だった。
とても楽しんだ展覧会「梅津庸一|エキシビション メーカー」。

らくがきは、4階に貼って良い壁面があるので貼ってきた。
写真は、撮ってはいけないものと勝手に思っていたので、何もない。可否は知らない。
気になったことを書いた、雑な字のメモならたくさんある。

この会場もいろいろな人の作品でいっぱい。カラフルな作品が多く、それだけでも楽しい気分になった。

ワタリウム美術館へは2度目。劇場型の展覧会、2期の「梅田哲也展 - wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ」が初めてだった。
普段通りなのかどうかは知らないが、劇場ではない展覧会場の状態を見たのは初めてになる。

前回は、美術館の面白い建築自体が展示物。
ショップやカフェのある地下も、美術館前の交差点を渡った先の、小さな敷地も含めて会場だった。その小さな敷地と美術館は、糸電話で繋げられた演出だったり。
美術館全体を大切にした劇場でもありアート作品でもあり、という印象的な展覧会だった。
そのときのことを思い出したりしながら楽しんだ。

前回は4階からスタートだったんだな、とか。
吹抜けの中の足場を通ってリフトで下りたのは、3階から2階だったんだな、とか。

今回、2階からスタートした。前回、とても印象的に開かれた大きな窓のそばに着いて、それだけでもテンションが上がった。リフトに乗ったまま見ていた窓。あちらこちらで、建築自体もまた楽しめて嬉しかった。

前回は、普段の公開エリアではないところも、たくさん会場になっていたことが感じられた。
模型を見たあの部屋は、この奥だったかな、とか。
三角に尖った空間の階段も歩いたな、とか。
中2階らしい天井の低い部屋にも行ったな、とか。
今回の展覧会場よりも、もっと広い空間を感じながら会場自体も楽しんだ。

そんな気分だった私のらくがきは、展示作品ではなく建築を眺めながら書いたもの。スケッチの技術は持っていないので、本当に落書き。

「らくがきのワークショップ」のコンセプトは、展示作品の中の形を描く、ということだったので間違っている。

が、私にとってその建築は、テンションの上がったとても印象的な作品。書きたくなったのが建築だったのだから、気にしないことに勝手に決めた。

通常の展覧会場では、作品を見ながらスケッチすることは、禁止されていることが多いのではないか。

スケッチの技術を持たない私は気にしない話。
だが、メモを書いていただけでも、会場スタッフさんが気にしている様子を感じたことは、過去に何度もある。
「あ。スケッチじゃないなら大丈夫です」というようなことを言われたこともある。

私にはまだ2度目の場所とはいえ、もっと前からの印象も含めると、とても実験的というのか、チャレンジングな方向性を感じる美術館。このワークショップも、そんな方向性から出てきているのかと思ったりした。

4階で自分のを貼りながら、他の人の「らくがき」も楽しんだ。2階から4階へ上がっていく会場。「あ。そんな作品あった」と思う形の欠片が集まった、面白いコラージュの壁面になっていた。

今回の展示作品と関係ないことばかり先に書いてしまったが、私の雑な字のメモは、展示作品のことしか書いていない。たくさん楽しんだということ。

2階でメモした作品。

その印象的な大きな窓から、道路の向こうの敷地の作品を眺めた。後で信号を渡り、近くでも楽しんだ。大きなアートも、植物による作品も。

萩原朔美「Passing Through」。シンプルな同じ無人のベンチを、4色4枚で並べた作品が印象的だった。版画だったのかもしれない。それは4色の配色からきている印象だったのか。
「ペン」の黄色い枠が重なるコラージュも印象的だった。

吉田穂高「パコたちの朝」。細く黒い線での直線が目立つ印象の絵と、彩色によるグラデーションのきれいさ。

梅津庸一「物見やぐら」。細い黒い線で描かれた、見る場所が丸っこい形のやぐら。カラフルに彩色されていて、やぐらから見るのが楽しいのか、そのやぐらを見るのが楽しいのか、何だか楽しさを感じた小さな絵。

冨谷悦子のエッチング。作品名はメモし忘れたらしく不明。円形の中に、細かく花と茎が描かれていた。カラフルな作品とは違うが、シャープな描画。

梅沢和木「KOKU」。黒い光沢感ある背景に、青・緑系の正方形が並んだ、とても色合いがきれいな絵。

メモしなかった作品も多いが、それがつまらなかったという話でもなく、3・4階もメモしながら楽しんだ。それは、もうここには書かない。

4階は作品以外だけではなく、壁面までカラフルな模様になっていた。作品名など書かれたカードまで、壁面に合わせて彩色されていた。

他の階はシンプルだったように思う。だからといって、白い壁面ではなかったような。黄色やピンクを見たような…

4階の梅沢和雄「不時着」を見て、SusHi Tech SquareでVR体験したVoxelKei「JAPANELAND SKY」をなぜか思い出した。日本地図を立体化した映像の上空を、好きに飛ぶ体験。

そのVRで不時着した訳ではないのだが…
私の怪しい操作では、空の中に設定された、帰るべき円いベースに降りるのはなかなか大変だった。ドローン体験の展示の着地操作も、自分ではできなかった。
どこか雰囲気が似ていたのかもしれない。

いろんなことを、思いながら感じながら楽しんだ日。後日のパールミレットの調べ物も、まるでわからないことを調べる楽しさがあった。

平日ならではの好きに動きやすい休日。どの会場も空いていた。

自分で行き先を決めて、マイペースに動く時間が私には必須らしい。どこかへ行かないと無理と思う状況だった。前回から間が空き過ぎたらしい。

次は、いつどこへ行くのかわからない。気になる場所のメモは少しあるが、何も決まっていない。今回の休暇には、メモした場所は入っていなかった。

ただ思うのは…
満たされた気分の今から決まっていても意味がないのだろう、ということ。