自分史:高校生編

前回は中学生時代の自分を振り返った(以下記事)。

小学生、中学生時代の友人とは私が地元を離れたこともあり今では疎遠となってしまったが、高校時代の友人とは今でもちょくちょく会ったりしている。つい最近も今流行りのオンライン飲み会でバカ話をしたばかりである。社会人となった今でも学生時代と変わらない空気感で喋る環境があるのは非常にありがたいと思う。

この場を借りて、いつもありがとう.

中学校を卒業してからは、家から自転車で10分ほどの距離にある公立高校へ進学した。そこそこの進学校だったことと家からの距離が近かったことが、その高校へ進学する決め手になった。高校では同じ中学出身者は5,6人しかおらず、中学で仲の良かった友人とも離れ離れになったので、中学入学の時以上に不安だったのを覚えている。ただこの心配も最終的には杞憂に終わるので、環境の変化に対する不安なんてそんなものなのかもしれない。今回の適応障害を乗り越える策として適切なのかはわからないが、時間が解決してくれるという面もきっとあるのだろう。

部活中心の日々

高校の時の記憶の大半は、部活動の事である。中学の友達と部活見学に行ったまま流れでバレーボール部に入った(ちなみに中学は卓球部でした)。当時は軽音楽部に興味があったのだが、部活見学からの流れに逆らえず入部してしまった。今思うと相当意思の弱い奴である。

今でこそ男子バレーボールはスポーツとして結構人気が出てきているが、当時は競技人口が多くなかった。実際人気のある野球部、サッカー部、バスケ部、テニス部などに入る人が大半で、私の入ったバレーボール部の部員は3年まで含め10名程度だった。野球部やサッカー部に比べると部員数の差は歴然だった。ただ結果的にはバレーボール部に入って良かったと思っている。

バレーボール部に入って良かった事は、2つある。一つ目はチームスポーツを経験できたことである。バレーボールはチームの連携や意思疎通がゲームの鍵となる。どんなに凄いスパイカーがいても、そこまで繋ぐレシーバーやセッターが居ないと、そのスパイカーの出番が訪れることはない。なので試合に勝った時はチームで勝った感が非常に感じられるスポーツだと私は思う。当時のチームでの私のポジションはセッターだった。セッターはレシーバーが拾ったボールをスパイカーへと繋げることが主な役目であり、チームの司令塔的なポジションである。このセッターというポジション柄、スパイカーとレシーバー両者と念密なコミュニケーションを取らねばならず、また監督とのコミュニケーションも他のポジションに比べて多かった。今現在の他者を観察する目やコミュニケーションの取り方は高校時代のバレーボールを通じて培われたと思う。

二つ目は部員数が少なかったからこそ努力出来た事である。上述した通り、バレー部の部員数は少なく、3年生が引退した時の部員数は試合がギリギリできる6人であった(バレーボールは1チーム最低6人居ないと試合が出来ない)。なので、初心者で入部した私も3年生の引退と同時にレギュラーとなってしまった。勿論当初は素人なので試合には全く勝てなかったが、自分や部員が徐々に上達していき、試合に勝てる様になって行った。この弱小チームが成り上がっていく様が楽しかったし、何より自分自身に役割がある事が嬉しかった。この時の事を考えると、大きな組織の中のひとりとして動くよりも、自分の役割を意識できる小さな組織で動くことが私には向いているのかもしれない。

将来の進路

高校の時の一番の悩みは、やはり将来の進路についてだろう。正直言ってその当時は将来やりたい事やなりたいものなど特に無く(今も模索中だが…)、国語と英語が苦手だから理系へ進み、生物より物理が得意だったので工学系の進路を考え始め、工学系の中だったら何となくカッコ良さそうな建築を希望進路として選んだ。進路の選び方が打算的な感じがするが、当時はこれでも精一杯悩んだ結果だった。高校時代は3年の引退まで部活ばかりでバイトの経験もなく、世の中にどんな仕事があって、それになるには何を勉強しないといけないのか具体的な想像が全く出来ていなかった。なので高校の時にキッチリと自身の進路を決断できる人は本当に凄いなと今でも思う。

建築を自分の進路と決めてから、希望の大学を絞って行った。第一志望は某旧帝大の建築学部にしていたが、実情を調べていたわけでもなく、なんとなく旧帝大でレベル高そうだし、自分でも頑張れば入れそうだしくらいの気持ちで選んでいた。模試の判定はC判定が続き、センター試験で目標としていた点数に届かなかった為、第二志望のひとつランクが下がる大学へ切り替えた。二次試験で挽回を狙えるくらいのセンターの点数ではあったし、最悪浪人だってできた。だけど、それはしなかった。その第一志望の大学にそこまでの思い入れが無かったからだ。結果第二志望の大学に合格することは出来た。

センター試験の結果で志望校を切り替えることはザラにあると思うし、自分のように何となく得意科目や苦手科目から進路を決める人も多く居ると思う。ただ、大人になって視野が広がり色々な事を経験する度に、自分の下した決断の是非を問われている気がする。

本当にそれでよかったのだろうか?

恥ずかしながらこの答えはまだ自分にはわからない。だが人生を歩む中で、いつかきっとわかる日がくるのだろう。

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