2020年6月、私は「適応障害」になった。 上記を理由に現在休職中であるが、良くも悪くも考える時間、自分と向き合う時間が増えたので、備忘録も兼ねて自分の「これまで」と「これから」について書いていけたらと思う。 まずは自分自身の現状について。 適応障害とは適応障害をざっくり言うと、ある特定の出来事や状況がその人にとって重度のストレスとなり、心身の不調をきたす病気である。 私の場合は、この半年で職場環境と生活環境の両者が大きく変化したことが適応障害の原因と思われる。 職
前回は高校生時代の自分を振り返った(以下記事)。 高校生編でも書いたが、進学した大学は第2志望の大学であった。第2志望の大学ではあったものの、入学前は初めての一人暮らし生活やキャンパスライフにワクワクしていたのを覚えている。実際はバイトや連日友達との飲み会など大学生らしい大学生活をしていたと思う。大学での5年間(1年休学して留学してました)は、いまの自分を形成する軸となった期間であったと感じている。 ニューヨーク留学私は3年生になる年の1年間を休学してアメリカのニューヨー
前回は中学生時代の自分を振り返った(以下記事)。 小学生、中学生時代の友人とは私が地元を離れたこともあり今では疎遠となってしまったが、高校時代の友人とは今でもちょくちょく会ったりしている。つい最近も今流行りのオンライン飲み会でバカ話をしたばかりである。社会人となった今でも学生時代と変わらない空気感で喋る環境があるのは非常にありがたいと思う。 この場を借りて、いつもありがとう. 中学校を卒業してからは、家から自転車で10分ほどの距離にある公立高校へ進学した。そこそこの進学
前回の小学生時代(以下)の振り返りに続き、今日は中学生時代を振り返る。 前回の小学生時代と比較すると、中学生時代については記憶の新鮮さも少しはマシであると思う。まあ、それでも15年も前のことになるのだが…笑 小学校を卒業してからは、私は学区内の公立の中学校へ進学した。小学生時代の親友は中学受験をして見事受かったので、学区外の私立の中学へ進学した。そのため、中学校入学当初は非常に不安だったのを覚えている(この不安も入学当初だけですぐに慣れていくのだが)。何かを始めるとき、私
前回のNoteで適応障害になったこと、また暫く休職することを書きました。 休職中の過ごし方として、一旦仕事から離れて心身を回復させることは勿論ですが、自己理解のためにも自分自身の「これまで」について整理していけたらと思っています。 まずは小学生の頃の自分について最初に振り返っていきます。が、20年前のことなので記憶が曖昧な部分も多いですが…笑 小学生低学年のとき小学生低学年の時の私は、昆虫が大好きな虫取り少年でした。夏休みに祖父の家に行った際は、裏山で昆虫採集に明け暮れ