【価値創造の根源】経営判断の質的向上には会議室から「ゾウ」を撲滅せよ
TAKA(@Murakami_Japan)です。今回は日本をよくするために変えていく必要があるテーマの一つについてです。ずばり「会議を変えれば日本が変わる」。ビジネスは現場で起きている、その現場の一つである「会議」に注目してみました。
よく「エレファント・イン・ザ・ルーム」と言われますが、今日はそれについて徒然に書いてみたいと思います。重要な会議において、どう考えても「おかしい」と思うことに目を瞑って議論が進んだり、意思決定がされてしまうことを言います。
Elephant in the room
「見て見ぬふり」「誰もが認識しているのに、触れないこと」という意味のイディオムです。その状況を、どう考えても無視できないほど大きな「ゾウ」は、当然みんな気付いているのに、誰も気がついていないフリをするといこと。わかりながら見過ごしてしまうという有り様を指します
こういった「見て見ぬふり」を続けているのは、大きな損失であることは言うまでもありません。ただ、この問題、元々の語源が英語なぐらいですから、海外でもよくみられる風景で万国共通の現象だと思います。どうしてこうなってしまうのでしょうか。
また、こういう状況って日本だと、他の国よりもよく陥りやすい気もします。実際のデータがあれば見てみたいので、是非コメントなんかで教えてもらえれば嬉しいですが、今回は
1)そもそもなんでこういう状況に陥ってしまうのか
2)日本には「ゾウ」が多い気がするけど、なんでなのか
について考えてみたいと思います。
「ゾウ」の存在を指摘するって?
「誰もが認識しているのに、触れないこと」を回避しているわけですから、それができる人・雰囲気というのは、認識できるか否かが問題ではなく、認識していることをしっかりと指摘するということだと思います。各人が認識し、考えていることをしっかり発言できる雰囲気がしっかりと情勢できていれば、「ゾウ」は日本の会議室からいなくなることになります。
KY(空気読めない・読まない)であれば良いと言いますが、そういうKYな人が会議室に1名でもいれば、解決という風に考えてしまいがちですが、そういう人がいるかいないかに依存してしまっていてはいけません。
「ゾウ」が存在し続けてしまって背景を探るには、各人がKYでいられないという要因に注目する必要があります。
なぜ見て見ぬふりをするのか?(「ゾウ」の生息地はどこ?)
アフリカやインドです。そのはずなんですが、世界中、日本にも動物園以外にも数多くの「ゾウ」が発見されてます(実際は気づかないフリw)。どの辺(の会議室)に生息しているのか、って類型化するのが意外と難しいです。今回思い切って3パターンに分類してみました。
①大人数
人数が多い会議室だと各個人が気がついていても、大人数の中ではなかなかKYでいることは難しくなりますよね。
②天皇がいる
人数に関わらず、その会議室で明らかな権力者がいるケースも、その権力者の顔色をみてしまい、なかなかKYではいられないですよね。
③予定調和
会議の進行や、そもそものセットアップ自体が参加者にとって予定調和であれば、それを乱すのはかなり勇気が必要です。当然KYではいられなくなりますよね。
「ゾウ」を見過ごしてしまう背景
さて、先ほどの分類にそって「ゾウ」が存在し続けてしまう要因について考えてみたいと思います。
①大人数
人数が多い会議については、2つの要因を意識して考えてみます。意思決定のプロセスにおける位置付け(曖昧さ)、あと議論のための情報の非対称性の有無です。
意思決定プロセスの位置付けが曖昧であると、どの程度クリティカルなコメントをして良いか迷うと思います。もうほぼ決まりかけている場合に、クリティカルなコメントをするのはかなり勇気が入ります。
情報の非対称性が多く存在する場合は、全ての情報を知らない立場ではコメントは非常にしづらくになります。前提条件が変わると結論が変わることは多く、前提条件を正しく理解していない中では、頭の良い人ほどコメントするのを躊躇うことになります。
②天皇がいる
これは一番典型的ですね。どうせ決めるのは一番偉い人だから、発言する意味を感じない。むしろ変な発言をして睨まれても何の得もない。という構造に陥ってしまっている会議では「ゾウ」は大量発生します。
③予定調和
これもそうです。会議の位置付けが予定調和であり、すでに結論が決まってしまっていると皆が感じている場合です。似た様な状況として、カルチャー自体が予定調和である場合も同じです(いつも変更なく決まる癖がついている)。
予定調和になるパターンは結論ありきやカルチャーがありますが、その状況を生み出す要因として分担された組織運営をしている場合があります。複数の組織(部署)が集まって議論する会議で、他の部署が提示した内容をそれ以外の部署が「ケチ」をつける様なことが難しい場合です。それぞれの部署ごとに聖域ができてしまい、その聖域を超えてKYな発言することが非常に難しくなります。
日本の会議(や意思決定プロセス)あるある
こういう会議をしてしまっていないでしょうか。
・とりあえず大勢会議に招待してしまう
・意思決定プロセスがルール化されておらず曖昧
・会議の位置付けが曖昧(i.e.情報共有?、議論?、意思決定?)
・参加者に議論や判断に必要な情報が事前に共有されていない
・参加者が準備をせず(必要な情報に目を通さず)参加している
・トップ(天皇)が常に意思決定を握ってしまっている
・起案者の意見を否定することがタブー視されている
・部署別の連携が取れておらず、各部署が聖域化されており、全体会議が報告・共有の場に陥ってしまっている
こういう会議が日本企業には多いと思いませんか?このnoteを読んだ方のほとんどに思い当たる節があるなら、それは日本の会議において「ゾウ」が多いということを示していると思います。
「ゾウ」を会議室から撲滅するためにすべきこと
日本人が奥ゆかしいから、あえて空気を読んでいる=「ゾウ」がいるんだという意見もあるでしょう。でも私は全くそうは思いません。外人もちゃんと奥ゆかしいし、日本よりも奥ゆかしい国もいくらでもあると思います。
上記の中で真っ先にやるべきことは、最初の4つだと思います。後の4つはすぐに変えるのが難しいし、簡単でない場合もあるでしょう。以下の最初の4つは実はそれほど難しくありません。
・とりあえず大勢会議に招待してしまう
・意思決定プロセスがルール化されておらず曖昧
・会議の位置付けが曖昧(i.e.情報共有?、議論?、意思決定?)
・参加者に議論や判断に必要な情報が事前に共有されていない
それぞれに共通しているのは、会議のゴール設定の曖昧さです。もし仮に全ての会議が以下の3つを必ず実施していればどうでしょうか。
1)方針や究極的なゴールが都度明確になっている(※会社が成長するための意思決定をしよう、全てのステークホルダーにとって最善の意思決定をしよう、等)
2)会議のセットアップの時点で、情報共有か、議論か、意思決定かが明確であり、都度冒頭に位置付けが明確にされている
3)議論や意思決定をしたいのであれば、必要な情報を事前に共有する
これだけで「ゾウ」はいなくなりません。後半の4つも変えていく必要がありますが、かなり「ゾウ」の数は減るでしょう。他の国よりも文化的に「ゾウ」が大量発生している様に感じるのは、後半の4つができていないこと以上に、前半の4つを軽視しやりきてていないことに原因がある様に思います。
日本人の良い意味で「曖昧さ」を尊重する文化が、会議やビジネスのシーンでは上記の様な「曖昧さ」に繋がり、結果「ゾウ」が多く発生してしまっていると思います。
会議室から「ゾウ」が撲滅されれば日本は変わる
たかが「ゾウ」、されど「ゾウ」だと思います。私は、日本は技術や資金力で世界の後塵を拝してしまったとは思っていません。そんなことよりも、一つ一つの会議の生産性や意思決定の質が足を引っ張ってしまっている影響が思いの外大きいと思います。これが経営会議や取締役会など重要な意思決定の場でも行われてしまっているとしたら、それは企業価値へ甚大な影響を与えうるということは容易に想像されるでしょう。
1つ1つの会議から「ゾウ」を撲滅し、生産性の高い会議、正しい意思決定に近く会議になっていけば、日本のビジネスや経営の現場が大きく変化する様に思います。究極的な意思決定の場は、経営会議や取締役会ということになるでしょう。ここに「ゾウ」が発生しないためにもガバナンスを強化することも大事ですが、日常的な会議からも「ゾウ」を減らすことが重要だと思います。
当然、色々と経営戦略や資本政策など大事なことは他にも多々ありますが、実はそれ以上に日々繰り返される会議室から「ゾウ」を撲滅する意義は大きいのではないかと考え、このようなnoteを書いてみました。
ご賛同いただける方がいれば、今日の会議から取り入れてみてください。たかが会議と思わず、日々「ゾウ」撲滅に向けて最善の準備と最大限の当事者意識で望めば、日本も大きく変わると信じています。
追伸)
今回の「ゾウ」の写真も私が以前撮影したものです。大自然にいるだけではなく、人工物に混じって大量のゾウが雑然と歩いている感じが、「エレファント・イン・ザ・ルーム」のイメージにぴったりだと思って選定しました。
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