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アーユルヴェーダセラピスト・講師 ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保管福祉士) サ…

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アーユルヴェーダセラピスト・講師 ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保管福祉士) サンスクリット語・ヴェーダーンタ勉強中

最近の記事

相談援助の理論と実例

夏は、国家試験半年前ということで、福祉大学や専門学校ではスクーリングを行って事例研究・対面の相談援助(カウンセリングや相談支援の方法)・専門職としての行動規範などを学びます。 わたしも4年前は社会福祉士のためのスクーリング、3年前は精神保健福祉士のためのそれに参加し感動したことを覚えています。 支援を必要としている人の難しい事例に出会ったとき、いわゆるスーパーバイザーという自分の信頼を置ける専門家の意見を聞きながら、最善をつくしていくことは、チームでの山登りのようです。一歩一

    • 自立とは

      娘(21)が家出した。 突然、でも突然じゃないかな、でも突然かもしれない。 いま帰る、というラインを最後に、帰らなくなって1週間。 わたしは朝と夜、家にいるとパニックになり、しんどくて眠れない。 だって、着の身着のまま、いなくなったから。 洗濯ものも干してあるし、好きな食べ物も買ってあるし、お部屋も 暖かくしてるし、布団も干してるし、お風呂もすぐ入れるのに、 いない。帰ってきたかな、と物音ですぐ起きるから、眠れない。 帰るって言ったよね? 嘘? 待ってるんだけど。と何度も連

      • 誕生日によせて

        誕生日は、インドのお寺で過ごしてます。 というのは夢です。 ✴︎ 先日、トゥバ共和国からチルギルチンというホーメイのグループが来日し、わたしも聴きに行くのにだいぶ前から楽しみにしていました。なんと、そのためにインドから服を買ったり。 ところが、年に一度の、大事な手が抜けない行政の絡む仕事が重なり、それにフルコミットし完全燃焼の心身消耗。疲れすぎて不眠。 なんと、チルギルチンのライブには、とても行ける体調ではなくなり、誘ってくれた方々やチルさんたちにはごめんなさいでし

        • 必然ということ

          毎日がめまぐるしく変化する。 けれど、変化しているのは自分なのか、自分をめぐる環境なのかと 考えたとき、自分を含める環境は変化するけれど、「変化しないもの」 も確かにあり、それは絶妙なタイミングで姿をあらわす。いわゆる必然 ということ。 運命のタイミングであり、ずでに決められている瞬間であり、歓喜と狂気、絶望と希望、それらのどちらも与えてくれるお計らい、のような時間。 すべて、宇宙の法則、それだけなのだ。 だから必然でしかない。 ということを、客観的にとらえたとき、感動と感

        相談援助の理論と実例

          spiritual

          先日、ジャン・リュック・ゴダール監督が亡くなった。 わたしが20歳ごろ(1990年)フランス映画や文学にはまっていて、ゴダール作品は映画評として長い文章を残したことがある。映画や音楽の評論家みたいな人になりたいと思ってた。いつもレコードと詩集を持って、黒い服とベルボトムとサングラスと、煙草とお酒と、夜の渋谷が大好きだった。フランスが好きというより、ヨーロッパの文学、絵画、映画、音楽、を狂ったように吸収したくて、TOKYOのなかで彷徨っていた。それは、TOKYOだからね、そん

          自分を分類する

          自分で自分を分類するなよ 自分は不明瞭な何か という、あるアーティストの新曲の歌詞が聴覚優位の朝。 わたしは自分を分類したばかりだったから。 自称生きにくい、のと他称変わり者、のレッテルが幼少期からあって それは逆手にとればいいと表現の世界にいた青年期から、 いま中年になり、「自称生きにくいと感じている、他称変わり者」 をサポートする職業についた。 最近、また「生きにくい」。 半年くらい鬱々として、頭の中が整理できなく、人の言動に「なぜ?」 という疑問ばかりが積み重な

          自分を分類する

          聖典の中より

          18章、700詩節以上あるBhagavadgitaを、サンスクリット語から読解したり、根幹にあるヴェーダーンタの教えとして伝統的に教授していただいています。 最初は、言葉についていくのが精いっぱいでしたが、この頃は文法もひも解けるようになり、ヴェーダーンタの教えとして、自分を知ること、自分の生活の仕方、人生の目的とゴールの指標として学んでいます。 物語好きな少女時代から、壮大な物語は大好きです。 が、ギーターやラーマーヤナは、聖典の分野に入るということも知り、物語の筋を楽

          聖典の中より

          日曜日のchanting

          お祈りやプージャーは毎日しますが、曜日によって唱えたほうがいいとされるお祈りがあるそうで、今日は日曜日なのでAdityahrdayamを。 このごろ人間関係のストレスが強く、また眼もよく見えなくて、少し精神的に参っています。 Adityahrdayamは、ラーマがラーバナとの戦いで悩み、力を失ったときに聖者アガスティアから授けられたストートラムです。 また、眼、見える力をつかさどるデーヴァターが太陽です。 わたしにも、アダルマに立ち向かうパワーと平静なマインド、判断力、行動

          日曜日のchanting

          ベジタリアンであること

          2年ぶりに帰省した。 お昼をお寿司にしましょうと母が言うので、ほかの人はどうぞ、わたしはかっぱ巻きかかんぴょう巻きか、お魚抜きで、という。お肉もお魚も卵も食べません、と何年も言ってるのに、こういう時には、都合のよい解釈で、批判してくる。 たんぱく質を取らなきゃダメよ!と。説明しても伝わらなく、また次の食事の時は同じことの繰り返し。 そもそも、毎日の仕事でも人と食事しているわけで、食べられないものは残すしかない。動物性のもののほかに、五くん(玉ねぎ・ニンニク・にら・らっき

          ベジタリアンであること

          相談援助の理論と方法 

          相談援助の理論と方法 2018年8月提出分 「利用者とのコミュニケーションにおける同情と共感について」違いを述べよ。 1、相談援助場面での利用者とのコミュニケーションにおける同情と共感の違いについて述べる。 相談援助場面で、援助者は利用者に対して、最善の援助に向かうため信頼関係(ラポール)を築く必要があり、様々なコミュニケーションを介す。 援助者は、固定概念や自分自身の価値観をおしつけずに、利用者が今の状況を「どのように感じているか」「どのように考えているか」「どのよ

          相談援助の理論と方法 

          川村兼一さんのこと

          ピリカ関東の、川村さん追悼文集に依頼されて、書いた文章です。 ☆ この原稿を書いている9月20日、兼一さんの思い出を手繰っている最中、 東京中野の沖縄料理店あしびなー店主、金城吉春さんの逝去が報じられました。 東京で、アイヌと沖縄の人々が集う30年にも渡って続けられてきた、チャランケまつりの創始者です。  兼一さんも、吉春さんも、その人生を民族の復権のために、民族のことばにこだわり、芸能に託し、まつりを愛し、わたしたちを愛してくれました。   2013年、いつも祭りを

          川村兼一さんのこと

          ヤイサマ~かなしいうたがききたいぜ2013Vrs.~

          ヤイサマ~女たちへの哀歌~. かなしいうたがききたいせライヴヴァージョン (唄ヤイサマ   敦子、律子唄いながら、客席から登場。黄さん吉春さん板付き。 鈴と鉦で、死者を呼び込むような黄さんの演奏。朗読はじまる) もうこれ以上遅くやってきてはいけない という この島の呪い言葉のように やってきてはいけないことは いけないことは いけなくないこと 引き剥がそうとしても境目のない あの島に眠る二枚貝のように それはまあるいまあるい形のまま そう この貝は毒があるから気を付け

          ヤイサマ~かなしいうたがききたいぜ2013Vrs.~

          2021年3月の記事 わたし暦が明けた、おめでとう

          以前使っていたjugemのblogが急に閉鎖し、blog書きたいと放浪し、Wixにたどりついたけどなかなか使いにくく、jimdoHP内のburogは500文字までしかかけず、今日noteに着地しました。 のでwixに書いたものを再掲したおきます。 写真は、2014年の南インドケララ、ツインアヴィヤンガの研修風景 〇 立春もすぎ、わたし事ですが3年間の受験生活が昨日終わりました。 任務終了、ミッション終了、やるべきことをやった。 つきましてひとつの時代も終了、新しく

          2021年3月の記事 わたし暦が明けた、おめでとう