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ヤイサマ~かなしいうたがききたいぜ2013Vrs.~

ヤイサマ~女たちへの哀歌~.
かなしいうたがききたいせライヴヴァージョン

(唄ヤイサマ 
 敦子、律子唄いながら、客席から登場。黄さん吉春さん板付き。
鈴と鉦で、死者を呼び込むような黄さんの演奏。朗読はじまる)

もうこれ以上遅くやってきてはいけない
という
この島の呪い言葉のように
やってきてはいけないことは
いけないことは
いけなくないこと
引き剥がそうとしても境目のない
あの島に眠る二枚貝のように
それはまあるいまあるい形のまま


そう
この貝は毒があるから気を付けて
満月に咲き乱れる
デイゴの花びらのように紅にうち震え
今ここ
と口伝えに囁くけれど
この毒は心あしき人々の政であり
幻にすぎないのだから
もうこれ以上遅くやってきてはいけないとともに
もうこれ以上死んだ者の名前を
貝殻に刻むのもいけない

ああ
うち震える二枚貝は何を語らんか
過去からさかのぼり
いくつものいくつもの戦いの犠牲になり
いつの世もいつの世も土に還り海に還り
戦いの中に人間の悦びを知らずに散った女たちの身体を
慰めることを知らないまま
そういう
毒という毒がまだ
息吹き悶える
今ここ

美しい娘だった
神の言葉しか唄えなかった
それが島のはじまりだったのに!

もうこれ以上遅くやってきてはいけない!
というこの娘の叫びのように
それは
いけないこと、
いけなくないこと
いってもいいこと?

みてもいいの?おかあさん
あけてあけて開かずの物語を!

この扉はあけていいの?
一本のアダンの木もない
奪いつくし焼き尽くされ焼けただれ
なにもない土地に
口を開けたガマからは
五月の青空
糸のように儚く
産まれなかった赤子たちの
そのまた母たちは
子守唄さえ唄えず
三つ編みの影から
島の少女たちが恐れたのは
黄色い顔の兵隊であり
娘は死んでいないと死なない死なないと
散り散りに逃げ惑う母は
祈る祈る痛い痛い太陽の赤に

あっちの扉はあけていいの?
そこにいるのは
マリーとヘンリーかもしれない
ああ
さとうきびを剥いていくように
名前をいくつ変えれば
名前をいくつ変えれば
いつの日にか仮面を剥いて剥いて
むいた仮面を脱いで脱いで脱げるのか
やぶれかぶれて血の布団を敷いた上で
マリーはマリーの子どもたちは裸の名前を
名前を誇りに思えるのだろうか

戦争は平和と隣り合わせではなく
ただただ狂っているとしかいえない
狂っていることしか知らない
ここにいるひとりの女もまた
狂っている政と書物しか知らない

この女 眼をあけながら盲目の杖を
遠くのばして南へ南へ
過去と未来を
行ったり来たり
うろうろしてみんとする、すなわち跋扈する今日二〇一三年六月二十三日
歴史という蠢く貝にはさまれて脚をのばすヤシガニのように
ざわざわ
ざわざわと
もう
これ以上遅くやってきてはいけない

[黄さんの鈴と鉦で舞台は転換]

ムーダン(朝鮮の巫術士)…黄
沖縄戦で死んだ女ナビイ… 敦子  沖縄戦で死んだ男サンルー・・・吉春
楽師・・・律子  うちなーぐち監修・・・當眞

ムーダン 降りてきた!降りてきた!お前は名をなんと申すか!(☆1)

ナビイ  はい、唄と三線がきこえて降りてきました。
     わたしは、ひめゆり学徒隊のナビイ(☆2)でございます。

ムーダン お前は名をなんと申す!

サンルー わんねー、南風原(へーばる)津嘉山(ちかじゃん)ぬサンルーやしが。六十八年め、うちなーぐちちかてぃスパイんでぃちいらってぃ日本兵いんかいくるさった。(☆3)わんびかぁやあらん。ちかじゃんぬどうしぐわタルガニーん、うちなーぐちちかてぃスパイんでぃち、くるさったん!  

ナビイ  サンルー?六十八年ぶりに会えたあたしのサンルーよ。きいてください。あたしはね、野戦病院のガマで強制集団自決させられました。友だちのカマドウはね、摩文仁に逃げてって崖から飛び降りました…(☆4)

サンルー あんどぅやたんな!
     わったー、うちなんちゅぬぬちんでぃしぇ、ぬーやたるばーがー!

ムーダン 六十八年ぶりに降りてきた恋人の霊魂たちよ。今宵は、歌って踊って、みんなと心置きなく過ごすがいい。命のお祝いをしましょう!(☆5)

曲・唄 律子 吉春 「白雲」(☆6)


女は
できるだけできるだけ詳しく
戦争のことを知りたかった
どうして
ガマの中で
生理を止める薬を飲んで顔のない兵士の看護をしながらそれが任務だといって
あの琥珀色の美しい海で恋も語れずに熱く恋人を抱かずに冷たい手榴弾を抱いて死んだのか
ひめゆりの女たちよ

どうして
金色の髪を振り乱し白い大きな鼻を広げ兵隊は服を脱がずにズボンのチャックだけあけて
おまえの悪魔のような性欲のために女の胎内をかきむしり二度と孕むことを許さないのか
ああ慰安婦の女たち

どうして
民は裸になって言葉を土地を名前を
奪われふるさとを失わなければならなかったのか
どうして
母は銃撃の雨のなか子を抱き
子に覆い伏して守り死ななくては
ならなかったのか
女は女であることをやめ
人形のように
あの断崖から飛び降りなければならなかったのか
どうして
どうして

戦争は戦争は戦争は
この扉を
開けてもいいかい?
できるだけくわしく知りたいのだ
戦争と戦争と戦争と
戦争はどこを切り取っても戦争で
何度叫んでも戦争で
女はこの階段から
どうして
という一歩一歩を登ったり降りたりするしかない

もうこれ以上、遅くやってきてはいけない
というこの島の祈りのように
もう階段を
上り下りするよりも
もうこれ以上は
どうして故郷を思わざるか
母殺し子殺し
女殺し
満月の照らす東京
この階段の一段一段に記憶があるとすれば

歴史の毒
そのまあるい二枚貝の毒は
真実という名前であったのだ

(唄ヤイサマ)


注・ヤイサマとは、アイヌの即興哀歌。地方や謡い手の家系によって節も様々に伝承される。亡くなった魂や愛しい人へ向かって、鳥よ風よ、想いを届けておくれ、と謡う。(2013、5)

※二〇一三年六月二十三日の「ライブかなしいうたがききたいぜ」にて朗読。
白石かずこ著「もうそれ以上おそくやってきてはいけない」(一九六三年思潮社)より参考にさせていただきました。



☆1 朝鮮のムーダンは、降霊が悪霊の場合もあるので、強い口調で問う。
☆2 ナビイ、サンルー、タルガニー、カマドウは、沖縄の代表的な名前。
☆3・4 史実に基づく。女性は男性に常に丁寧語を使った時代。
☆5 「生きている命のお祝いをしよう」コメディアン小那覇舞天さんの言葉。エイサーの心。朝鮮半島と沖縄の死生観のよく似ている点を、ここでムーダンは指摘する。亡き者と生く者が芸能を介し て交わり、ふたたび天へ送る、という観点。
☆6 八重山民謡 離れ離れになった恋人を謡う。歌詞はヤイサマと同じく「鳥よ、わたしの想いを届けておくれ」など。

※吉春さんのセリフ 日本語訳
わたしは南風原、津嘉山のサンルーだ。六十八年前、うちなー口を使ってスパイだといって日本兵に殺された。俺だけじゃない。東風平の友人、タルガニーもうちなー口を使ってスパイだといわれ殺された。

そうだったのか!俺たち沖縄人の命はなんだったのだ!


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