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ベジタリアンであること

2年ぶりに帰省した。

お昼をお寿司にしましょうと母が言うので、ほかの人はどうぞ、わたしはかっぱ巻きかかんぴょう巻きか、お魚抜きで、という。お肉もお魚も卵も食べません、と何年も言ってるのに、こういう時には、都合のよい解釈で、批判してくる。

たんぱく質を取らなきゃダメよ!と。説明しても伝わらなく、また次の食事の時は同じことの繰り返し。

そもそも、毎日の仕事でも人と食事しているわけで、食べられないものは残すしかない。動物性のもののほかに、五くん(玉ねぎ・ニンニク・にら・らっきょう・ねぎ)も食べないし、キノコも食べない。缶詰め、冷凍食品も。

理由は、好き嫌いでなく、根拠がある。

わたしはアーユルヴェーダのセラピストで講師であるので、その実践者であるために、食事がいかに大事かをお伝えするために、行動しているだけ。好き嫌いの偏食ではなく、サットヴァである心身のために必要なことをしているだけなんです。ということが、一般の人にはなかなか伝わらない。

他にもあります。

作り置きしない。作ってすぐ、全部食べます、もちろんお祈りしてお供えしてからね。なので、食べきれる分しか作りません。

アルコールもとりません。思考の混乱を避けるためです。またpittaも上がるので、眼のためにもよくないのです。

そういった食生活は、ほんとうに慎重で、でもルーティーンになるととても心身が軽く、感覚も研ぎ澄まされ、消化も常によく、記憶力や判断力もさえています。講師としても、身体をはって、アーユルヴェーダの智慧をおつたえできます。

じゃあ、アーユルヴェーダは肉食がNGなのか?というと、お薬としての食べ方はチャラカサンヒターにあります。

じゃあ、たんぱく質は?という質問も多く、野菜や穀物にふくまれるたんぱく質で十分だということも言っておきましょう。

それじゃあダメだ、いのちに感謝して肉も魚も、という人もいます。動物殺して感謝は難しいですね、また、殺されるときの恐れや怯えの感情が、その血液やお肉の中に組み込まれていますから、それを食することは?と考えると怖いですね。

という説明を、数えきれないほどいろいろな人にしてきてもなお、実家の母が一番理解できないという皮肉。以前はそれで怒っていたのですが、今は、何度も言うしかない、という想いしかない。だって、アーユルヴェーダって言葉すら知らない人だから、自分の価値観でしか図れないんです。

自分の価値観でしか世界は図れない、のはお互い様だとしても、特別に食事の価値観からヴェーダの価値観を共有できる人と過ごしたいものです。




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