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必然ということ

毎日がめまぐるしく変化する。
けれど、変化しているのは自分なのか、自分をめぐる環境なのかと
考えたとき、自分を含める環境は変化するけれど、「変化しないもの」
も確かにあり、それは絶妙なタイミングで姿をあらわす。いわゆる必然
ということ。
運命のタイミングであり、ずでに決められている瞬間であり、歓喜と狂気、絶望と希望、それらのどちらも与えてくれるお計らい、のような時間。
すべて、宇宙の法則、それだけなのだ。
だから必然でしかない。

ということを、客観的にとらえたとき、感動と感謝しかない穏やかなマインドになれるのだが。
実際は、まあ、揺れ動くこと限りなし!!のマインド。
感謝感動より、イライラと混乱の多い毎日のお仕事現場。
いや、だから、そのイライラと混乱も必然なんだって、わかっちゃいるけど
ね。わかっているのに、交感神経はバクバクして不眠になったり。
わかっているんですけどね。

わたしと、あの人は、仕事に対するモチベーションや専門知識の理解に差があって、とんちんかんなことをしたり言ったりやったりしてるあの人にイライラしたり、じゃあ教えてあげようかと思ってる自分が何様なんだと落ち込んだり、こんな職員同士の職務に対する温度差があるんだから、上司に何とかしてくださいって、あいつを辞めさせるか、わたしが辞めるかどっちデスか!!と吠えたり、オレオレってオレ主体の仕事のルーティン作るなよ、主体はね、この業界の主体はね、あんたじゃないんだよボケっ!

という、いわゆる、ソーシャルワーカーが向き合うのは、社会的な弱者である方たちなんですが、わたしは一般職員もリードしなくてはならない立場であり、そっちのほうが大変で激しくハゲそうである。ひどいストレスである。ボケっ!と心の中で、毎日。時々、喉からこぼれだし、エアーやつあたりする。

「利用者主体」「権利擁護」「信頼関係」
ソーシャルワーカーが、現場で、動く時の鉄則。
現場の主役は利用者さん。
その方たちの権利を十分に、すみずみまで擁護しましょう。
わたしと利用者さんの唯一無二の関係をつくりながら。

これが難しい。勉強不足の職員が、現場で「自分の判断で」
「自分のルールで」「自分を擁護して」「関係は作らない、距離を置く」
そのような言動が見えると、支援とは言えないのですよ。

とはいえ、このようにおバカなことをしているボケっな人が
いるからこそ、いるからこそ、大事なことが浮き彫りにされます。
だから、こんなに交感神経がちぎれるほど身体がきつい日々なのに、
やはり、このめぐりも必然なんだと、思うのです。

わたしに、
人権
権利擁護
という言葉をおしえてくれた先輩が、先日、闘病の末、亡くなったのですが、小さき弱きものに寄り添い、大きくて強いものに抗った、とても大きな背中を見せてくれる方でした。

このごろ、つくづく、わたしもそういう人になりたいと思う。
昔は、もの書いて売れたい、とか、社会福祉士になりたいとか、ちょっと前までは、サンスクリット語を教える人になりたいとか、そういう職に対する憧れは強かったけれど。考えてみたら、そんな仕事をしてようが、してまいが、大統領になったって乞食だからって、関係なく!弱いものに小さいものに視点と心をあわせられる、そのような人になりたいものだと、思うのですよ。

こう思うのも、思うようになった、のは必然なんでしょうね。



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