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わたしに書かせてください。わたしに息をさせてください。

平凡。いや、それ以下の人間だった。


幼いころからうんていやのぼりぼうができず、8+6の足し算は必ず間違え、逆上がりができないまま大人になってしまった。

母が与えてくれたドリルも、ほぼ解くことができないまま、何度もゴミ箱行きになった。


そんな中、母が買い与えてくれたもので手元に残っていたのは、数々の児童書だった。

児童書は、いつだってわたしを知らない世界に連れて行ってくれた。


主人公の横で、ハラハラする冒険をたくさんした。

本を読んでいると、退屈な時間はあっという間に過ぎた。


勉強も、平均よりちょっと下ぐらい。

唯一、ちょっとだけ国語が得意だった。


難しいことを考える人がいるんだなぁ、とか、こんな昔から文章で思いを綴る人がいたのだなぁ、とか。

国語の時間は、退屈な授業の中で楽しいと思える時間だった。


小学生の時に書いた課題文で、保護された犬や猫の行方を知った時は怒りにまかせて書きなぐったら、それがクラスのみんなの前で読まれてしまった。


その時から、ちょっとだけわたしは文章が得意なのかもしれない、と思った。


中学生の若気の至りで、想像力を有り余らせていたわたしは小説を書いていた。

来る日も来る日も小説を書き、ファンタジーの世界に浸っていた。


小説で見た、〇〇大賞。

そこには、賞金100万円と印字されていた。


小説家になれたら、きっと幸せだろうな。

少ないお小遣いをはたき、何度も原稿用紙を買い足した。


だが、学生生活の忙しい時間に飲まれ、その小説は一度も日の目を見ることがないままゴミ箱行きとなった。


高校生になり進路を担任に問われたとき、当時ゲームにハマっていたわたしは「ゲーム会社に就職したい」と答えた。

わたしも、このワクワクを届ける側の人間になりたい、と。


担任はわたしの話を聞くなり、苦笑いをした。

「普通科に来たのに、ゲーム会社に就職したところで何ができるんだ」


そりゃそうだよな、と膝の上で小さく握られた自分の拳を見つめた。

普通科に来たわたしに、ゲーム会社でできることは何もない。


示し合わせたかのように病気にもなり、わたしの将来を心配した両親に言われるがまま、公務員の道を目指した。


合格ラッシュの同級生を横目に、公務員試験の勉強を続ける日々。

あの時のわたしは、ガリ勉そのものだった。


人より劣っているから、人の倍努力しなければいけない。

みんなが卒業を控えて放課後を楽しむ中、一人専門学校へと足を運んだ。


公務員への道も、簡単なものではなかった。

わたしの希望した職種はただでさえ採用人数が少なく、椅子は取り合いだった。

あっけなく現役合格を逃したわたしは、翌年もチャレンジするために浪人を決めた。


親に頭を下げて借りたお金の返済と、生活費を工面するためにアルバイトもはじめた。

来る日も来る日も勉強をした。

こんなに勉強したことはないぐらい、勉強をした。


それでも、結果は届かなかった。


心身ともに疲弊したわたしは、両親の反対を押し切り、一般企業へ就職した。


そこからは、ようやく視界が開けたと思った。

文章を書く仕事に運良く就くことができて、素敵な先輩と一緒に働くことができて幸せだった。

一生、この仕事で食べていくと思っていた。


それなのに。

突然の事業廃止により、わたしたちは解散となった。

会長のお心遣いによりグループ会社に移籍となったが、畑違いの職種でうまくやっていけるはずがなかった。


病気の悪化と期に、退職。

だが、再就職も簡単ではなかった。


在宅で、とはじめた仕事も、稼げたものではなかった。

貯金は枯渇し、21歳にして生活保護を受給することになった。


このままではいけないと、ハローワークに足を運んだ。

難病サポーターは、病気が安定してからでもいいのではないかと助言した。


でも、病気が安定する保証なんてない。

だから、無理を言って就活をおこなった。


なんとか滑り込みで入社した会社は、通勤に1時間もかかるところだった。

はじめての事務仕事で慣れない日々が続いたが、それでも生きていくために働き続けた。


でも、それも長くは続かなかった。

疲労とストレスが原因で、病気が悪化した。

そして、新たな合併症も発見された。


今度こそ、働くことが難しいことを悟った。


だるく疲れやすい身体。めまいでぼんやりする頭。

毎日通勤なんて、できたものじゃないと思った。


悪いことは続けて起こるようになっているようで、仕事はコロナの影響を受け、次の派遣先も見つからなくなった。


次の働き口を探す中、不意に書くことを仕事にすることが脳裏によぎった。

それなら、在宅でもできる。


彼にも相談した。

傷病手当金を受け取っている今なら、チャンスなんじゃないか。

彼はそう言い、背中を押してくれた。


タンスの肥やしになっていたMacBookを引っ張り出し、クラウドソーシングサイトに登録して、さまざまな仕事に応募する日々。

しかし、運良く案件をいただけても、それ一本で食べていくには程遠い金額しか稼ぐことができなかった。


きっと、賢いライターはオンラインサロンに通ったり、スクールに通ったりするのだろう。

賢くないわたしは、泥臭い遠回りをたくさんして、少しずつ食いつなぐ道を作っていった。


応募数が多く、合格率が3割とされているライターステーションに合格した。

合格率が5%と言われているwebライター検定で3級を取得した。


そうやって、地道に地道に、実力を伸ばしてきた。


そうしているうちにnoteという媒体で、不意に小さく記録が伸びた。

仕事の合間に息抜きではじめたnoteで、自分の気持ちを吐露したことが発端だった。


わたしが思う、書くことについて。

ライターという仕事で、求められることについて。


好きだと思ってはじめた仕事も、理想とは違うものだった。

そんなわたしが、書きたいことを書ける場所。

それがnoteだった。


noteはわたしのサードプレイスとなり、さまざまな人の知見に触れることができた。


noteで発信していく中で、創作の楽しさを思い出すことができた。

わたしの中で閉じてしまった蕾が、もう一度咲こうと頭を持ち上げたのを感じた。

noteでアウトプットをおこなってきたからか、少しずつ文章能力も上がり、仕事にも繋がってきた。


書くことを仕事にするということ。

書くことで生きるということ。


わたしは今、ライターという仕事と、創作という2本の柱で成り立っている。


出来損ないだったわたしに唯一できること。

それは、言葉で想いを伝えることだった。


手先が器用な母。なんでもできる父。絵が上手な妹。

わたしは何もできない、何の才能もないと思っていたけれど、わたしには書くことが残されていた。

橋の下の子供だと思っていたわたしも、創作の力をしっかりと受け継いでいるようだった。


創作を通じて、わたしがしたいこと。


あなたにワクワクを届けたい。

あなたに切なさを届けたい。

あなたをハッとさせられるような、言葉を紡ぎたい。


どうか、わたしに書かせてください。

どうか、わたしに息をさせてください。


わたしから書くことを奪ってしまったら、何も残らなくなってしまうから。


どうか、わたしをスキでいてください。

どうか、わたしと一緒に創作をしてください。


どうか、これからもこの創作の街が、平和であるように。



そう願い、今日もわたしは泥臭く、執筆を続ける。

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