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赤い頬っぺたのりかちゃんの話

はるか昔の話。私は女の子の友達がいなくて、というか男の子の友達も高学年になるにしたがって減っていった。良くも悪くも孤高で勉強ばかりしていた小学生の私の話。

りかちゃん(仮名)という女の子がいた。がりがりにやせこけた私と違って、もう大人っぽい体つきで、私は体育の時間が来るたびにその身体に驚きを隠せないでいた。どぎまぎするのは私だけではないようで、りかちゃんはいつも困り顔をして独りぼっちでいた。窮屈そうな赤いランドセルのことだけは鮮明に思い出せる。

りかちゃんはお父さんもお母さんもいないのだと言っていた。当時の私は子どもがどうやって生まれるのかを理解しないまま、りかちゃんの話をそう、言葉だけで理解していた。それがどういった行為を指すとかそういうのが分かったのは数年後のこと。

「お母さんは精子バンクから精子をもらって、私を産んだの。そうしてお母さんは電車にひかれて死んだんだ。飛び込み自殺。だから両親ともに居ないよ」

言葉の節々はちがうかもしれないけれど、そんな話をしてくれた。多分私が何度もしつこく「りかちゃん家ってどんな家なの?」って聞いたから。分からないことは知りたくて仕方なかった。聞いた後で、私は「ごめんなさい」と謝った。前半部分は正直分かっていなかった。卵子と精子がどうのこうの。でもお母さんが死んだということだけは分かった。

りかちゃんは「いいよ、気にすることないよ、事実だから」というようなことをさらっといった。表情もいつものまま。今思えばそんな言葉はりかちゃんにとっては何の慰めの意味もなかったのかもしれない。どうするべきだったのかは今でもよく分からない。私しか知らないりかちゃんの秘密を抱えて、黒い天然パーマの髪を呆然と見ていた。

今だからはっきりいえるけれど、私はりかちゃんが羨ましかった。大人っぽい雰囲気に知らない言葉たち、それから綺麗な絵を描く人だった。これを美術的感覚に優れているというのかもしれない。

澄んだ青に一筋の淡いピンク。

りかちゃんがつくった作品がどうしても欲しくて仕方がなかった。何か賭けをして、その作品を結果的には貰った。賭けというのは体裁で、きっとテストの点数がよかった方とかそういう私が絶対勝つものを了承してもらった。私の人生の中で一番醜いのじゃないかというぐらいの欲望があった。でも、作品を貰ってみると別にそんなに欲しくなかった気がして、がらくただらけの弟の部屋にしれっと紛れ込ませた。高校生ぐらいまでは確かにあったはずなのに、いつの間にか捨てられていた。私は捨てることが出来なかったから、何故だかほっとしたのを覚えている。

りかちゃんとは中学生になっていつの間にか疎遠になった。今どうしているのかは多分ちょっと調べればわかりそうなものだが、思い出のままにしておきたいので調べていない。

当時ほどの言い表せない罪悪感はなくなったものの、作品を奪ってしまった物理的なことは勿論、りかちゃんに憧れてしまった自分のことがもやもやと何度も私の中を回り続けている。何故かって、この話、私かりかちゃんが男の子なら、「好きな人」であった可能性もあるからだ。そうしたらこんな無茶苦茶なアプローチをしなくたって良かったはずだ。後付けの論理だってわかっているけれど、私の世界はあまりにも狭くてりかちゃんに関する感情があべこべのまま詰め込まれすぎていた。今更過ぎる自己満足の中謝りたいと思うことだってあった。

寒くなると時々思い出す。毎日の塾の帰り道、りかちゃんが赤い頬っぺたをして、坂道の方に向かって行ったこと。物事は勝つか負けるかだけじゃなく、人と向き合うと言葉にできない複数の感情が起こるということ、私はりかちゃんに教わったのだと思う。


グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。