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言葉で人は死ぬということ、言葉は凶器だということ、言葉を軽んじるなということ

とても悲しいことが起きた。

言葉の暴力で、この世を去ってしまった女性がいる。


テラスハウスに出演中の木村花さん(22歳)が死去していた。


僕はテラスハウスが大好きで毎週見ているので、つい先週も元気にテレビに移っている花ちゃんを見ていた。

先週テレビで見ていた人が急に亡くなった、その事実は「死」というものを恐ろしいほどに考えさせられる。


数年前に中学校の同級生が亡くなったときも同じような気持ちになった。

色んな思い出が、命を失ったその人を見ると思い出されては、心臓が握りつぶされるように苦しくなる。


僕らは、気づいたらSNSが普及したり、スマホが発明されたおかげで、”誰でも簡単に”文章を書いて人とコミュニケーションがとれるようになった。


”誰でも簡単に”だ。

”誰でも簡単に”いいことも悪いことも全て、言葉を紡いで文章として人に投げかけられる。

手紙をしたためたり、電話をかけたり、直接会いにいったり、これらと比べて現代のコミュニケーションは驚くほど自由に好き勝手できる。


「好き」という2文字を異性に対して簡単に伝えられる。

逆に「死ね」という言葉も好き勝手に発言できる。


たちの悪いことに、実名ではなく匿名で言えてしまう欠陥が、現代のコミュニケーションには問題としてある。

名前も顔もわからない人に「死ね」だの「気持ち悪い」だの言われて、嬉しい人はいるだろうか。


人に対してケチつけたり、個人的な感情を暴走させて罵詈雑言を投げつけることは許されるのだろうか。

人が死んでしまうことだってあるのに、許されるのだろうか。


僕たちは便利になりすぎたことで、”誰でも簡単に”言葉というモノを軽視しがちな気がする。


言葉を”思うこと”は自由だとしても、”書くこと”は自由じゃない。


もし僕が「死ね」と書いた言葉で、人が死ぬかもしれない。

もし僕が「消えろ」と書いた言葉で、人がこの世から消えてしまうかもしれない。


あなたがもし、人に対して”言葉”という凶器を誤って振りかざしたことで、相手に怪我を負わせるかもしれない。


言葉で人は死ぬということ、言葉は凶器だということ、言葉を軽んじるなということを常に考えて僕たちは生きなければならない。


亡くなってしまった木村花さんに、ご冥福をお祈りします。

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