26歳になって思うこと感じたこと書きたいことは親への感謝しかない。
今日でこの世に生まれて26年が経過した。
誕生日というのはどうも苦手で、人を祝うことは好きだが、どうも人から祝われるのは苦手。
どんな反応していいのか分からないのだ。
もちろん、「誕生日おめでとう!」と言われて笑顔で「ありがとう!」と答えるくらいはできる。
その「ありがとう!」の先には、もう次への「誕生日おめでとう!」へのタイムリミットが始まってしまったと不安な自分がいるのが嫌。
とまぁ、そんなこと考えてる不安な自分もコレはコレで好きなのだけど。
今年も例年ながら、母親からLINEで「誕生日おめでとう!」と言われて「ありがとう!」のスタンプを送る。
と思ったけど、それは今年は辞めた。
ということで、誕生日に前々からやりたかったことを実現した話をしたい。
それは”親に直接会って、感謝を伝えること”だった。
先日、親に会いにいった。
母とは昔から仲がよく、いわゆるお母さんっ子だ。マザコンじゃない。
なんでお母さんっ子なのかは知らんが、母が僕のために命をかけてくれたことは知っている。
1994年の6月8日。梅雨が始まってジメジメした時期。
その日は雨が降っているにも関わらず、蒸し暑く、うだるような暑さだったそうな。
そして、午前3時に僕は生まれた。
母は僕のことを帝王切開で産んでくれた。
「腹を痛めて子を生む」ということを母は体現したのだ。
母の切腹なくしてこの世に生まれてこなかったことを踏まえると、この時点で1億くらいの感謝をしたいが、僕の貯金は残念なことに100万しかない。頑張って貯金しよう。
そんな腹を痛めて産んだ僕を、母はいつも笑顔で接してくれた。
時にはしかり、慰め、自分の貴重な人生の時間を使い続けてくれた。面倒をみてくれた。
「ウチの母は、人生でやりたいことができたのかな?」
「いつも僕ら子供のために働いていたけど、自分の趣味とかあったのかな?」
「自分の時間なんてあったのかな?」
そんなことを考え出すと、目から変な液体が放出されるのだが、泣いてなんかいない。ただ、目から変な液体が放出されるだけである。
そんな母に直球で「産んでくれてありがとう」を目を見て伝えた。
「うん、わかったわかった」と10文字の返答で会話が終了した。
僕が家から帰った後、実家に住む妹にその後の様子を聞いてみたら、
「お母さん、めっちゃ喜んでたよ」とのことなので、感謝を伝えられたことにさせてほしい。
今度は父親だ。
父とは、水と油のように仲が悪く、もはやハブとマングースである。
実家に帰る度に「お前は頭が悪い」だの「お前と会話するとイライラする」だの「お前は株式投資した方がいい」といわれ、意味不明だ。
異邦人か僕のアンチなのですか?
口うるさく何でも命令口調なので、さぞかし自分は立派な、たいそうな人間かと思いきや、父は中卒のタクシー運転手である。いまは休業中でニートですけどね。
なんなら、ちょこちょこ僕が父にお小遣い渡しちゃってますから、どっちが親らしいのだろうか。
そんな父ですが、別に僕は彼のことを”ダメ人間”とは思ってませんし、嫌いでもない。
むしろ、尊敬の塊のような人間だ。
なんせ、ウチの家族に子供は4人いる。
4人の子供を育てるって、並大抵のことではない。
「4人の子供を育てあげてみろ」と言われても、正直、僕にできる気がしない。
どんだけ性欲強いんだよ問題はさておき、養育費だけで1人の子供を成人にするのに2000万が掛かる。
2000万✕4人=8000万を子育てに使ってるなんて、異常だ。
だって、8000万あれば安い家だったら4軒立ちますよ。
フェラーリだって3台くらいは買えるじゃん。
ロレックスだったら、80本くらい買えちゃうよ。
それなのに子供を産んで育てることにお金を使おうと思う気概は理解不能だ。
つまり、相当無理をしたわけである。
そりゃ、ウチが貧乏になる訳だ。
タクシー運転手が子供4人を育てるって、中々ハードだ。
僕の欲しいモノを買ってくれなかったし、誕生日にプレゼントを1回も貰ったこともなく、家族旅行など以ての外なのも合点がいく。
だけど、僕は4人の兄弟と破天荒な父に育てられ、確実に幸せだった。
幸せ以外のなにものでもなかった。
お金がないからこそ、できる遊びを模索して数々のデパートで鬼ごっこやドロケイをやった。
いまで言う、逃走中を10年以上前に発明したのだ。
お金がないから、友達の家にどうやったら遊びに誘ってもらい、お菓子を食べれるかの戦略を練った。
お金持ちの子供を服装や親の仕事を調査し、家庭が裕福であればあるほど、家にあがれる率とお菓子の豪華さが比例関係にあることに気づいた。
暇さえあれば散歩と称して自動販売機の下に小銭が落ちていないか確認し、多い時には月500円くらいの稼ぎが小学生ながらにしてあった。
ホームレスに「ここは俺のなわばりだ」と怒られ、長くは続かなかったけど・・・。
結論、貧乏という経験を父が与えてくれたおかげで、僕はサバイバルスキルというか、”自分の頭で考えて生きる力”が、子供ながらも少しずつ養われたのだ。
その経験がいまの自分を作っていることは紛れもない事実だ。
どんな環境でも順応し、適応する能力は、幼少期からの貧乏生活の中で養われたのだと思う。
だから、僕を育ててくれたことに感謝して、エビスビール350ml✕24本の1ケースを返礼品として納めました。
これが本当のふるさと納税です。
併せて、「親父、育ててくれてありがとな」と伝えました。
父は「何だよ、たったの1ケースか。エビスじゃなくてプレモルの方が好きなんだけど。エビスは庶民の飲み物だぞ?貧乏人め。」と、いつも通りの嫌味ったらしい言葉が返ってきたのですが、これが彼の感謝の言葉なのでしょう。
そんな庶民の飲み物エビスビールを3缶飲み干すやいなや、「26歳の誕生日、おめでとう」と言ってきたんですけど、これには流石の僕もいつも以上に目から変な液体が放出されそうになりました。あぶないあぶない。
そして僕は26歳にして、ようやく、”親に感謝を伝えること”を完遂できた気がした。
親孝行の正体が”親に感謝を伝えること”なのであれば、僕は親孝行もしたことになるので嬉しいなぁ。
そしてそして、僕は26歳になって改めて思う。
僕が今日まで生きてこれたのは7割くらい両親のおかげだ。
よくぞ成人まで育ててくれたと、本当に褒め称えたい。
残りの2割は僕と時間を過ごしてくれた友達や彼女、高校時代の恩師や会社の人のおかげであろう。
こんな僕に付き添ってくれて、人生の貴重な時間を過ごしてくれて、ありがとうしかない。
残すところ1割は「運」だったり「神」だったり、「仏様」に助けてもらったおかげだ。
姿かたちは見えないけど、ありがとうと伝えたい。
もうこうなると、空と海と大地と呪われし姫君にも、感謝しちゃうよ。
何が言いたいかというと、結局、僕は26年間を生きてきて、自分は何一つスゴイところもない、”ただの人間”だということ。
”ただの人間”ほど、色んな人に支えてもらって”生きている”ということ。
”生きている”ということは、感謝すること。
感謝とは、人にLINEでありがとうを言って終わらすのではなく、会いにいって目を見て伝えることだった。
僕にとって、26歳のはじまりは、感謝という尊さからスタートした。
いずれ僕も、感謝される側の人間になれるように、日々を丁寧に暮らしていきたい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
はるきち。
誕生日サポートお待ちしておりますよ!
僕もビールが飲みたい!
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