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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(154)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(153)






「あのさ、似鳥くんは天ヶ瀬くんに一回勝ってるんだよね?」

 そう確認されて、晴明はどんなことでも一度起こってしまえば、なかったことにはできないと悟る。有賀は晴明の心の最も脆い部分を正確に突いてくる。嫌がらせかと思うほどに。

「何ですか。勝ってるって」

「二〇一八年の全日本学生音楽コンクール、ピアノ部門中学生の部。確か似鳥くんが一位で、天ヶ瀬くんが二位だよね。違う?」

 有賀が口にしたのは、純粋な事実だった。何も違わない。

 別に順位は勝敗じゃない。そう否定する気力はもはや晴明にはなかった。

 頭の中を表彰式の思い出が駆け巡る。それと同時に、自分がピアノから離れた期間も蘇って、晴明は思わず顔をしかめた。有賀も少しは心配そうな面持ちを見せる。

 だけれど、その口から出た言葉は、晴明への思いやりを著しく欠いていた。

「実は、コンサート後に天ヶ瀬くんを取材する時間が取れたんだけど、そこで似鳥くんの名前を出したんだよね。でも、天ヶ瀬くんは何も反応しなかったよ。似鳥くんのことなんて初めから知らないみたいに」

 そりゃそうだろ。天ヶ瀬からしてみれば、自分はもう関係のない人間だ。

 有賀がここまで失礼な人間とは知らなくて、晴明は内心愕然とする。天ヶ瀬に対しても申し訳なく思う。

 それでも有賀は会話をやめなかった。一応は遠慮する様子を見せているのが、晴明にはますます気に障った。

「ねぇ、俺だけには教えてくれない? 上総台に入るまで、似鳥くんに何があったのか。もちろん記事にはしないし、誰にも言わないよ。約束する」

 有賀としては精一杯真摯な態度を見せているつもりなのだろう。

 だけれど、晴明は有賀を信用できなかった。プライベートな部分にここまでズケズケと入ってくる有賀を、若干軽蔑してもいた。

 でも、電車の到着を知らせるアナウンスが鳴る気配はない。ずっと黙っていることもできず、たとえ望まなくても、晴明は返事をするしかなかった。

「そう言って、優しいふりを見せたところで、僕が話すとでも思ってるんですか?」

 自分の中にだけしまいこんでおくつもりだったのに、言葉に棘がこもった。吐き捨てるという表現にさえ近かった。強硬な態度を取ることで、晴明は有賀が引き下がってくれることを期待した。

 だけれど、有賀は食い下がってくる。恥も外聞も捨てたかのように。

「似鳥くん、そうやって強情になるのはよくないと思うな。似鳥くんだって辛かったんでしょ。一人で溜めこまないで、俺に吐き出してみてもいいんだよ」

 有賀はあくまで優しい態度を崩さなかった。話を聞くだけなら、自分にもできると言うように。

 でも、晴明は自分の過去を打ち明けたいと思うほど、有賀と親密な関係になれているとはとても思えない。言っていることは一理あったが、有賀には言われたくなかった。

「別に強情になんてなってないです。ただ、今はまだ有賀さんに話すタイミングじゃないだけで」

「そんな。以前、自分のことを話してくれるって約束したじゃん。もしかしてずっと約束を果たさないつもりなの? 先延ばしにして苦しいのは似鳥くん自身なんだよ。いつか話さなきゃいけないなら、今話した方がいいでしょ」

 形だけ晴明を思いやった有賀の言葉は、晴明の首を確実に絞めた。約束をなかったことにしようとしても、有賀はこの先何回も訊いてくるだろう。今話すのは、選択肢としてはありなのかもしれない。

 でも、今二人は屋外にいる。誰に聞かれてもおかしくはないのだ。

 晴明は、有賀が望む答えを返せない。それ以上何も言わない有賀が、目で催促しているようで、晴明は嫌だった。

 しばし反応に困っていると、ようやく千葉行きの電車が到着するというアナウンスが鳴った。それは晴明にとっては願ってもいない知らせで、有賀に断ることもせずに、おもむろに足を踏み出す。

 改札をくぐっても、後ろに足音は聞こえてきたが、晴明は振り返らなかった。有賀から離れたい一心で、ホームを一号車の方に向かって歩く。有賀もこの場は諦めたのか、晴明を追ってこなかった。

 やってきた電車に乗り込む晴明。蘇我駅発車ともあって、車内に人はまばらだった。

 定刻通りに発車する電車。車窓の景色は次々に流れ去っていく。

 だけれど、晴明の迷いや悩みが置き去りにされることはない。脳裏には、今しがた有賀に言われたこと、そして昨日桜子に言われたことが張りついている。有賀も桜子も、晴明に一人で抱えこまないでほしいということは共通している。過去を告白すれば、一つ肩の荷が下りるとでも言うように。

 でも、それは晴明の心情を完全には考慮していなかった。たとえ誰かに自分のことを話したところで、晴明に起こったことが消えるわけではない。苦しみも悲しみもありのままあり続けるのだ。

 だけれど、晴明の脳裏には成や渡、芽吹といった先輩たちの顔も浮かんでいた。三人はたとえ晴明が何を言おうと、頭ごなしに否定はしないだろう。きっと真摯に受け止めてくれるはずだ。晴明は三人のことを信頼しているし、それは三人も同様だろう。

 このまま何も言わずに辞めたら、桜子の言う通り、それこそ失礼に当たろ。晴明は三人をいたずらに悲しませたくなかった。

 迷った挙げ句、晴明はスマートフォンを取り出して、アクター部のグループラインを開いた。シンプルなメッセージを書き込むと、すぐにいくつもの既読がつく。疑問に思っている部員には、その都度短い言葉で返す。最終的には全員が分かってくれた。

 晴明はスマートフォンをしまう。電車は千葉駅に到着した。晴明はホームに降りて、通い慣れた出口へと向かう。暗くなり始めた空のもと、晴明の心は緊張と少しの楽観的予測に満ちていた。



 ただならぬ空気が立ちこめる。全員が晴明の方を向いていて、晴明は緊張してなかなか切り出せない。成が「似鳥、どうしたの?」ともっともな疑問を口にしても、晴明はすぐに答えられなかった。

 それでも、桜子が目線で自分を励ましてくれているのが伝わる。自分から先輩たちを呼び出した手前、晴明が話し出さないと何も始まらない。

 晴明は全員の顔を見回してから、意を決して切り出した。

「すいません。今日は部活が休みだっていうのに、わざわざ部室にまで来ていただいて」

「いいよ、謝んなくて。それより何か話したいことがあるんだろ?」

 渡が何の気なしに促してくる。晴明は小さく頷くと、言葉を続けた。

「はい。今日は僕の現状と、かつてあったことについて先輩たちに知ってもらいたくて、声をかけさせてもらいました」

 話し始めると、三人が思わず身構えたのを晴明は感じた。もう後戻りはできない。ここまで来たら言わなければならないのだ。

 たとえ、何も知らない先輩たちを傷つけることになっても。

「僕は来年の三月で、つまり二年生になったらアクター部をやめるかもしれません」

 そう言った瞬間、部室が一瞬静まり返ったのを、晴明は感じた。突然の晴明の告白を、三人はすぐには受け止めきれていない様子だった。

「やめるってどういうことだよ」と芽吹が訊いてくる。本人にそのつもりはないのだろうけれど、責められているような感覚を晴明は覚えてしまった。

「端的に言うと、父親がアクター部の活動を認めていなくて。着ぐるみを子供騙しのものだと思ってるんです。そんなことをしてる暇があったら、大学進学のためにもっと勉強しろと。僕も何度も説得してるんですけど、全然態度を変えてくれなくて。それでも、二年生になるまではという条件つきで、今は何とかアクター部にいることができている状況なんです」

「それじゃあ、自分からやめるんじゃなくて、父親にやめさせられるってこと?」

 確認するように言った成に、晴明は小さく頷いた。心苦しかったけれど、事実を伝えなければ次のステップにはいけない。

 部室に漂う気まずい空気を、晴明は必死に耐える。校庭からは運動部のかけ声もせず、辺りは静まり返っていて、晴明をこの上なく不安にさせた。

「なんだよ、そんなのって。こんなこと言いたくないけど、分かってないにもほどがあんだろ。似鳥がいなきゃアクター部は成り立たないのによ」

 渡は少し苛立ったように口にしていた。アクター部は現在、部の存続に必要な五人ギリギリだから、晴明がやめてしまえば、最悪の場合活動休止もあり得る。

 でも、渡が純粋に自分をかけがえのない部員として認めてくれていることが伝わって、晴明は嬉しくなると同時に申し訳なくなった。

「なんとかなんねぇのかよ。何だったら俺たちが似鳥ん家行って直談判しようか? 似鳥くんはアクター部に絶対必要な存在ですって」

 芽吹が勇んだように言う。気持ちはありがたかったけれど、晴明にはそれほど効果があるとは、正直思えなかった。冬樹は着ぐるみに入ること自体を認めていないのだ。だから、説得するにしてもまずは晴明が着ぐるみに入っているところを見せて、活動を認めてもらわなければならない。

 そのことを伝えると、三人はしゅんとした表情をしていた。こんな苦い顔をさせてしまって、申し訳が立たないと晴明は感じた。

「じゃあ、どうすればいいんだよ。このまま状況を変えられず、ただ似鳥がやめるのを待つしかないってのかよ」

 渡の声は、五人全員の心情を代弁していた。切実な表情に、晴明は胸が締めつけられる。問題を共有してみても、解決への具体案が出るとは限らないのだ。

 外では日が傾き始めていて、空と同様に部室の空気も暗くなっていくようだ。

 言わなければよかったかもしれないと、晴明が後悔しかけたとき、成がおもむろに口を開いた。

「ねぇ、似鳥のお父さんはアクター部にいる私たちのことも、あまりよく思ってないのかな。もしそうだとしたら説得するのは、かなりハードルが高くなるけど」

「いえ、先輩方や文月のことはあまり考えていないと思います。父親は着ぐるみもそうですけど、同じくらい部活というシステムを嫌っているので。極端な話、僕がアクター部じゃなくて、野球部やサッカー部、他の部活に入っていても、父親は今すぐやめろって言っていると思います」

「なんで? どうして似鳥のお父さんはそこまでして、似鳥に勉強させたいの?」

「たぶんそれは、今の僕が身を立てる方法が勉強しかないと考えてるからだと思います。今の僕は着ぐるみに入ることぐらいしか得意なことがない、ただの一高校生ですから」

「そんなの俺たちだって同じだよ。俺たちだって着ぐるみに入っている以外は、どこにでもいる普通の学生なんだからさ」

 芽吹はフォローするように言ってきて、本当に自分の過去を知らないのだと、改めて晴明は思い知った。成も渡も、もちろん桜子も、晴明の過去は程度こそ違えど知っている。自分のかつての姿をまったく知らない人間に口にするのは、晴明にとっては勇気のいることだった。

 だけれど、言わなければ話は進まない。もとより、その話をしようと思っていたのだ。

 晴明はそう自分に言い聞かせて、ゆっくりと言葉を返した。

「いえ、違うんです。以前の僕には、他の学生と決定的に違う点があったんです」

「決定的に違う点?」

「はい。渡先輩や成先輩、それに文月は知ってると思いますが、僕は中学までピアノを弾いていたんです」

 芽吹からすれば「ピアノ」というワードは何の脈絡もなく、唐突に出てきたように感じられたのだろう。分かりやすく目を丸くしている。

 言葉にした瞬間、晴明には憑き物が落ちるどころか、またひとつ増えたような感覚がした。部室の空気が逃げ出したいほど、いたたまれなく感じられる。

「ピアノって、あのピアノか?」

「はい、芽吹先輩が想像しているピアノです」

「でも、ピアノを弾いてる人なんてそんじょそこらにいるだろ。決定的な違いって言えるほどなのかよ」

「はい。一応、全日本学生音楽コンクールの中学生の部で、一位をいただいたことがあります」

「一位!? えっ、全日本ってことは、日本で一番ピアノが上手な中学生だったってことか!?」

「そう簡単に決めつけることはできないですが、人並み以上にピアノが弾けていたのは確かです」

「ちょっと待って。そんなすごいお前がどうして上総台来たんだよ。うち、別に音楽教育に力入れてるわけじゃねぇぞ」

「それは親に言われたんです。そのときの僕は、高校は本当にどこでもいいと思っていたので、従うだけでした」

「ごめん。まだ整理が追いついてねぇ。えっ、似鳥は今もピアノを続けてんの?」

「いえ、今はまったく弾いていませんし、弾きたいとも思いません」

「そっか……。ごめんな、訊かれたくないだろうこと訊いちゃって」

 そう言って、芽吹は頭を下げて謝ってきた。晴明だって現状を口にして、心が傷ついている。

 だけれど、芽吹に悪気がないのは明らかだったので、「いえ、大丈夫です」と、気にしていないふりをした。先輩たちの目は、晴明を心から気遣っている。きっと何を言っても、理解を示してくれるだろう。

 だから、晴明は怖くても思い切って切り出した。

「さっき、今日は僕にかつてあったことについて先輩たちに知ってもらいたいって、言いましたよね。本当は自分の口からはあまり言いたくないんですけど、でも、僕は先輩たちを信じます。僕が上総台に来るまでに何があったのか、よければ聞いてもらえますか?」

 それは晴明からすれば、清水の舞台から飛び降りるほどの重大な決断だった。

 そのことは先輩たちも分かったのだろう。注意深く頷いている。

 きっとこの人たちなら、自分の全てを受け入れてくれる。

 そう信じて、晴明は話を始めた。


(シーズン5に続く)


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