見出し画像

スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(152)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(151)





「二〇二一年の年賀はがき、ただいま好評発売中でーす!」

「大切な人や親しい人に、ぜひ年賀状でお正月の挨拶をしてみませんかー!」

「来年の干支、丑を始めとした絵柄も多数取り揃えておりまーす! ぜひ館内でお買い求めくださーい!」

 コートを着た郵便局員たちが、道行く人に向かって声をかけるのを、晴明は着ぐるみに入りながら聞いていた。

 街路樹はすっかり葉を落とし、郵便局員は時折体を震わせている。

 だけれど、着ぐるみの中は夏も冬も関係ない。自分の身体から放射される熱が、着ぐるみの中にこもって、晴明は大粒の汗をかいていた。早く休みたい気分にもなるが、それでも通行人に向かって愛嬌を振りまくことはやめない。晴明は自分の役割を全うすることだけを考えた。

 この日、晴明と桜子は千葉みなと駅を降りて少し歩いたところにある、千葉中央郵便局に来ていた。先月から発売になった年賀はがきを、今一度PRするためだ。

 出入り口の横は簡単な催し物ができるスペースがあり、幟が立てられ、机の上には今年の年賀はがきが飾られていた。郵便局員が交代制で宣伝に駆り出され、晴明も今は郵便局の共通キャラクター、ポスベアになりきっている。

 とはいっても、足を止めてくれる人は晴明が期待したよりも多くない。素通りされるたびに、晴明の心に少しずつ澱が溜まっていく。仕事でしている郵便局員はなおさらだろう。晴明と彼ら彼女らの間には、奇妙な連帯感さえ生まれつつあった。

 三〇分ポスベアに入ったら、同じだけの時間を休む。そのサイクルを繰り返していると、活動終了となる午後四時三〇分は意外なほど早く訪れた。

 担当者から「今日はありがとうございました。また機会があればよろしくお願いします」と労われると、その言葉だけで疲労困憊の晴明は、少なからず救われる。社交辞令ではない評価が純粋に嬉しかった。

 引率してくれた植田と現地で解散し、晴明と桜子は千葉みなと駅へと帰路につく。空は午後五時になる前からもう大分薄暗い。早くもつき始めた街灯が地面を照らしているのを見て、晴明はもう冬至も近いなと、ぼんやりと考えていた。

「ハル、今日はお疲れさま。九時からの長丁場、よくがんばったね」

 郵便局の目の前の信号を渡ると、桜子が話しかけてきた。中には入っていないとはいえ、桜子だって除菌や消臭など、着ぐるみの世話をしてくれていた。だから、晴明は嫌らしく感じなかった。

「ああ、ありがとな。サクが励ましてくれたおかげで、なんとか乗り切れたよ」

「人、思ってたより来なかったね」

「まあしょうがないだろ。年賀はがきはコンビニとかでも買えるんだし。わざわざ郵便局で買う必要もあんまねぇからな」

 今日のイベントを根本から否定する晴明にも、桜子は「そうだね」と笑ってくれていた。車の走行音にかき消されて、二人の声は二人以外の誰にも届いていていない。

 桜子のスクールバックから着信音が鳴ったのを、晴明は聞く。桜子はスマートフォンを取り出して、画面を見ると、軽やかな声で言った。

「ほら、ハル。成先輩から返信きてるよ」

 そう言われて、晴明は桜子のスマートフォンを覗いた。〝お疲れー! 明日もあるからゆっくり休んでね!〟〝私たちはこれから夜の部の出番だよー〟と立て続けに送られたラインに、街をなぎ倒すゴジラのスタンプがおかしい。

 成たち二年生は今日は、千葉県民文化会館で活動している。人気ミュージシャンのライブがあり、その公式キャラクターに入っているのだ。昼と夜の二回公演で、夜の部は一九時から始まる。いくら出番が開演前に限定されていたとしても、着ぐるみを着るまではまだそれなりの時間があった。

「やっぱ、先輩たちの方にも顔出しといた方がいいのかな」

「別にいいんじゃない? ハルが疲れてるのは、成先輩たちも分かってるだろうし。無理して行かなくていいんじゃない? 誰も責めないよ」

 桜子はあっさりと言っていたが、自分が気遣われているのが、晴明には分かった。会場に行けば、自分が何か思い出すかもしれないと考えているのだろう。

 そんなことはないのにと思いつつ、晴明は「そっか」と桜子の言うことを受け入れた。一刻も早く、ベッドで横になりたい気分だった。

「それに今日のハル、すごい疲れた顔してたもん。早く帰って寝た方がいいよ」

「俺、そんなに疲れた顔してた?」

「うん。最後の方なんてもう見ていられないくらいだった。ポスベアに入ってる間は何の問題も感じなかったけど、何かがすごい溜まってるように思えた。テストも近いし、昨日も夜遅くまで勉強してたりとか?」

「いや、そういうわけじゃねぇんだけど……」

「じゃあ、どういうわけなの? マジで尋常じゃない疲れっぷりだったんだけど。何かあった?」

 桜子に顔を覗き込まれて、晴明は反応に困ってしまう。何でも腹を割って話すことができなくなったのは、いつからだろう。

 車通りの多い駅前の道路は、ゆっくりと判断する余裕を奪う。桜子の心配する目に、晴明は突き動かされたように口を開いた。

「なぁ、サク。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけどさ」

「何?」

「もし俺が二年になったら、部活をやめるって言ったらどうする?」

 桜子ははたと言葉を失った。千葉みなと駅が見えてきて、周囲は車の走行音でうるさいのに、二人の間だけが妙に静かになる。

「えっ……、何? ハル、アクター部やめんの?」

「まあ、現時点ではその可能性が高いかな」

「可能性?」

 小首をかしげている桜子に、晴明は冬樹から部活を今年度限りでやめるように言われていると伝えた。何度自分がやめたくないと言っても、まったく取り合ってくれないことも。

 信号待ちをしている間、晴明の話を桜子は神妙な顔をして聞いていた。簡単に解決する問題ではないということは、すぐに分かったのだろう。話を聞き終えて、慎重そうに口を開いていた。

「うーん。まあ、冬樹さんの性格を考えるとそうなるか。ごめんね。今まで分かってられなくて」

「いいよ。話してないのに分かるはずないんだし」

 信号が青に変わって、歩き出す二人。だけれど、晴明は隣にいる桜子とわずかな距離を感じてしまう。

「このことは先輩たちには話してないんだよね」

「ああ。余計な心配かけたくないからな」

「ねぇ、ハル。もうそういうの水臭いんじゃない? 私は先輩たちにも話して、事情を分かってもらった方がいいと思うけどな。もうただの他人じゃないんだしさ」

「でも、これは俺と父さんの問題だし……」

「だから、そういうのが遠慮がましいって言ってんの。このまま先輩たちに、何も言わずにやめる気? そっちの方が先輩たちは傷つくと思うけどな。なんで頼ってくれなかったんだって」

「それはそうだけど……」

「ねぇ、ハル」。そう言って、桜子は晴明の前に回りこんだ。足を止めていたから、晴明も立ち止まらざるを得なくなる。

 目が合う。真剣な瞳に、嘘は見られなかった。

「もう全部話そうよ。ハルに何が起こったのか、どうして上総台にやって来たのか、全部。何から何まで」

 桜子の提案は、晴明の頭と心を強く揺さぶった。先輩たちに過去を打ち明けるなんて、今まで考えたこともなかった。

 その事実に気がついて、晴明はゾッとする。自分はまだ先輩たちのことを心から信じきれてはいなかった。

「でも、聞いててあまり気持ちのいい話じゃないし……」

「そんなの関係ないよ。きっともう話すべき段階にきたんだよ。ハルはいつまでも自分一人で抱え込んでいて、辛くないの? 胸が苦しくなったりしないの?」

 桜子は、晴明を話す方向へと導こうとする。

 確かに話せば、少し気は紛れるのかもしれない。理解を示されて、全員で問題を解決するよう考えてくれるかもしれない。

 だけれど、踏ん切りを晴明にはそう簡単につけられなかった。晴明に起こったことは、先輩たちとは何の関係もない。過去は今さら変えられないし、何より晴明の頭にはまだ、先輩たちを巻きこまずに解決したいという思いが根を張っている。

 晴明は足を踏み出して、立ち止まっている桜子の横を通り過ぎた。すれ違った瞬間、桜子は何も言わなかった。

 いくら親しくしていても、晴明の心の一番深い部分には触れられないと思ったのだろう。黙って、晴明の後をついてくる。

 二人はそれから別れるまで、特段長い会話をしなかった。単発的な話題が二、三個浮かんでは消えていく。

 桜子は気まずそうにしていたけれど、晴明はそれでもいいと思った。余計なことを話すと、自分の中から何かがこぼれ落ちてしまいそうで怖かった。

 完全に夜に変わった空。頭上に浮かぶ星々を、晴明は一度も見なかった。



 翌日になって、晴明が蘇我駅に到着したのは午前一一時前のことだった。今日もハニファンド千葉の赤いユニフォームを着たファンやサポーターたちが、駅を出て一路フカツ電器スタジアムへと向かっていく。晴明が垣間見た彼ら彼女らの表情は、期待と緊張が半々で、決戦の雰囲気を思わせた。

 とはいえ、今日はフカスタで試合があるわけではない。試合があるのは、シーズンを四位で終えたアルビレオン新潟のホーム、テンカラージスワンスタジアムだ。シーズンを五位で終えたハニファンド千葉はアウェイゲームを強いられ、しかも引き分けた場合には順位が上の新潟が決勝に進出するという、背水の陣に追いこまれていた。

 しかし、今日はハニファンド千葉を応援するために一〇〇〇人ものファンやサポーターが新潟に向かっていて、さらにフカスタではパブリックビューイングが行われる。新潟で行われる試合を生中継して、千葉から応援しようというイベントだ。

 試合ではない分、ライリスたちの出番も少なく、晴明たちはキックオフの二時間前に蘇我駅に集合すればよかった。晴明と桜子が改札を出ると、既に先輩たちや顧問の二人は出口の側で待っていた。

 成や渡が口々に「昨日はお疲れ」と言ってくれたけれど、晴明は、はっきりとした返事ができなかった。昨日、桜子に言われたことが尾を引いていて、先輩たちと顔を合わせるのでさえ、どこか気まずい。

 それに、帰った後も冬樹にもう一度フカスタに来るよう頼みこんでみたが、冬樹は首を縦に振ってくれなかった。今日は奈津美も来てくれないから、晴明は落胆の色を隠せない。

 植田や五十鈴がしきりに心配してくれたけれど、晴明は「大丈夫です」と気丈に振る舞った。実際、出番の少ない今日は、今までの経験から何とかはなりそうだった。

 ライリスたちのこの日最初の出番は、入場者の出迎えだった。

 普段、入場はシーズンチケット保有者がキックオフの二時間一五分前からなのだが、パブリックビューイングの今日は一律、試合開始一時間前の入場だ。それでも入場待機列は、試合があるときと変わらないほど長く伸びていて、注目度の高さと、この試合にかけるファンやサポーターの意気ごみを晴明は感じる。

 だから、自分たちが水を差すわけにはいくまいと、晴明たちは今日も精一杯ライリスたちを演じた。優しくハイタッチをし、スマートフォンを向けてきた来場者には、勝利を願うスリーピースをはじめとしたポーズで応える。

 今日も反応は上々で、「絶対に勝とうね」などと声をかけてくれたファンやサポーターも何人もいた。晴明も大いに頷いて、親指を立てる。

 今日、自分にできるのはファンやサポーターを元気づけることしかない。だけれど、勝利を願うファンやサポーターの想いは、きっと新潟にいる選手たちにも伝わるはずだ。たとえ間接的にでも、ハニファンド千葉の勝利に貢献できると思うと、晴明は気落ちしている場合ではなかった。

 着ぐるみの中は暑くて暗いけれど、それでも笑顔を心がける。自分が楽しんでいれば、きっとファンやサポーターにも届くと思った。

 入場列の中には由香里もいた。でも、その隣に莉菜の姿はなかった。少し遅れてくるのかもしれないが、それでも莉菜がいないことは、晴明をかすかに動揺させる。

 とはいえ、それを表に出すわけにはいかない。一人にかけていられる時間は短かったが、それでも晴明は軽く弾むようにして由香里を迎えた。由香里も笑顔でライリスに接している。「一部リーグ昇格できるように、まずは今日の試合勝たなきゃね!」と声をかけられて、晴明は心の半分が満たされていくのを感じた。

 だけれど、もう半分では莉菜が来ていないことに、違和感や寂しさを覚えている。

 それでも、由香里に会えて嬉しいのは事実なので、晴明は胸に拳を当てた。由香里は写真を撮ると、ライリスから離れていってしまったが、たとえ短い時間でもコミュニケーションが取れたことに、晴明の心は軽くなった。

 そのまま次の来場者に応対する。日中でも一〇度を切る寒さなのに、それでも来場者の多くはハニファンド千葉のユニフォームやタオルマフラーを身に着けてくれていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(153)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?