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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(35)



前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(34)




 入場者の歓迎を終えて、アクター部の四人が会議室二に戻ってきたときには、室内に西日が射しこみはじめていた。

 筒井と桜子に頭部を外されると、晴明の顔に冷風が当たる。発生元を見ると、渡が携帯式扇風機を持って立っていた。相変わらず表情は薄いが、悪感情を抱いていないことだけは分かる。

 その奥では成が疲れを感じさせないえびす顔を見せてきていて、晴明は心がくすぐられる思いがした。

 しばらく体を乾かし、着替えを済ませてから、四人はパイプ椅子に座った。

 ウィルくんとそのアテンドは、まだ戻ってきていない。ライリスとピオニンが外に出たのは、先行入場開始の一五時四五分からだが、ウィルくんがアウェイサポーター専用のゲートに登場したのは、一般入場開始の一六時ちょうどだ。戻るまでまだ少し時間がある。

 四人は二つ並んだ机を取り囲むようにして座った。植田は、外で筒井と話している。

 晴明はこの時間を体力回復に充てたかったが、そうも言ってはいられない。月曜日、部室の前に立っていたのは誰なのか、成ならその人物を知っているのではと考えたからだ。

 だが、この期に及んでも自分から切り出すのは、晴明にはためらわれた。

「あぁー疲れたー。やっぱり夏はいっそう暑くて大変だね。似鳥も一か月ぶりだったし疲れたんじゃない?」

「確かに疲れてないって言ったら、嘘になりますけど、今日のためにここ一ヶ月はがんばってきたので。まだまだいけます」

「おっ、頼もしいねぇ。ところでマトはどうだった? 私たちのグリ見てどう思った?」

 軽い調子で話題を転換する成。月曜日の件については、考えてすらいないらしい。

 いきなり話を振られた渡は、慌てふためていて、口を鯉みたいに開けていた。

「う、うん……。良かったと思う……。想像以上に人気があって、南風原も似鳥も朗らかに応じていて……。こんなホームの雰囲気を感じたのは、はじめてかもしれない……」

 渡は成の反応をうかがうように答えた。同学年だから何も恐れることはないと思うが、成は全く気にする素振りを見せなかった。肘を机について、機嫌の良い表情を見せている。

「そ、ありがと。次のホーム戦は再来週で、そこで新マスコットのデビューの予定なんだけど、どう? 入れそう?」

 顔を近づけて聞いてくる成に、渡は「まだ、分からない……」と答えている。

 渡も自分が見ていないところで着ぐるみに入っているのだから、もっと自信を持っていいと晴明は思ったが、他己の評価の開きは珍しいことではないと思い直す。

「まあ、まだ二週間あるしね。ゆっくり考えてくれればいいよ。でも、次のホームゲームは土曜だから、できればその三日前、水曜には結論がほしいかな。とま先輩も言ってたみたいに、マトが入らなくても何とかはなるし、そんなに深刻に考えなくても大丈夫だから」

 そこで渡との会話を打ち切った成は、今度は桜子に関心を向けていた。キャラクターに関係あることないこと、何でも喋っていて、筒井がいたら咎められそうだった。渡は肩身が狭そうにしている。

 話しかけたくもなったが、それ以上に聞きたいことが晴明にはある。成が桜子との会話を止める気配はなく、強引に割り込むしかなかった。

「ちょっと南風原先輩、いいですか?」

 斜めからの質問に、成は「ん、何?」と無垢な目をして返した。晴明がする質問など、全く想定していないかのように。

「この前、部室の前に大きい男子学生がいましたよね?」

 晴明の疑問に、成は一瞬だけ目を渡の方に逸らす。だけれど、渡はポカンと口を開けているだけだ。

 二人の態度が証拠になって、晴明の疑念は、さらに確信へと変わっていく。

「あの人って、休部している部員の人ですか?」

 室内が静まり返り、冷房の風の感触だけを抱く。桜子はしきりに先輩たちを見やっていたけれど、晴明は気にしなかった。

 渡が成を見つめている。まるで灰色の空を眺めるかのように、心配そうな目をしていた。

 成は口元をほころばせた。だけれど、目元は硬直しているかのように感情がない。

「どうしてそう思うの?」

 言外に威圧感を含んだ言葉。先輩という立場が持つパワーで、晴明は押しつぶされそうになる。

 だが、今の晴明には少なくない時間を共にしたことで、成や渡に対して共感めいたものが芽生えていた。たとえお節介だとしても、引くわけにはいかない。

「この前、新聞部の水谷さんっていう先輩に会ったんですけど、その人が佐貫先輩たちの教室の前に、大柄な学生が立っていたって言ってたので。分からないですけど、たぶん同じ人ですよね?」

 晴明の話を頷きもせず聞いていた成が、表情を変えずに言う。

「あぁ水谷ね。なるほど。それは予想してなかったな」

「やっぱり成先輩は何か知ってるんですか?」

 口ぶりでほとんど認めているように、晴明は感じたけれど、念を押して聞いてみる。

 また、しばしの沈黙。普段饒舌な桜子も空気を読んでいるのか、話に割り込んでくることはない。

 成が大きく息を吐いた。

 諦めたようなため息に、晴明は真相が聞けるのかと期待したが、返ってきた言葉は「いや、知らない。入部希望の人じゃない? ウチの学校、部活にはいつでも入れるから」という予想を裏切るものだった。

 落胆を表情に出さないよう努める。会議室のドアが開いて、おそらくウィルくんが帰ってきたのだろうけれど、だれもそちらを向きはしなかった。

 何か言いたそうにしている渡を、成が手で制している。

 スタジアムから流れてくる洋楽に、晴明は居心地悪く感じる。成が認めてくれれば済むことなのにと、不満さえ抱いた。

「それよりさ、似鳥はこの後、どうする? スタジアムの中に出てみる?」

 話を逸らす成。追及したい気持ちもあったが、このままでは暖簾に腕押しになるだけだ。晴明はいったん諦めて、「出れるなら出てみたいです」と返事をした。

 気づけば渡が、晴明に視線を送ってきている。訴えかけてくるような目だったけれど、アイコンタクトで会話ができるほど、晴明と渡は親密な関係にはなれていなかった。





 晴明と成は三人で出たいと希望したのだが、筒井にやんわりと断られて、結局、晴明はライリスとウィルくんの登場を、渡と一緒にスタンドから見守ることになった。

 ファンやサポーターの声援に、二人は手を振って答えていて、全身で微笑んでいるように晴明には見えた。

 莉菜や由香里とも、また少し話した。ウィルくんの来場を嬉しそうに語っていて、ライリスに限らず、マスコット全般が好きなことがうかがえた。

 試合前のスタジアムはどこか牧歌的な空気が流れていて、これならそこまで緊張しなさそうだと、晴明は考える。早くスタジアムの中を歩きたいとさえ思う。

 ただ、そのためには筒井をはじめ、クラブの信頼を得なければならないのだが。

 ライリスたちよりも一足早く、二人は会議室二に戻る。桜子とも再び話をしたが、三人ともが部室への来訪者の話題は避けていた。

 やがてライリスとウィルくんが帰ってくる。着ぐるみを脱いだ成と安茂の二人は、それぞれ席に座った。

 成はまた漫画の文庫本を開いていたが、晴明にも分かるほどにコクリコクリと首を振っていて、今にも寝てしまいそうだった。

 暇を持て余したのか、安茂が三人のもとに近づいてくる。三人は「お疲れ様です」とあいさつをし、安茂は簡単に返事をして、渡の隣に腰を下ろした。

 見た目だけならまだ二〇代に見える安茂は、座るやいなや三人に語りかけてくる。

「お疲れ様。あそこにいる、南風原さんだったっけ? 彼女いつもああなの?」

 安茂の声は、成に配慮したのか小さめだ。代表して答えたのは桜子だった。

「たぶん昨日、夜遅くまで勉強してたんだと思います。もうすぐ期末テストも近いですし」

 桜子も声を潜めている。スタジアムには両チームの応援歌が響いているが、窓が少なからず吸収してくれていて、ヒソヒソ声でも辛うじて聞こえる。

 「学生らしいね」と安茂が呟く。晴明はそれを単なる感想として受け取った。

「ところでさ、今日の試合どっちが勝つと思う?」

 それはきっと、天気がどうだという類の、何気ない話題だろう。

 だけれど、目の前にいる安茂は徳島のクラブ職員だ。気を利かせて徳島の勝利と、言うべきなのだろうか。

 だけれど、桜子は平然と「二対一で、千葉が勝つと思います」と答える。

 安茂が「ウチ一応、今首位にいるクラブなんだけどな」と笑顔でこぼす。

 晴明と渡も話を振られたが、二人とも一対一の引き分けと答えた。いつの間にかハニファンド千葉に負けてほしくないと思っていることに、晴明はかすかな驚きを覚える。

「そっか。まあプレーするのは俺たちじゃないけどさ、お互い良い試合にしよう」

 「お互い」に自分たちが含まれていることに気づいて、自分はもうハニファンド千葉の内部の人間なのだと、晴明は思い知る。

 ほんのりと心が温かくなる。だが、その温度は安茂が発した一言で、すぐに冷まされた。

「これは聞いていいのかどうか分からないんだけど、さっき俺が戻ってきたとき、妙に重たい雰囲気だったでしょ。あれ、どうしたの?」

 分かっている。安茂は純粋な好奇心で聞いている。

 だけれど、他意がないからこそ、その言葉は厄介さを纏う。

 誰も何も答えなかった。少なくとも晴明は答えたくない、口を閉ざしていたいと感じていた。

 ピッチでは選手がウォーミングアップを始めるらしい。隙間からアナウンスが、入り込んでくる。

 安茂も三人の反応にバツが悪そうにしている。晴明は成に目をやったけれど、完全に寝落ちていた。

 ふと、小さい呟きが漏れる。

「何でもないです。だから心配しないでください」

 渡だった。俯いたまま発せられた言葉は、確かに四人の鼓膜に伝わった。

 晴明が覗くと、渡は何の表情も浮かべていなかった。鉄仮面を被ったように、目は机だけを見つめている。

「分かった。だけど、言いたいことがあるなら、お互いちゃんと言っておいたほうがいいよ。高校生活って、思っているよりもあっという間に終わるから」

 まだ入学して三ヶ月しか経っていない晴明にさえ、安茂の助言は重く響く。渡の心情はいかほどだろうか。だが、俯いたままの渡を見ていると、余計なことを考えてはいけないと、晴明は感じた。

 安茂が水分補給のために席を立つと、桜子がすぐに渡へのフォローに入る。声かけに渡は何事もなかったかのように応じようとしていたけれど、唇が小さく震えていた。





 テスト前週の緊張感は、いつまで経っても慣れないなと晴明は思う。

 学校全体が一つの大きな流れになって、濁流に飲みこまれていくようだ。賑やかな教室もテストの不安を追いやろうとしているようで、どこか息苦しい。大学進学を視野に入れている者が多いせいか、中学の頃よりものしかかる圧力が大きいのだ。

 これがあと十数回続くと考えるだけで、晴明は軽く憂鬱な気分になった。

 だからこそ、桜子が通常運転でいてくれることは晴明には大きかった。成績が中の下に位置する晴明を心配して、声をかけてくれる。

 平均点以下を取ると退部という、晴明が両親と交わした条件は、まだ生きている。

 焦る晴明にとっては、桜子の存在は、いつかは越えなければならない相手だとしても、ありがたかった。

「ハル、今日も図書館で勉強するでしょ?」

 週が明けた月曜日、追加された七時限目が終わり、桜子は帰り支度をする晴明に話しかけてきた。半袖のワイシャツから覗く腕は、少しだけ日に焼けたように感じられる。

 二人を囃す者は、もういなくなっていた。

「とかいって、サクは本当は、隣のドトールに行きたいだけなんだろ?」

 晴明の返しに桜子は、軽く声をあげて笑った。

「バレてたか。いや、最近抹茶のフロートが出てね。それがすごく評判がいいから飲んでみたいなーって思ったの」

「やっぱりな。分かったよ。行くよ。俺も勉強しないとヤバいしな」

 晴明が立ちあがると、桜子は一足早く教室から出ていった。

 だが、出た瞬間に立ち止まったのが、足音で分かってしまう。不審に思いながらも、晴明はドアから出て、桜子と同じように固まった。

 そこには、渡が立っていたからだ。こうして見ると、部で一番小柄な渡は、一年生に混じっていても違和感がない。成でさえ、一年の教室には来たことがないのだから、渡が明確な目的を持ってやって来たのは明らかだ。

 なのに、渡は自分から近づこうとはしなかった。体を縮こまらせて、恥ずかしそうにしている。

 だから、桜子が近寄って話しかけた。

「渡先輩どうしたんですか? こっちに来るなんて珍しいじゃないですか」

 桜子は年下の子供にするように、やや膝を折りながら尋ねていた。めったに現れない上級生の登場に、廊下が少しざわめいている。

 渡は少しためらったものの、桜子を見上げながら、か細い声で言った。

「ちょっと来て。話したいことがあるんだ」

 言うやいなや、踵を返して昇降口の方へと向かっていく渡。はぐれないよう、晴明と桜子は早足で渡を追った。

 ずんずん進んでいく渡の後ろ姿が、まとわりつくものを振り払うかのように、晴明には見えていた。



続く


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