スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(34)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(33)
一週間ぶりに会った筒井は、丁寧な態度で晴明に接してくれた。はじめてスタジアムにやってきた渡にも、親切に応じている。
ただ、スタジアムのバックヤードは相変わらず忙しない。一時間後には人前に出ているかと思うと、晴明ははじめて入るときとは、また違った震えを味わった。
会議室二に入ると、ブルーシートの上に着ぐるみが三つ置かれていた。着ぐるみたちは晴明には、タキシードのように整って見える。
正面に回ってみると、ライリスの頭部と目が合った。じっとこちらを見つめてくる目はしっかりしてくれよと、語りかけてくるようだった。
その隣にはピオニンの着ぐるみ。そして、その隣には晴明が見知らぬ着ぐるみが置いてあった。
頭部の模様がタヌキのように見える。胴体にも丸いしっぽがついていて、ライリスよりも横に広い。青いユニフォームを身に纏っているから、おそらく徳島のマスコットだろう。
すでに同じカテゴリーのクラブのマスコットを、晴明は全員知っていた。
それに振り返ると、晴明が知らない男が二人座っている。一人は小柄で、もう一人は平均よりも少し大柄くらいか。スマートフォンを手にしながら、和やかに談笑をしている。
大柄な男はピステスーツを着ていて、胸には渦を巻く徳島のエンブレム。おそらく徳島のクラブ職員だろう。小柄な男が着ぐるみに入るであろうことも、晴明は瞬時に察する。
「では、はじめての方もいらっしゃるので、簡単に説明をします」
筒井を中心として、八人が輪になって集まった。渡と植田の手には、かつての晴明のようにプリントが二枚握られている。
筒井を見上げる渡と、見下ろす植田は表情も含めて、どこか対照的に晴明には思えた。
「本日はSJリーグ第二四節。ハニファンド千葉対徳島ウィルプールの試合です。キックオフは一八時三分。試合終了は二〇時頃を予定しています。本日はライリスとピオニンの、二人に登場していただきます。一五時から二〇分間の入場前グリーティング。一五時四五分からの入場者対応。ハーフタイムでのピッチ一周と、試合終了後の挨拶が主な出番となります」
スケジュールは晴明がはじめて来たときと、おおよそ変わっていない。植田が目をぱちくりさせている。想像していたよりも出番が多かったのだろうか。
自分もかつてはそうだったなと感じつつ、晴明は筒井から告げられる言葉を待つ。重要なのはここからだ。
「本日の担当ですが、ライリスに似鳥さん。ピオニンに南風原さんが入っていただくようお願いします」
分かっていたはずなのに、いざ言葉にして告げられると、晴明は全身の血がすっと冷えていくのを感じた。これが背水の陣というものなのだろう。今日失敗したら、もう次はない。息が早まる。
だが、桜子が背中を優しくさすってくれていたので、晴明の動悸はほんの少しだけ収まった。気持ち大きめの声で返事をする。
「それから本日の注意事項ですが、本日もたいへん暑いです。もし、不調などがあれば我慢せずに、私か市村に伝えてください。また、本日は徳島からはるばる、マスコットのウィルくんがいらしてくれています。ライリスやピオニンと触れ合うのははじめてなので、どういった方向性で行くか、中に入る安茂さんと話して、大まかでいいので決めておいてください」
筒井は、徳島のピステスーツを着た二人に視線を送った。安茂と呼ばれた小柄な男が、自分を見てきて、晴明の心臓はまた早く鼓動を打つ。
「あとは、選手入場の際にはライリスのみで。また、スタジアムへの登場もお二人が疲れていないようなら随時行いたいと考えているのですが、大丈夫でしょうか?」
晴明も成も二つ返事で頷いた。確かに暑いだろうが、それよりも、ファンやサポーターに喜んでもらいたいという想いが勝った。
「では、私からは以上になりますが、どなたか質問ありますか?」
八人は顔を見合う。唯一表情が冴えない渡が、おずおずと声を発する。
「あの……。僕はどうすればいいでしょうか……」
「渡さんは、本日は見学でお願いします。少し離れた位置からライリスやピオニンの様子を見守っていてください。アテンドは私と市村がやりますので」
「マト。あまり心配することないよ。サッカークラブのマスコットだからって、なにか特別なことをするわけじゃないし。まあしっかり見ててよ」
なだめる成の声に、渡もやや落ち着きを取り戻したようだ。目線が少しだけ上がっている。筒井が七人を見回す。誰も話し出さないのを察してから、ミーティングを結ぶ。
「では、確認はこれで終わりにしたいと思います。着用開始は二〇分後なので、それまではみなさん、待機でお願いします」
ミーティングが終わっても、室内の空気は緩むことなく、程よい緊張が流れている。
席に着こうとする桜子に渡が続いていく。どちらが先輩か分からないなと感じていると、晴明は筒井に声をかけられた。その隣には成がいる。共演する安茂に、挨拶をしようという話だった。
その場に残った安茂に、代表して筒井が声をかける。
クラブ職員との会話を遮られても、安茂は嫌な顔一つしなかった。むしろ、これから出番だというのに、表情に締まりがないようにすら、晴明には感じられる。
「こんにちは、安茂さん。本日はよろしくお願いします」
筒井に続けて二人も頭を下げる。だけれど頭を上げると、晴明は自分が上手く笑えていないと感じた。
一ヶ月ぶりの復帰に、はじめての他のマスコットとの絡み。これで不安を抱くなという方が無理な話だ。
「こちらこそ今日はよろしくお願いします。そちらの二人が、今日ライリスとピオニンに入る方ですか?」
安茂は丁寧に答えてくれた。棘のない態度。余計な緊張をせずによさそうだ。
「はい、ライリスに入る似鳥さんと、ピオニンに入る南風原さんです」
二人は紹介され、ごく簡単な挨拶をした。似鳥が自分の名前を告げたときも、安茂は特に反応を示さなかったので、先月の失態は知られていないらしい。
「安茂です。徳島でクラブの職員をやってます」
その言葉が、晴明に引っかかる。だけれど、成はスルーしているし、安茂の表情もさも当然といった顔だった。
「えっ? 安茂さんって、専門のスーツアクターじゃないんですか?」
晴明の質問にも、安茂は相好を崩すことはなかった。口にしてから晴明は自分の誤りに気づく。
大道芸フェスティバルでは、市の職員らしき人が着ぐるみに入っていた。
晴明は謝罪をしたが、安茂は気にもしていなかった。
「うちもスーツアクターさん雇えればいいんですけど、地方じゃなかなか見つからないんですよね。それにうちもそんなに余裕があるクラブじゃないので。かれこれ三年くらいは僕が入ってます」
となると、晴明はおろか成よりもスーツアクターとしては先輩ということになる。
自分の非礼さに晴明はもう一度頭を下げたが、今度は成につっこまれた。安茂は、まだ笑顔のままでいる。
「それよりも、お二人はずいぶん若いように見えますけど、おいくつですか?」
「私が高二で、似鳥が高一です。私たち高校の部活でスーツアクターをやってるんです」
安茂は分かりやすく、目を見開いていた。それでも、すぐ元の穏やかな表情に戻ったので、反感は抱いていないようだ。
「そうなんですか。その若さで着ぐるみに入っていて。しかもちゃんとした部活で。いや、偉いと思います。僕なんて部活にも入らずに、ダラダラした高校時代を送りましたから」
「いえいえ、そんなことないですよ」と成が謙遜している。晴明も悪い心地はしなかった。
自分の活動が学外の人間に認められるなんて、ほとんどはじめてだ。自然と口元も緩んでしまう。
緊張を和らげようと言ってくれたのだろうか。安茂の心遣いが、晴明には素直にありがたい。
「ところで、安茂さん。今日はどういった感じでグリーティングをしましょうか?」
筒井の質問に、安茂の表情は一気に引き締まる。顎に手を当てて考えるその仕草は、たとえ本職ではなくとも、ウィルくんを演じることに、真摯に向き合っている。
「そうですね……。やはりウィルくんはゲストという立場なので、場を仕切るのはライリスやピオニンのほうがいいと思うんです。なので、そちらから話しかけるようなジェスチャーをしていただければ、こちらも頷いたりして応じますので。とりあえず最初のグリーティングはそのような形で進めていって、後でまた調整しましょう」
安茂は熟慮しながら語っていたが、動きだけで会話をするなんて、今まで晴明がしたことのないことの一つだ。
復帰だけでも緊張しているというのに、その上、新たな課題を突きつけられるとは。悩みすぎて、胃が痛くなってきそうだ。
「あの、話しかけるようなジェスチャーというのは具体的にどういったようにすれば……」
「それは、まず肩を叩いていただいて、私が二人の方を向いたら、手を動かしたり、膝を屈伸させたり、適当なところを指さしてくだされば、私もそれに答えますので。似鳥さんの思うがままにやってください。もしどうにもならないと思ったら、手を差し出してもらえれば握手をしますから」
「大丈夫だって、似鳥。ほら、パントマイムの練習してきたでしょ。それを応用するんだよ」
成が励ましてきてくれたけれど、それでも晴明の不安は収まらなかった。もし、思うように動けなかったらどうする。ネガティブな感情が、絶え間なく顔を出す。
ほとんど縋るように、「あの、ちょっとここで練習させてもらっていいですか」と、晴明は提案した。
安茂が快く受け入れたので、晴明はいくつかの動きを提案した。時折、成や安茂のアドバイスを受けながら、格闘すること一五分。おぼろげながら、形は見えてきた。
少し場を離れていた筒井が戻ってきて、着ぐるみを着ましょうと告げる。臆病風に吹かれないよう、晴明は足早にライリスのもとへと向かった。
頭部を被ると、久しぶりに味わう重さが、晴明の肩に乗りかかった。トータルくんで慣らしていたとはいえ、種類の違う重さに、少し怖じ気づいてしまう。視界は極端に制限され、吐く息がこもって外に出る前ですら暑い。
固まったままでいると、二つの手に背中を軽く叩かれる。フェルト越しでも、ウィルくんの分厚い手のひらが晴明には分かった。自分だけが人前に出るのではないことを知ると、少し呼吸が落ち着いた。
関係者通用口から、グリーティング会場へ向かう三人とアテンドたち。
まだ暑さは和らいでいない。一歩踏み出すたびに、晴明のこめかみに汗が流れる。頭上では埋め込まれた扇風機が熱を逃がしてくれてはいるものの、十分とは言いがたい。
それでも先頭に立つ者の務めとして、晴明は顔を上げてはきはきした歩行を心がけた。写真を撮られ、握手を求められ、筒井の許す範囲で晴明はその全てに応じた。ファンやサポーターの笑顔を見ると、削り取られる体力が少しずつ回復していく実感を得た。
グリーティング会場には既に三〇人ほどのファンやサポーターが待っていて、赤と青のコントラストが晴明の目には、チェック模様のように見える。
その中には当然、莉菜と由香里もいた。今日は二人ともユニフォームを着用している。
ライリスが筒井に連れられて、階段の側に立つ。後ろを歩く気配と、隣に立たれる気配。晴明が首を振って確認すると、左側にはピオニンが、右側にはウィルくんが立っていた。
三人にスマートフォンが向けられる。
視界の端でピオニンがお辞儀をしたことが見えたから、晴明もそれに続いた。
グリーティングは写真撮影から始まった。灰色のビブスを着たカメラマンを先頭に、続々とシャッター音が聞こえる。
晴明は成や安茂との打ち合わせ通りに、片足を開き、反対の腕を曲げる。「がんばります」と意思を示した。
ファンやサポーターの黄色い歓声。着ぐるみ越しだと、それらをありのまま受け取ることができた。
いくつかポーズを取った後、カメラマンから「ライリスとウィルくんの、ツーショットをお願いします」と声をかけられる。
ピオニンが離れ、二人きりになるライリスとウィルくん。ウィルくんが手を差し出したので、ライリスもウィルくんの手に触れる。そして、二人はお互いの手を優しく握った。初対面での握手に、かすかにどよめく声が漏れる。
最初、晴明はいつか見た格闘技のポスターのように、腕を組んで向き合ったらどうかと提案した。
だが、安茂はそれに応じなかった。自分たちは敵ではなく、同じSJリーグ二部に所属する仲間なのだから、友好的にいこうと提案してきた。
今考えれば、安茂が正しかったと晴明は思う。
いがみ合うことで得られる盛り上がりは、次から次へとヒートアップさせなければならず、きりがない。それなら、仲良くした方がいい。
カメラマンの「ありがとうございます」との声に応じて、二人が手を離すと、晴明から動きだす。右手で手招きをして、会話をする態勢を作る。口の脇に両手を当ててメガホンのような形にし、晴明は言葉を伝えようとした。
ウィルくんもちゃんと側頭部に手を当てて聞き耳を立ててくれるし、喋るときには腕を大きく動かして伝えてくれた。
二人のジャスチャーによる会話は何ターンか続き、最後にライリスが右手で胸を叩いて「まかせて!」のポーズを取り、ウィルくんが頷くことで幕を閉じた。
二人が動くたびに、ファンは声をあげ、二人の会話を盛り上げてくれた。ファンあってこそのグリーティングであることを、晴明は久しぶりに実感する。
二人の会話が終わると、ピオニンも交えてのグリーティングだ。ライリスとピオニン、ウィルくんにそれぞれ分かれてファンやサポーターと触れ合う。ライリスたちの列には、青いユニフォームも並んでいる。
徳島のサポーターからはお土産にすだち味のクッキーや、ウィルくんのぬいぐるみを渡されて写真を撮った。ほとんど全員がライリスやピオニンと写真を撮りたがっていて、好機を逃すまいとしているその姿が、晴明には微笑ましく思えた。
列には莉菜と由香里も並んでいた。ウィルくんよりもライリスたちを優先するところに、想いのほどがうかがえる。
この日のライリスとピオニンはユニフォールだけの、シンプルな出で立ちだ。別に今日を逃しても、また会うことができる。
それにも拘わらず、二人はライリスとピオニンにそれぞれお菓子が入った袋を渡し、一緒に写真に収まった。まるで次などなく、今この瞬間が全てだと言わんばかりに。
一ヶ月経っても二人の笑顔は変わらず輝いていて、晴明はあの日奪ってしまった喜びを、自分の手で再び取り戻せたと、安堵することができた。暑さが最高潮に達しようとしている着ぐるみの中でも、まだがんばれそうな気がしていた。
列もあらかた解消されてきたところで、今度はウィルくんがライリスとピオニンにジェスチャーで話しかけてくる。手を大きく広げて、元気よく振り回す姿にライリスは腹を抱えて、ピオニンは口を抑えて笑う仕草をした。
ファンやサポーターも、飽きずに新鮮なリアクションを返してくれる。会場はこれから試合が始まるとは思えないほど、和やかな空気に満ちていた。
バックヤードに戻るその時まで晴明は、無我夢中でライリスを演じ続けた。
朝起きたときに感じた不安は、どこかに吹き飛んでしまっていた。
続く
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