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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(193)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(192)





「相良さん、久原さん。お久しぶりです。似鳥ですけど、覚えてますか?」

 晴明が呼びかけると、相良は座ったまま目を細めた。目元にかすかに寄っていく皺が微笑ましい。

 隣に座る久原も、慎ましげな表情を見せている。何の障害もなく受け入れられていることに、晴明は小さく安堵した。

「もちろん覚えていますよ。私立上総台高校アクター部の似鳥さん。お久しぶりですね」

 そう言って口元さえも緩めた相良の表情が、晴明の緊張をいくらかほぐす。おおらかな雰囲気は、去年共演したときから何も変わっていない。

「会うのは去年の一〇月以来ですか。どうですか? 部活の方は順調ですか?」

「はい。おかげさまでライリスはもちろん、他の着ぐるみも含めて途切れることなく活動ができています。必要としてもらっていることに、感謝しかありません」

「それはよかったです。きっと似鳥さんたちの力によるところが大きいんでしょうね。去年共演したときには、似鳥さんだけじゃなく、渡さんや南風原さんもいい働きをしてましたから。当然のことですよ」

 相良から手放しでの称賛を受けると、晴明はなんだか身体がむずかゆくなる感じがした。そこまで褒められることにはあまり慣れていなかったから、思わず顔が赤くなる。

 でも、きっと本心から言っていると思うと、悪い気はまったくしなかった。元気を与えられて、今日一日を無事に乗り切れる感覚が晴明にはしてくる。

「ありがとうございます。おかげさまで今日もがんばれそうです」

「それは何よりです」という風に頷く相良と久原。自分たちの周囲には凪いだ空気が流れていて、何を言っても受け入れられそうな気が晴明にはした。

「あの、相良さん、久原さん。一ついいですか?」

「なんでしょうか?」

「三吉さんは今日は来てないんですか? 姿が見えませんけど」

「ああ、三吉さんでしたら来てますよ」。そう言ったのは久原の方だった。思いがけない返事に、晴明は思わず「本当ですか!?」と反応してしまう。

「ええ、ここはクラブの公式マスコットしかいられないですけど、ジアックはそうではないので。別の場所で待機しています。金沢カレーのキッチンカーの辺りをメインに、今日は登場する予定ですね。もしかしたら場外グリーティングのときには、会場までやってくるかもしれないので、そのときは似鳥さんも温かく接してあげてください」

 てっきり今日は来ないと思っていたから、いい意味で予想が裏切られたことに、晴明は嬉しくなって頷いた。ジアックは悪役設定だけれど、その実紳士的なキャラクターだ。共演することは、素直に喜ばしい。

 晴明は、グリーティングのときにはジアックも来てくれるといいなと感じた。その方がグリーティングもより盛り上がるだろう。

 それからも二三言葉を交わして、晴明たちは相良と久原のもとを離れた。再び自分の席に戻って、室内を見回す。

 もう今いる知り合いには、全員挨拶をしてしまった。ここからは面識のない人にも挨拶をした方がいいのだろうか。

 晴明が迷っている間にもドアは引かれ、次々にスーツアクターとアテンドが入ってくる。

 その次に入ってきた二人に、晴明は見覚えがあった。AC沖縄の鬼平と酒巻の二人だ。試合前日に押しかけられたのだから、忘れるはずがない。

 鬼平たちもすぐに晴明と筒井に気づいて、ブルーシートに着ぐるみを置くやいなや、一直線に向かってくる。顔全体に広がる笑みは、今日の緊張を晴明に微塵も感じさせなかった。

「似鳥くん、筒井さん、おはようございます! 去年の九月以来ですね!」

 再会を心から喜ぶかのように、鬼平のテンションは高かった。グリーティングに向けて体力を温存するという発想がないのかとm晴明には思えるほどだ。

「はい、お久しぶりです」と答えた筒井に続くように、晴明も小さく会釈をする。目を輝かせている鬼平の姿は、それこそ行ったこともない沖縄の太陽を、晴明に思い起こさせた。

「そうそう! 似鳥くん、去年は着ぐるみ劇の映像送ってくれてありがとね! 見たよ、Sunny Bunny! 面白かった! 最後の三人が歌うところとか、私感動して泣きそうになっちゃったもん!」

 熱のこもった鬼平の言葉は、晴明にとっても純粋に嬉しかった。だから、心から礼を言うことができる。

 去年撮影した劇の映像を、成を通してアクター部は鬼平に送っていたし、晴明もラインでの感謝の文面を見ている。それでも、直に会って面と向かって言われると、感慨はその比ではない。ここでも、今日のマスコット大集合が持つ意味は大きかった。

「ねぇ、今年の文化祭でも着ぐるみ劇やるの? もしよかったら、また映像送ってくれたら嬉しいんだけど」

「あの、来年度の文化祭のことはまだ全く未定なんです。僕としてはやりたいなという気持ちは、あるんですけど。また決まったら、南風原先輩を通して連絡しますね」

「そうなんだ。じゃあ連絡待ってるね。あっ、そうそう。それとさ……」

 鬼平が話題を転換させたとき、次に出てくるであろう言葉を、晴明は瞬時に察した。でも、どう答えるべきかまでは考えは至らない。

「再来週、私たちのホーム・県総で沖縄対千葉の試合でしょ。どう? 似鳥くんも来る?」

 食い入るように訊いてきた鬼平に、晴明はかすかに目を伏せた。行けるはずがないなんて、正直に言うのは気が引けた。

 学校もまだ学期中だし、何より沖縄に遠征ができるほど、アクター部に予算的な余裕はない。それを察してか、筒井やハニファンド千葉側からも、沖縄に行こうという話は一回も出なかった。

 どう答えるのが適切か、晴明は言葉を探す。その隣で、筒井は率直に告げていた。

「すいません。その日は午前中に地域のイベントへの参加が決まっていまして、沖縄に行くことはできないんですよ。私たちとしても、沖縄でジンベッチと交流したいという思いはあるのですが……」

「そうですか。そうですよね。やっぱり沖縄っていうのは、少しハードルが高いですよね。分かりました。その代わり、一〇月にあるハニファンド千葉のホームでの試合へは、またお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい、もちろん。大歓迎ですよ」

 筒井の横で晴明も頷く。まだまだ先の話だが、そのときが来るのが晴明には、今から待ち遠しい思いがした。

 雑談が終わって、鬼平たちが自分の席に向かっていくと、晴明たちは再び手持ち無沙汰になった。再び椅子に座ってもすることがないので、晴明は視線を遊ばせる。

 知り合い同士なのか、挨拶をしている者もいれば、一人でスマートフォンに視線を落としている者もいて、出番までの過ごし方は、まさに思い思いと言ってよかった。だから晴明も自由にしていればいいのだが、これだけ人がいる中でスマートフォンを見るのは、なんだかバツが悪い感じがしてしまう。

 あちこちに視線を向けるのも失礼な気がして、漫然と天井と壁の境目を見ていると、後ろでドアが開いて人が入ってくる気配がした。「おはようございます!」と明るい声を出した人物に、晴明は誰かすぐに思い当たる。

 去年のリーグ戦で、最後に共演した相手だ。二人の人物はブルーシートに着ぐるみを置くと、すぐに自然な足取りで晴明の元まで近づいてきた。

「おはようございます。ロバート・デ・ニーロです」

 その人物の名を晴明は知らなかったけれど、こうしておどけてくるのは最後に会ったときと何も変わっていない。その安定さに、笑みがこぼれる。

「えっ、ロバート・デ・ニーロ知ってるの?」と言う男性に、「愛想笑いに決まってるじゃないですか」とツッコむ女性。去年と同じ構図に、晴明の心は少し安心を取り戻した。

「おはようございます。村阪さん、久米さん。去年の一一月以来ですね」

 二人に会えたことは素直に喜ばしかったから、晴明は挨拶をしながら微笑みかけることができていた。ボケを軽く受け流されて、村阪は少し苦笑いをしていたけれど、それもすぐに柔和な表情へと変わる。

「ああ、そうだね。まだ二ヶ月ぐらいしか経ってないのに、ずいぶんと前のことのように思えるよ。今日ここにいるってことは、今年もライリスには似鳥くんが入るんでしょ? よかったじゃん、スーツアクターを継続できて」

「ありがとうございます。村阪さんもよかったじゃないですか。引き続き、ギッフェンの中に入ることができて」

「まあ俺もね、一時はどうなることかと思ったんだけど、クラブの方から来年もやってほしいって頼まれたから。しかも、これで」

 そう言って村阪は指を三本立てて、晴明たちに見せた。おどけるつもりだとはすぐに晴明には分かったが、それでも流れには乗らなければならない。

「三万円ですか?」

「いや、三百万。しかも一回でだよ? 凄くない?」

「ちょっと村阪さん、そんな訳ないじゃないですか。そんなお金あったら、もっと選手の獲得や施設の整備に使ってますよ」

 久米が落ち着いたトーンでツッコむと、四人の間には小さな笑いが起きた。空気清浄機にかけたみたいに、空気が清々しくなっていくことを晴明は感じる。本当は一回あたりいくらもらっているのかも、あまりに大それた数字を出されると気にならなくなった。笑いを取らずにはいられない、村阪の元来の性格に感謝だ。

「ところで、村阪さん。今日は何か踊ったりするんですか?」

 気分もいくらか軽くなり、今度は晴明の方から話しかけることができた。「おっ、期待してくれてんの?」と答える村阪の声も弾んでいる。

 シーズンオフの期間中、ギッフェンはダンス動画をSNSに投稿してはいなかった。本職はダンサーである村阪の本領に、晴明の期待も高まっていく。

「悪いんだけど、今日は踊らないよ。ほら、今日って他にもたくさんのマスコットが登場するでしょ。だからグリーティングだけで精一杯で、物理的に踊れるスペースがないんだよね。もちろんお客さんに求められれば、ステップを踏んだりとか簡単なダンスはするけど、音源を用意してまでの本格的なダンスは、今日はしないかな」

 期待に応えられないとあっさりとした口調で村阪が言っていても、理由自体は納得できるものだったから、晴明は深く落胆はしなかった。

 考えてみれば、今日はSJリーグのマスコットが一堂に会するのだから、いくらスタジアム前の広場が広いと言っても、なかなかのすし詰め状態になるだろう。村阪の言う通り、踊っていられる余裕はなさそうだ。ホームスタジアムを離れての遠征は、できることも自ずと限られてしまう。

「そうなんですか。じゃあ、やっぱりステージでのダンスは、ホームゲームでしかしない感じですか?」

「まあ基本的にはそうだね。でも、再来週のホーム開幕戦はステージで踊ることがもう決まってるから。その日、ハニファンド千葉はアウェイゲームでしょ? よかったら岐阜においでよ」

 あけすけに誘ってくる村阪に、晴明の心の天秤も傾きそうになる。だけれど、事がそう簡単ではないのは、隣にいる筒井の雰囲気から、晴明も承知していた。

「すいません。行きたいのは山々なんですけど、その日は午前中活動があるから、行けそうにないです」

「そう? 魂を二つに分裂させれば簡単じゃない?」

「いや、それどうやってやるんですか。できもしないこと言わないでくださいよ」

 そうツッコんだ久米にも、村阪は笑顔を保っていた。「冗談だよ、冗談」と言う口元に、白い歯が覗く。

 村阪が意図しているかどうかは分からないが、少なくとも晴明のなかで、緊張はかなり軽くなっていた。

「まあ動画も撮るし、SNSにも投稿されると思うから、とりあえずはそれ見て楽しんでよ。俺も少しでも心が弾むようなダンスをファンやサポーターの人に見せられるように、今練習してるところだから」

「はい。動画が上がってくるのを、楽しみに待ちたいと思います」

「うん、それでさこっちのホームでの千葉戦はゴールデンウイークでしょ? よかったらそのときにはライリスも遠征してきて、スタジアムで交流出来たら嬉しいよね」

 にこやかに言ってくる村阪に、晴明の心も洗われる。「はい、ぜひ」と返したいところだったが、こればかりは晴明の一存では決められない。筒井に視線を向けると、「善処します」と言ってくれた。

 実現にはいくつものハードルがあるのは重々承知だが、それでも昨シーズンライリスに入って、他のクラブのマスコットとも触れ合って、晴明には他のスタジアムにも行ってみたいという気持ちが芽生え始めていた。

 それからも晴明たちと村阪たちは少し話そうとしたのだが、やってきたスタッフと思しき女性の「記念撮影、一〇分後から始めますので、マスコットの皆さんはそろそろ準備をお願いします」という声に遮られる。

 村阪たちが離れていくと、晴明は他のスーツアクターと同じように、着ぐるみが置かれているブルーシートに向かった。筒井と協力してライリスを着ていく。

 他のスーツアクターも続々とマスコットになっていて、ほんの数分前との光景の違いに、晴明は感慨深さと同時に身震いも覚える。

 これだけのマスコットが一堂に会す機会は、デラックス以外にはありえない。どこを見てもマスコットばかりで、晴明は自分が夢でも見ているのかとさえ思う。

 でも、筒井に手を引かれて一歩を踏み出すと、足に跳ね返ってくる感覚はフカスタと何ら変わりなく、晴明に現実であることを教えた。

 一人一人ドアから出ていくマスコットたち。晴明はエイジャくんの後ろを、てくてくと歩いた。近づいてくるピッチに、心臓は記憶にないほどけたたましく鳴っていた。


(続く)


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