スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(129)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(128)
面会時間が終わって、一階に向かうエレベーターの中で、「喉渇かない?」と言い出したのは成だった。確かに今日は一一月のわりに暖かく、最高気温も二〇度を超えていたから、成がそう思うのも無理はない。
この病院には自動販売機はなく、飲み物を買うとしたら一階の売店しかない。先輩に買いに行かせるのも気が引けたので、晴明と桜子は成たちにロビーで待ってもらうことにして、お金をもらってから売店へと向かった。
院内に充満する消毒液の匂いには、いつまで経っても慣れないなと晴明は思った。
売店は棚が二つしかない、細長いスペースだった。店頭には各紙の新聞が置かれ、飲食物だけでなく、下着やタオルなどの日用品が陳列されている。店内に人はおらず、レジに立つ店員が手持ち無沙汰に廊下を見やっていた。
晴明たちは、すぐ飲み物の棚へ向かった。成も渡も芽吹も、紅茶やジュース、麦茶といった大雑把な要望しか伝えてくれなかったから、数種類ある商品の中からどれを選べばいいか、晴明たちは少し迷ってしまう。
桜子とも話しながら、晴明は自分たちの分も含めて、適当な商品を選んだ。成たちのことだ。思っていた商品とは違っても、文句は言ってこないだろう。晴明はそう考えることにした。
レジで会計を済ませ、成たちのもとに戻ろうとした矢先、勝呂が売店にやってきた。財布も持たず、手ぶらでやってきた勝呂に、晴明は軽く会釈をする。勝呂も会釈を返して売店に入っていく、かと思いきや、桜子が勝呂のもとへと近づいていった。
「今日はありがとうございました」と話しかけていて、早く先輩たちのもとに戻らなければという思いはないのかと、晴明は内心首を傾げる。
「いえ、こちらこそありがとうございました。アクター部の皆さんが来てくれて、父もとても喜んでましたし、皆さんのためにも早く身体治さないとなって、張り切ってました」
勝呂は健やかな顔をして、二人に微笑みかけている。だけれど、晴明は瞳の奥が笑えていないと感じた。自分たちと話すことを嫌がっているのではと、邪推してしまう。
だけれど、桜子は「勝呂さんも買い物ですか?」と、会話をやめようとはしていなかった。
「はい。下着やタオルを買いに来ました。何分急な入院だったもので、準備ができなかったんですよね」
「そうなんですか。五郎さん、早くよくなるといいですね」
「ええ。でもあまり急いでも元も子もないので、もっとゆっくり休むように言っておきます」
微笑を浮かべながら、話す二人。だけれど、晴明は自分たちが入り口を塞いでいるのではないかと、気が気でない。
売店に人が入ってくる気配はないが、それでもさりげなく注意して、二人に動いてもらう。三歩ほど場所を移動してからも、二人は喋り続けていた。
「ところで、五郎さんの症状って何だったんですか? さっき訊きそびれちゃいましたけど」
「何の前触れもなく倒れたので、僕も最初は心配しましたけど、医者はただの貧血による立ちくらみだと言ってました。ただ、診断で血圧がかなり高いことが分かったので、今は点滴と降圧剤を服用して、様子を見ているところです」
「そうだったんですか。重い病気とかじゃなくて、ホッとしました」
「ええ、少しずつ血圧も下がってきてますし、このままいけば、来週には退院できると思います」
五郎の症状が軽いことを知って、桜子は胸をなでおろしていた。晴明だって、よかったと思いたい気持ちはある。
だけれど、素直に勝呂の言うことは飲みない。それは、勝呂の声色が少し頼りないように思えたからかもしれなかった。
「勝呂さん、本当のところはどうなんですか?」
「本当のところとは?」
「五郎さんの症状です。本当にただの貧血による立ちくらみだったんですか?」
晴明に尋ねられて、勝呂は分かりやすく目を瞬かせていた。その不自然さに、何かを隠していると晴明は確信する。でも、それは勝呂には言いたくないことなのだろう。だから、晴明は深く追及はしなかった。
勝呂は辺りを見回している。売店の前を通り過ぎる人はいても、売店に入ってくる人はまだ見られなかった。
「これ、誰にも言わないって約束できますか?」
声を潜めた勝呂に、晴明と桜子は小さく頷いた。三人の顔が近づく。
「実は、検査で胃にガンが見つかったんです。幸いまだ治療が有効な段階だったので、大事には至らないと思うんですが、それでも転移などもありますし、まだ完全に安心できる状況ではないんです」
二人だけに伝えられた事実は、晴明の脳を強く揺さぶった。考えたくもない最悪の展開が、頭に浮かぶ。別のことを考えることもできずに、晴明は思い浮かんだイメージが頭から過ぎ去るのをじっと待つ。
桜子が「それは心配ですね」と、言葉を選ぶように口にする。しかし、それだけでは勝呂の表情は晴れない。返す言葉に迷っているのか、それとも頭に浮かんだ言葉を言い淀んでいるのか。
どちらにせよ、見ていて気持ちのいい表情ではなかった。
「……そう、ですよね。僕も、早くよくなって、ほしいです」
勝呂の返事は歯切れが悪かったから、桜子に「勝呂さん、どうしたんですか?」と言葉尻を捕らえられてしまう。
目をわずかに泳がせている勝呂には、晴明もひっかかるものがある。本心ではないような。そんな気がした。
「いや、これはもしものことなんですけど、父がこのまま死ぬまでずっと入院生活を送ることになったら、どうしようって思ってしまうんです」
「それは私たちにも絶対ないって言い切ることはできませんけど、それでも五郎さんを信じましょうよ。きっとよくなってくれるはずです」
「はい。僕もそう思いたいんですが、いけないことだとは分かっていても、父にはもう少し入院しててほしいなと思う自分が、心の片隅にいるんです」
ぽつりと漏らされた勝呂の告白に、晴明は耳を疑った。この世に親の快復を願わない子がいるだろうか。もしかして、勝呂は五郎から思い出したくもない目に遭ってきたとか?
晴明はかぶりを振る。五郎がそういうことをする人間だとは、どうしても思えなかった。
「それは、僕たちの指導へはもう行きたくないっていう意味ですか……?」
「いえ、そういう意味ではないんです。またアクター部には伺いたいですし、父にも長生きしてほしい。だけれど、父が病院に留まっていることを望んでいる自分も、ほんの少しですけどいるんです」
勝呂が何を言っているのか、晴明はこのときばかりは理解できなかった。桜子の表情にも疑問符が浮かんでいる。
二人に疑いの目を向けられて、勝呂は声にならない声を漏らした。
「分かってます。父はもうスーツアクターを引退した。自分と比べられているのは、過去の父の姿だってことは。父がいまさらどうなったところで、スーツアクターとしての功績は消えない。だけれど、本当のことを言うと、それが少し辛いんです。父と比べられて、大したことないなと思われてる。そう考えると怖いんです。自分がこのままスーツアクターを続けられるかどうか、不安になってしまうんです」
今まで外部指導者として模範的な姿しか見せてこなかった勝呂の吐露に、晴明はなんと声をかけるべきか迷った。自分たちと同じように、勝呂も勝呂で悩んでいたのだ。そんな当たり前のことを今さらながらに思い知る。
桜子もまた何も言えていなかった。単純な励まし、「勝呂は勝呂で五郎は五郎だ」といった言葉は、今の勝呂を救いそうにない。
言葉を失った二人を前に、勝呂は気まずそうな顔をしていた。その顔をしたいのはこっちなのにと、晴明は思ってしまう。
「すいません。こんな聞きたくもないことを言ってしまって。僕、行きますね。父も待ってますし」
そう言って、勝呂は店内に入っていった。追いかけることは、晴明にも桜子にもできなかった。詳しい事情を知らない自分たちに言えることはないと、晴明は感じていた。
桜子に「ハル、私たちも先輩のとこに戻ろっか」と言われるまで、晴明はどこを見るでもなく、立ち尽くす。
平日にもかかわらず、病院には一定の喧騒が漂っていた。
勝呂が来られなくても、時間は着実に過ぎていき、晴明が気づいたときには、金曜日の練習も終わっていた。
明日明後日の出番に向けて気を引き締めようにも、勝呂が見ていないとどこか緊張感に欠ける。決して手を抜いたわけではないのに、晴明はイマイチ充足感を得られなかった。
同じ状況が来週も再来週も続くかもしれないことを考えると、晴明には寒気すらして、早く勝呂が戻ってきてほしいと思わずにはいられなかった。
解散して、晴明と桜子は駅への道を歩く晴明。空は一日ごとに夜になるスピードを速めていて、駅に着く頃には辺りはすでに暗くなっていた。コンビニエンスストアの明かりや街灯が、盛んに存在を主張している。気温も昨日までとは打って変わって、肌寒いくらいだ。
今月に入ってから練習時間も三〇分短くなって、早く家路につくことが可能になったのに、こうも夜になるのが早いと、晴明は少し心細く感じてしまう。これから高校に入ってから、初めての冬を迎えるのだ。不安がないと言ったら嘘になる。
だけれど、桜子の横顔は飄々としていて、何の恐れも抱いていないように晴明には見えていた。
スクランブル交差点を渡って駅に入ろうとすると、晴明は女性が一人、駅の売店の横で立っているのを見つけた。厚手のカーディガンを羽織って、スマートフォンを見ている女性は、間違いなく長野由香里、その人だ。
とはいえ、晴明に大きな驚きはない。今朝顔を合わせたときから、部活が終わったら由香里と駅で会うと、桜子から聞かされている。
近づいてくる二人に由香里も気づいたのか、スマートフォンをしまって、小さく手を振っていた。自然な笑顔は何かを企んでいるようには、晴明には見えなかった。
「由香里さん、こんばんは。お仕事お疲れさまです」
「こんばんは。お二人も部活、お疲れさまです」
なんてことない挨拶を交わして、三人は合流する。由香里はまったくの手ぶらで、職場から直接来たわけではないようだった。
「どうします? どっか、そこのスタバとかで、座って話しましょうか?」
「いえ、このままで結構です。そんなに長い話じゃありませんから」
日が沈んで気温も下がっていたのに、由香里は売店の横から動こうとはしなかった。駅前を通る人全員から見られる位置なのに、それもさほど気にしていないらしい。
晴明は駅の中にでも入って話したかったが、由香里が動かない以上、うかつには動けなかった。
「似鳥さん、いよいよ明日ですね」
落ち着いたトーンで由香里は話しかけてきたが、晴明は早くも緊張を感じて、返事が少し上ずってしまう。
明日はピオニンやカァイブはいない。晴明がアクター部に入ってから初めて体験する、一対一での触れ合いだ。着ぐるみの中にいるのに、自分のすべてをさらけ出すような。そんな感覚がある。
「ハル、大丈夫? 私だけじゃなく、部の誰もついていけないけど」
目を小刻みに瞬かせている晴明を心配したのか、桜子が声をかける。だけれど、晴明は「お、おう」としか返せなかった。
明日、長野家に向かうのは晴明と筒井の二人だけだ。大勢で押しかけて、莉菜を刺激してはいけないからだ。
桜子や芽吹とは午後合流することになっているが、それまで自分がライリスとしての役目を全うできるか。正直、不安は隠せない。
そんな晴明を見通してか、桜子が「まぁ、ハルだったら大丈夫か。いざとなったら筒井さんもいてくれるしね」と言う。温かい言葉に、晴明も今までのライリスとしての経験を信じようという気になった。
「それで、莉菜さんにはライリスが来ることは、もちろん伝えてないですよね?」
「当然です。両親にも協力してもらって、いつものように過ごしてます」
「あの、もし差し支えなければ、今の莉菜さんの状況を知りたいのですが……」
晴明がそう尋ねると、一転して由香は表情を曇らせた。すぐに答えてくれないから、晴明は良くない状況を想像してしまう。
「変わらずです。まだ学校には行けてなくて、外にもあまり出れてなくて……。だから、明日はライリスの力で、元気づけてほしいんです。すぐに学校に行けるようにはならなくても、また莉菜が笑って過ごせるように」
切実な表情で言った由香里に、晴明は使命感にも似た熱い気持ちを抱く。緊張している場合ではない。何とか莉菜の力にならなくては。
晴明は力をこめて「もちろんです」と答えた。
だけれど、由香里の表情は未だに晴れていない。何かを迷っているかのように。
「由香里さん、どうかされたんですか?」と桜子に言われ、由香里は顔を上げる。その目は、かすかに悲壮感を漂わせていた。
「あの、これはそれとも関連することなんですけど、実はウチの両親が今、家族で引っ越すことを考えていて」
想定もしていなかった言葉に、晴明は全身を貫かれるような感覚を味わった。桜子でさえ驚いて、すぐに返事ができていない。
一瞬静まった三人とは対照的に、駅は電車が入線してきて、騒がしさを増す。
「莉菜が学校に行けなくなってから、もう二ヶ月くらい経つんですけど、両親も少し焦ってきたみたいで。一度環境を変えてやり直さないかって、話が出てるんです」
「それは、莉菜さんは何と言ってるんですか?」
「それがまだ正直、私にもよく分からなくて。あまり反応を示してないんですよ。たぶん、本人もまだ混乱している部分があるのかもしれません」
「由香里さんは、どうなんですか?」
「そりゃ、残りたいですよ。今の仕事も好きだし、それに引っ越したらなかなかハニファンド千葉の試合にも行けなくなって、ライリスたちにも会えなくなるじゃないですか。でも、莉菜を無理やりここに留めておくのが一〇〇パーセント正しいのかって言われると、それも確信が持てなくて……」
濁した語尾に、晴明は由香里の抱えている葛藤を垣間見る。
正直、部外者である自分が簡単に介入していい問題だとは思えない。だけれど、このまま何もせずに由香里や莉菜が去っていくのも、受け入れがたい。
晴明は由香里の目を見た。視線が合ったことを感じてから、力をこめて宣言する。
「大丈夫です。明日、僕がまたスタジアムに来たい、ライリスに会いたいと思ってもらえるようにします。僕は莉菜さんとまた、スタジアムで会いたいって思ってますから」
自分でも信じられないほど真っすぐな言葉は、しっかりと由香里にまで届いたようだ。表情が幾分明るく変わる。
口に出すと、もう後には退けない。晴明は、何もかもうまくいく明るい未来を想像した。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです。では、似鳥さん。改めて、明日はよろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
最後にもう一度挨拶をしてから、由香里は駅の中へと入っていった。任された感覚に、晴明の身体の奥は震える。
何としても成功させなければ。そう考えると、途端にプレッシャーが襲ってくる。だけれど、光が見えない状況で苦しんでいるであろう莉菜のことを考えると、負けてはいられなかった。
桜子と少し話した後、晴明はホームに向かった。千葉駅行きの電車はちょうど出たばかりで、それに乗ったのかホームに由香里の姿はない。
晴明は視線を落とさずに、真っすぐ前を見据えた。久しぶりに莉菜と会えることに不安を抱く半面、確かに期待も存在していた。
(続く)
次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(130)
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