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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(192)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(191)





 総武線に乗る。めったに乗らない東京方面の電車が動き出すと、晴明はそれだけで緊張を感じた。昨日の楽しみに思っていた気持ちはどこへやら。

 今日は晴明にとって、初めての千葉県を出ての活動だ。それも今までの活動の中で規模は一番大きい。着ぐるみもスーツアクターも、今までに経験したことのない数が集う。

 そう思うと、晴明は家を出た瞬間から鼓動が速まってしまう。隣に桜子がいても何の慰めにもならなかった。

 総武線を快速から各駅停車に乗り継ぐ。大勢の人を乗せた電車は、千駄ヶ谷駅に到着した。

 人の流れに押されるようにして改札を出る。するとすぐ、ASAHI DELAX CUPと書かれた青いエアアーチが、晴明たちの目に入った。

 それはここが国立競技場につながる広場の前であることを示していて、晴明はすくっと背筋を伸ばす。国立競技場は千駄ヶ谷駅を降りてすぐとは聞いていたが、想像以上に近く、横断歩道を一つ渡るだけでもう着いてしまう。徒歩〇分だ。

 信号が変わるのを待ちながら、隣に立つ桜子は大勢の人と同じように、スマートフォンを掲げて、エアゲートの写真を撮っていた。祭りの予感さえも楽しむかのように。

 エアアーチをくぐると、晴明の前には広大な広場が姿を現した。舗装された地面の上、その両脇に何台かのキッチンカーが並んでいる。

 今日のアサヒデラックスカップで開催されるイベントは、マスコット大集合だけではない。全国各地から、そのスタジアムでしか食べられないようなスタジアムグルメも大集合しているのだ。ハニファンド千葉も、名物のソーセージ盛りを出店する。

 九時の販売開始まで三〇分以上あるこの段階では、さすがにまだまだ人は少ない。

 でも、いざ販売が始まれば試合時間が近づくにつれて、東京近郊からだけでなく、同じように全国から来た人たちで広場は溢れかえるのだろう。

 その様子を想像すると、晴明は本格的なお祭り騒ぎに、胸が高鳴るようだった。スケジュールの都合上、自分は用意された弁当しか食べることができないことが、口惜しくも感じられた。

 キッチンカーが立ち並ぶ広場を抜けて、角を曲がるといよいよ国立競技場が間近に見えてくる。目の前いっぱいに真っ白な壁が広がり、何本も建てられた円柱が屋根を支えている様子は、見上げると晴明はその迫力に圧倒された。

 国立競技場は六〇〇〇〇人以上が一度に観戦できるから、収容人数だけで言えばフカスタのおよそ三倍にも上る。慣れ親しんだフカスタとの規模感の違いに、晴明は少し戸惑いも覚えてしまう。

 今日はグリーティングに先立って、観客が入場する前のスタジアム内で、マスコットたちの集合写真を撮影する予定だ。晴明もピッチ外周のトラックに足を踏み入れることになる。

 誰もいないとはいえ、六〇〇〇〇席以上のスタジアムに登場することはもちろん初めての経験だから、晴明は今から緊張してしまう。期待と不安が交互に訪れて、心の中は忙しないことこの上なかった。

 晴明と桜子は、待ち合わせ場所になっているスタジアム正面に回った。

 今日の場外グリーティングは、スタジアム正面の広場で行われる。だから、既に大勢の人が訪れている正面広場を見ると、晴明は息を呑んでしまう。

 今日対戦するフリアーノ川崎とアローズ広島のファンやサポーターはもちろん、普段着の人が輪をかけて多いことは、この試合が多くの人に開かれたものであることを晴明に実感させる。

 早くも高鳴る胸の鼓動を抑えながら歩くと、そのまま「国立競技場」と書かれたモニュメントの側に、芽吹と植田、それに筒井が待っていた。

 簡単に挨拶を交わして、さっそく控え室に向かう、と晴明は思っていたのだが、桜子がモニュメントとスタジアムをバックにした写真を撮りたいと言い出した。

 植田もそれを了承し、晴明たちは三人でモニュメントの前に並ぶ。真ん中に入るように言われて、晴明は長身の二人に挟まれると、どこか肩身が狭くなるような思いがした。

 写真を撮ると、晴明たちはいよいよスタジアムの中に入る。関係者入り口でもらったスタッフパスを首からぶら下げると、晴明たちは控え室である第三会議室へと案内された。

 第三会議室および第四会議室は間の仕切りがしまわれて、大きな一つの部屋になっていた。室内にはおびただしい数のパイプ椅子が並べられ、壁際には何枚ものブルーシートが敷かれている。上には既に何体かの着ぐるみが置かれていて、その中には晴明が見たことあるマスコットも、今日初めて会うマスコットもいた。

 パイプ椅子はアテンドのものも含めて、一マスコットあたり二人分しか用意されていなかったから、桜子や芽吹、植田はすぐに控え室を後にしてしまう。晴明は「ライリス様」と紙が貼られたパイプ椅子に、腰を下ろす。

 隣には筒井がいてくれるとはいえ、フカスタの何倍もある広い空間に一人置かれたようで、晴明は心細さを感じずにはいられなかった。

 でも、そんな晴明にもすぐさま二人の人物が近づいてくる。「おはよう、似鳥」と声をかけられて、晴明はすぐにパイプ椅子から立ち上がった。

「おはようございます。樺沢さん、代橋さん。今日はよろしくお願いします」

 そう言って晴明が頭を下げると、樺沢は「いいよ、そんなにかしこまらなくて」と言ってくれる。頭を上げると、樺沢は緊張なんてどこ吹く風といった穏やかな顔を見せていた。

 その横で、代橋は少し硬い表情をしている。それは緊張ではなく、自分がまだ完全には認められていないからだと晴明は思った。

「何? 君まだスーツアクター続けてたんだ。勉強や学生生活もあるっていうのに、よくやるね」

 代橋は少し呆れたように言っていて、これから出番なのに、晴明には少し意気が削がれてしまう。第一声からそこまで手厳しいことを言う必要はないのではないか。

 沈んだ表情を隠せない晴明を見て、樺沢が「ちょっと代橋さん、その言い方はないんじゃないですか」と肩を持つ。指摘された代橋は「そんな本気にしなくてもいいじゃん。冗談だよ」と言っていたが、目は相変わらず笑ってはいなかった。

「今日来てるってことは、君がライリスに入るんだよね? どう? 去年一緒に出たときから、ちょっとは成長してる?」

 試すような言い方をした代橋に、晴明は一つ息を呑む。

 自分だってあれから、ライリスとしていくつもの経験を積んできたのだ。あのときと同じはずがない。

 晴明はもう一度、代橋と向き直った。鋭い目にも、退くことなく口を開く。

「はい。去年からライリスとして、スタジアムだけじゃなく色んなとこに出てきたので、その分どう動けばいいかは去年よりはちょっとは分かってるつもりです。今日はヴァルロス君に匹敵するようなグリーティングや動きをしたいと思っているので、代橋さん、改めてよろしくお願いします」

 意を決した晴明の態度を、好意的に受け取ったらしい。「なんだ。言うようになったじゃん」と言いながら、代橋の口元はわずかに緩んでいた。

 ヴァルロス君は人気だけでなく、中に入る代橋の動きとともに、晴明が模範にすべきマスコットの一人だ。だから、少し和らいだ代橋の表情にようやく同じ立場に立てた気がして、晴明には嬉しかった。「はい」と答えながら口角も上がってしまう。

 場外グリーティングに登場する時間帯も同じだから、タイミングが合えばまた絡んでみたいと、シンプルに思えた。

「うん。俺も昨日に引き続き、ライリスと共演できるの楽しみにしてる。同じ千葉のクラブだし、機会があったらまた一緒に何かしよう」

 代橋に続くようにして、そう言ってきた樺沢にも、晴明は笑顔で返事ができた。一緒に昨日よりも大勢の人の前に出る。

 それは緊張とともに、同じくらいのワクワク感を晴明にもたらしていた。

「ところで樺沢さん、今日共演するスーツアクターの方に、挨拶ってした方がいいですかね?」

 控え室に入ったときから抱いていた疑問を、勢いで晴明は口に出す。今日のマスコット大集合に参加するスーツアクターの中で、自分が一番年下であることは疑いようがなかった。

「まあ、似鳥がしたいならすればいいんじゃない? でも、全員っていうのは大変だし、時間もないと思うから、知ってる人とか会ったことがある人ぐらいでいいと思うよ」

 今いる、そしてこれからやってくる全員に挨拶をしなければならないと感じていたから、晴明の心はふっと軽くなった。確かに全員に声をかけていたら、それだけで待ち時間は終わってしまいそうだ。

「ありがとうございます」と礼を言うと、「じゃあ、改めて今日はよろしく」と、樺沢と代橋は晴明の元から去っていった。

 晴明は筒井と少し話してから立ち上がる。向かう場所は、控え室に入って来たときから見当がついていた。

「安茂さん、お久しぶりです。似鳥です」

 晴明がそう話しかけると、安茂はにこやかに立ち上がった。和やかな表情は会えて嬉しいと言っているようで、晴明の心もほぐれていく。

 アテンドの男性は席を外しているのか、控え室にはいなかった。

「ああ、似鳥さん。お久しぶりです。去年の七月以来ですね」

「はい。あの改めてなんですけど、去年のSJリーグ二部優勝と、一部リーグ昇格おめでとうございます」

「ありがとうございます」と答えた安茂は照れくささなど一切感じさせない、爽やかな笑みを浮かべていた。

 去年、徳島ウィルプールはハニファンド千葉との対戦後も首位の座を明け渡すことなく、最終節を前にしてSJリーグ二部優勝を決めていた。一部リーグの舞台で戦うのは、六年ぶりになるらしい。

 だから、晴明はずっと安茂に「おめでとうございます」と言いたかった。それが叶って、晴明は着ぐるみを着る前から、マスコット大集合というイベントがあることに感謝していた。

「去年優勝できたことは私にとっても、とても嬉しかったです。前回の昇格のときは、私はまだクラブにいませんでしたから。でもこれからがより大変だとも思います。一部リーグはどこを見ても強豪ぞろいですから。まずは今年は残留を目指して、来年以降も一部リーグで戦い続けて、数年後には上位争いができたら最高ですね」

 展望を述べる安茂の目の奥には確かな輝きが見えて、これが一部リーグに昇格することなのかと晴明は思う。

 現実的に語っていても嬉しそうな安茂の表情が羨ましくて、晴明は今年こそはハニファンド千葉も昇格して、同じような思いをしたいと願った。

「そうですね。徳島が今年残留して、ハニファンド千葉が昇格して、今度は一部リーグの舞台で、また安茂さんと共演したいです」

「そうなったら、それこそ最高ですね。今日が終わるともう今年は会えないのは寂しいですし、こんなセリフ僕が言えた立場じゃないのは分かってるんですけど、それでも来年、一部リーグで似鳥さんやライリスたちが来るのを待ってます」

 掛け値なしの安茂の励ましに、晴明は早くも目頭が熱くなるのを感じた。一部リーグに昇格したいとより強く思う。

 安茂の目はしたたかな光を帯びていて、晴明は自分の胸が暖かく照らし出されるのを感じた。一部リーグの舞台でも、安茂の入るウィルくんは人気を博すのだろうと思いを馳せた。

「改めて今日はよろしくお願いします」。最後にそうやり取りをして、晴明と筒井は安茂のもとを離れた。

 自分の席には戻らず、晴明はそのまま次の知り合いのもとへと向かう。去年共演したことがあるスーツアクターは、まだ控え室にいた。

「相良さん、久原さん。お久しぶりです。似鳥ですけど、覚えてますか?」


(続く)


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