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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(127)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(126)





 勝呂が不在の練習は、どこかぎこちなかった。小さくまとまった動きに、言葉に出さずとも渡も成も五郎のことを気がかりに思っていることが、晴明には痛いほど伝わっていた。

 晴明も正直練習どころではなかったが、それでも身が入らないまま練習するのは、勝呂や五郎にとっても本望ではないと思い直し、何とか最後まで練習をやりきる。軽めのメニューに似合わない疲労感があった。

「五郎さん、心配だよね」

 一緒の帰り道、まず口を開いた桜子がこぼしたのは、やはり五郎についてのことだった。直接接点があるわけではないが、真っ当な反応をしている桜子に、晴明も「そうだな」と同調する。

 というより、それ以外に適切な言葉が思いつかなかった。

「五十鈴先生は命に別状はないって言ってたけど、それでも急に倒れるなんてね。考えたくないけど、万が一のことも考えちゃう」

 悪い想像は練習中も何度も頭をよぎったから、桜子の気持ちが晴明にはよく分かった。

 それでも口にすると、現実のことになってしまいそうで、晴明は何とか気持ちを持ち直す。

「まぁ、お医者さんや五郎さんを信じようぜ。俺たちに今できるのは、それくらいしかねぇだろ」

「そうだね。早くお見舞いにも行けるようになるといいよね」

 物静かに言った桜子に、晴明も心の中で頷いた。一日でも早く、五郎の平気な顔を見て安心したかった。

 目の前で歩行者信号が赤に変わり、晴明たちは立ち止まる。動いていないと、よからぬ想像が頭を支配しそうで、晴明は自然と首を下げていた。

「ねぇ、ハル。やっぱり波多野さんのこと、思い出してる?」

 晴明にだけ聞こえる声量で、桜子が聞いてくる。周囲に人の気配はないし、車だって一台も止まっていない。自分たちには、何の目も向けられていない。

 にもかかわらず、晴明はすぐに返事ができなかった。口が石膏で固められたみたいだ。

 訊かなくても分かることは訊かないでほしい。もちろん桜子に悪気はないのだろうが、その心配性が今は晴明の気に障る。

「当たり前だろ。忘れることなんてできねぇよ」

 晴明もこぼすように返した。歩行者信号の目盛りは、まだ一つしか減っていない。遅くなった時間の流れが、晴明をいたずらにもてあそぶ。

「ごめん。そうだよね。忘れられるはずないもんね。波多野さん、向こうで元気にやってるといいよね」

 桜子の言葉は、晴明が願うすべてを言い表していた。だからこそ、晴明は素直に同調できない。部外者である桜子が何を言っても、晴明の胸の一番深いところにまでは届かなかった。

 反感にも似た思いを無理やり押し込めて、ただ歩行者信号が青に変わるのを待つ。桜子も晴明の心情を慮ったのか、それ以上何も言ってこなかった。

 長い長い時間を経て、歩行者信号がようやく青に変わる。歩き出すと、不安が毒のように体内を回っていったが、それでも晴明は足を止めなかった。

 明日のことなんて、考えられなかった。




 晴明たちが初めて訪れた千葉弥生大学は、広々とした敷地にキャンパスが林立する、まさに未知の領域だった。上総台高校とは建物の数も高さも規模も、何もかもが違う。窓が多く、陽の光を取り入れられる構造に、晴明は現代建築を感じずにはいられなかった。

 講堂に向かうまでの道は、大小さまざまな装飾が施されていて、人出も多かった。歩いていると、焼きそばや焼きとうもろこしの匂いが漂ってきて、開放的な雰囲気に晴明は少し縮こまる。上総台の大賀祭とは全く違う、未体験の学園祭にただただ圧倒される。自分がここにいていいのかとさえ思った。

 講堂のドアをくぐると、そこには丸いバッジをつけた男子学生が立っていた。晴明はその姿を見て、表情をこわばらせる。

 晴明たちを迎えたのは、先日の大賀祭にもやってきたアクター部OB、片桐だった。「ようこそ千葉弥生大学へいらっしゃいました」と挨拶をするも、先輩の先輩を前にして、桜子や芽吹も緊張を隠せない。

 待機室に通される前に、晴明は一瞬片桐と目が合った。申し訳なさそうに微笑まれても、警戒心は解けない。どうか何事もなく終わってくれるようにと、口には出さずに祈った。

 待機室である三〇〇二教室に通されると、既に筒井が待っていた。ブルーシートの上にライリスの着ぐるみが並べられている。窓には二層のカーテンが閉められ、外からは見えないようになっていた。

 晴明たちは用意された椅子に座って、一時間後の出番を待つ。ざわめきに混じって、隣の建物からかすかにバンドの演奏が聞こえてきて、今日が弥生大にとって特別な日であることを、晴明に印象づけた。

「片桐さん、ここにいて大丈夫なんですか?」

 そう桜子が訊いたのは、片桐が部屋の隅から椅子を引っ張り出して、植田も含めた五人の側に座ったからだ。バッジには実行委員と書かれているから、もっと忙しいと晴明は思っていたが、どうやら実態は違うらしい。

 片桐はにこりと笑って見せる。

「いいのいいの。何かあれば、無線で入ってくるから」

 確かに言葉通り、今の片桐は右耳にイヤフォンを、襟元にマイクをつけている。待機室に案内されるときには、ベルトに無線機をつけているのも見えた。

 それでも晴明は片桐と一緒にいると、どことなく気まずい。そう簡単に過去のことに触れてくることはないと思うが、それでも何を言われるか分かったものではない。晴明の身体は強張っていた。

「そういえば、前の打ち上げのとき聞いてなかったけど、三人は弥生大に来るの初めて?」

「私は初めてです。思ってた以上に広くて、びっくりしました」

「僕はオープンキャンパスで、一度来たことあります。カリキュラムの説明とか体験授業とか。あと学食も、少し食べさせてもらいました」

「そっか。何食べたの?」

「一号館のところの麻婆ラーメンです」

「ああ、あれ美味しいよね。俺も週一で食べてるよ」

 雑談に花を咲かせる三人をよそに、晴明はうまく会話に入れなかった。年齢は四歳しか違わないのに、片桐が大人そのものに見えて、話し出すのに躊躇する。早く着ぐるみの中に入りたいと思う。

 だけれど、「似鳥くんはどう?」と訊かれたら、晴明には返事をするしかない。

「ぼ、僕も初めて来ました。な、なんか馴染みが無さすぎて、迷子になりそうです」

「まあ、まだ一年なんだからそんなもんだよ。もしよかったら、俺が案内してあげよっか? もちろん、出番が終わった後に時間があればだけど」

 片桐はなんてことないように言ったけれど、内心はかなり乗り気そうだった。でも、晴明にはその気持ちに応えることが難しかった。

 確かに興味はあるが、片桐にまた傷をえぐられたくはない。

「で、でも、片桐さんには実行委員の仕事があるんじゃ……」

「ああ、それなら大丈夫。ちゃんと休憩時間を使ってやるから。ていっても三〇分くらいしか空いてないんだけど、それでもいい?」

 形の上では是非を問うていても、OBにそう言われると、なかなか断りづらい。せっかくの厚意を無下にすることは、晴明にはできなかった。

 桜子や芽吹が、「それで大丈夫です」と答えている。晴明も同調するしかなかった。またとない機会だから楽しまなければ損だと、自分に言い聞かせる。

 それでも、胸にかかったモヤは消えなかった。

「先生、大丈夫ですよね?」と訊く片桐に、植田も頷いたから、一時からの出番が終わった後、三人は片桐に連れられて、構内を巡ることになる。片桐は満足そうな顔を見せていて、遠慮している晴明の胸中に気づいていないように見える。

 晴明はもし後輩が出来たら、同じことをしないようにしようと決めた。

 無線が入ったらしく、片桐が駆け足で待機室から出ていく。選手を迎えに行った筒井は、まだ戻ってきていない。晴明たちは小さく息を吐いて、曖昧に笑い合った。

 一筋縄ではいかない予感。晴明はステージ中よりも、出番が終わった後に、強い不安を感じた。



 ステージに歩み出た瞬間、眩い照明がライリスを照らす。晴明は手をかざして光を遮りたくなるのを抑えて、客席に手を振った。二〇〇席ほどの中ホールは八割ほどが埋まっていて、観客の顔が晴明には、一人一人はっきり見えた。

 ハニファンド千葉のユニフォームを着ている人もいる。拍手やシャッター音からは、ライリスが守ってくれる。

 前から二列目に由香里がいるのが心強く、スタジアムとはまた違ったホールの雰囲気にも、晴明は怖じ気づかずにいられた。

「改めてご紹介します! ハニファンド千葉からお越しくださった背番号八、柴本真生選手と背番号二〇、小針淳一選手。そして、マスコットキャラクターのライリスくんです! 皆さん、今一度盛大な拍手でお迎えください!」

 三人の横に立つ司会の女子学生、晴明たちと顔を合わせたときには緑ヶ丘と名乗った、が音頭を取るとホールには再び拍手がこだまする。

 温かな拍手に、選手とライリスは小さくお辞儀をした。キャンパスには他にいくらでもイベントがあるのに、わざわざ足を運んでくれたことが晴明にはありがたい。

「さて、お二人は弥生大に来るのは初めてということですが、どうでしょうか? 弥生大の印象などは」

「広いですね。僕の通っていた大学の三倍くらい広いです。校舎も綺麗ですし、いい大学だと思います」

「学園祭だからかもしれないですけど、賑やかですよね。僕はユースから直接トップチームに入ったので、もし大学に通ってたら、また違った楽しさがあったのかなと感じました」

「柴本選手は、大学サッカーからのお誘いもあったんですよね」

「はい。よく知ってますね」

「クラブからのメルマガに書いてありました」

「緑ヶ丘さん、ウチのチームのサポーターズクラブに入ってくれてるんですか?」

「はい、高校のときからずっと入ってます」

「そうですか。いつもありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそです」

 会釈をしあう三人がどこかおかしくて、晴明はライリスの中で笑った。ホールの雰囲気も上々で、三〇分という時間もなんとか乗り越えられそうだ。

 トークイベントは、緑ヶ丘の学生とは思えない司会のうまさもあり、順調に進んでいた。二人の学生時代の話、特に小針の大学時代の話を中心に、サッカーのことやチームのこと、果ては休日の過ごし方など、話題は多岐にわたった。

 二人とも話すことは苦手ではないようで、時折笑いさえ交えている。

 晴明も相槌を打ったり、時には驚いてみせたり、口に手を当てて笑みを表現してみせたり、様々なジェスチャーでイベントを盛り上げる。そのおかげもあってか、中ホールには穏やかな空気が流れていた。

「では、最後に何か弥生大の学生、もしくはお客さんに何か伝えたいことがあれば、どうぞ」

 視界に時計がないから、どれほどの時間が経ったのかは、晴明には分からない。それでも肌感覚で、三〇分以上は経っている気がする。

 少しずつ体力の限界が見えてきた晴明の思いを汲み取ったかのように、緑ヶ丘はトークイベントを締めにかかった。

 小針がマイクを持つ手を上げている。ある程度は、事前に考えてきていたらしい。

「そうですね。学生さんへは、勉強はもちろん大事なんですけど、学生のうちにしかできないことをやっておいた方がいいよってことでしょうか。趣味だったりサークルだったり。多くの場合、人生に大学時代は一回しかないので。勉強をきちんとやったうえで、悔いのないよう楽しんでほしいですね」

 小針の言ったことは、学生にとっても言われたいことだったのだろう。ホール全体が頷いたように、晴明には感じられた。

 入れ替わるようにして、今度は柴本がマイクを持つ。少し間があって、晴明は横から発せられる声を聞いた。

「僕は大学に行ってないんで、あまり偉そうなことは言えないんですけど、それでもちゃんと勉強はしといた方がいいのかな、と。高校から直接チームに入って、サッカーを中心にさせてもらってる僕でも、学生時代もっと勉強しておけばよかったなと思うことが、多々ありますから。当たり前ですけど、みんながみんな大学に行けるわけじゃないですし、勉強できる環境に感謝しながら、日々を送ってほしいですね」

「ちょっと説教くさくなっちゃいましたかね」と最後に付け加えていたから、学生にとっては耳が痛くなるようなことを言った自覚は、柴本にもあるらしい。頷いているのも晴明が見る限り、大人たち数人だけだ。

 それでも緑ヶ丘が「いえ、そんなことありません。本当におっしゃる通りだと思います」とフォローしたから、ホールの雰囲気は悪くならずにすんだ。

 晴明も高校での日々を大事にしようと思える。柴本は思っていたよりも、理路整然とした考え方をしていた。

「まあ、でも勉強だけだと、少し息が詰まっちゃいますよね。ときには息抜きも大事だと思います。その息抜きの選択肢の中に、ハニファンド千葉の試合を見に行くことを入れてもらえたら、嬉しいですね」

「あっ、それ俺も言おうと思った」と小針が虚を突かれたように言ったから、ホールには小さな笑いが起こった。

 確かに入場者数は増えているとはいえ、フカツ電器スタジアムの客席には、まだ半分ほど空きがある。満員のスタジアムを見たいと思っているのは、クラブ関係者だけでなく選手も同様なのだろうか。

「スタジアムに行くのは、ちょっとハードルが高いと思っているかもしれないですけど、全然そんなことないですから。フカツ電器スタジアムは蘇我駅からも近いですし。それに試合の日はサッカーだけじゃなく、美味しいグルメや楽しいイベントもたくさんあるので、それを目当てに来てもらっても全然OKです。それに、彼」

 そう言って、柴本がいきなりライリスの方を向くから、晴明は少し驚いてしまう。

 右手を高く上げる。柴本だけでなく、小針や緑ヶ丘も微笑んでくれたから、晴明の行動は正解だったらしい。

「彼、ライリスって言うんですけど、試合日にスタジアムに来たら、絶対に会えますから。スタジアムの内外でグリーティングもしてますし、それに今日は来てないですけど、ウチのクラブにはピオニンやカァイブといったキャラクターもいて。いつも仲が良くて、自慢のマスコットキャラクターたちです。だから、彼ら彼女らに会いにスタジアムに来るのも、僕は全然アリだと思ってます。今度の試合は今月の一四日なので、ぜひスタジアムに遊びに来てください」

 まるでファンかと思うほど、熱弁する柴本に、晴明は救われる思いになった。選手にここまで言ってもらえると、マスコット冥利、スーツアクター冥利に尽きる。

 晴明は双眸を柴本に向ける。目は合わなくても、柴本に感謝を伝えたかった。

「ありがとうございます! 私も来週、フカスタに行きたいと思います! では以上、ハニファンド千葉から柴本真生選手、小針淳一選手、そしてマスコットキャラクターのライリスくんでした! 皆さん、盛大な拍手でお送りください!」

 緑ヶ丘が促した通り、客席からは大きな拍手が響くから、晴明たちは気持ちよくステージを後にできた。本当は客席を見ながら去りたかったが、安全のために足元に注意しなければならないことが、晴明には口惜しい。

 舞台袖に戻った瞬間、柴本が近寄ってきて二人にしか聞こえないような声で「お疲れさま」と言ってくれた。

 拍手にかき消されそうなほど、小さな声。ライリスに向かっての言葉だと分かっていながらも、晴明は自分ごととして喜んでいた。体力的には辛くても、笑顔でいられる。

 晴明は既に、来週またホームゲームで柴本たちと顔を合わせることが、楽しみになっていた。


(続く)


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