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【小説】30-2(8)



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 目が覚めると、頭が鉛を含んだように重たかった。

 昨晩は寝て起きてを五回ほど繰り返し、深く眠ることができなかった。まだ熱帯夜というほどには暑くない。

 なのに、私がなかなか寝つけなかったのは、昨日の夜一二時に、新しい動画『なれない二人』を投稿したからだった。

 新作を投稿した夜はいつもこうだ。ありもしない反応に胸躍らせて、眠りにつくことができない。

 五分ごとに再生回数をチェックする。たとえ一つずつでも再生回数が増えていくことは嬉しい。苦労して動画を作った甲斐があったと思えるから。

 起き上がるのも億劫で、私はスマートフォンを手に取り、『なれない二人』の反応を確認する。

 だけれど再生回数は四十四回で、一時間前と何も変わっていなかった。高評価一、低評価ゼロもそのまま。

 コメントはEightの腐ったような定型文が一つだけ。頼みの綱であるnamelessは、何も言ってこない。

 SNSのインプレッションを見ても、リンクがクリックされた痕跡はない。つまり私の新作動画は、あっという間にインターネットのブラックホールに飲みこまれて、誰からも顧みられなくなっていた。

 最後のあがきに投稿をリツイートしたけれど、これも大して効果を発揮しないだろう。

 私の負けは、今回も確定していた。奇跡なんて起こるはずもない。

 スマートフォンと一緒に、顔を枕に突っ伏した。「ちくしょう」と心の中で呟く。

 こんな動画、投稿するんじゃなかった。というか、ハナから創作なんて始めなければよかった。毎度毎度の意気消沈タイムだ。

 出社時間まではあと三〇分しかなかったけれど、会社に行く気はとうに失せていた。このまま石になりたい。

 だけれど、どれだけ落ちこんでいても私は人間で、時間は容赦なく過ぎる。遅刻したら上司に何を言われるかわかったものではい。

 私は鼻で息を吸って、吐くのと同時に身体を起こした。無理やりワイシャツを着る。

 月曜日。憂鬱な一週間の始まり。

 それでも窓の外には、未来への希望を映し出すように、雲一つない青空が広がっていた。



 昼休みになって、私は昼食を食べるよりも先に、スマートフォンを手に取っていた。

 だけれど、いくら読み込んでみても、再生回数は四十四回のまま変わらなかった。

 縁起の悪い数字で止まっていることに、机を蹴りたくなるほどの嫌悪感を催す。

 自分で再生して四十五回にしようとも思ったが、私の中に残っている、ちんけなプライドが許さなかった。

 いっそ恥も外聞も、何もかも捨てられたら楽なのに。こんなに苦しい思いをしなくて済むのに。

 自由席からはお決まりの三人、林谷、坂口、金澤が話している声が聞こえる。

 今さら先週の木曜のバラエティー番組の話をしていて、もっと他に話題はないのかと、私は心底うんざりする。

 だけれど、人と話せている三人がまともな人間で、誰とも話せない私がダメな人間なのは明白だ。

 私は嫌々ながらも席を立って、自由席に向かっていた。

 三人の雑談は、私がいなくても何の支障なく回る。

 それでも、ただ場にさえいれば、私のダメダメさが少しでも薄れる気がした。まあそれも一分も経たないうちに、後悔に変わるのだけれど。

「で、ですね! 邑丘(むらおか)さんがなんとピタリ賞を当てまして! 一〇〇万円を貰ってたんですよ!」

「へぇー、知らねぇー。けどよかったじゃん。珍しいことなんでしょ」

「はい! 何てったってピタリ賞は、今年初めてのことでしたから! 今年、邑丘さん調子よくて、まだ一度もビリになったことないんですよ!」

「あなた、いつもそのテレビ見てるよね。飽きないの」

「いえ、全然! 毎週色々な料理が出てきて面白いですよ! そうそう来週はですね、VIPチャレンジャーで、俳優の剣崎大和(けんざきやまと)さんと柏本安奈(かしもとあんな)さんが出るんですけど、ご存知ですか?」

 林谷は黙々とパンを食べる私ではなく、坂口や金澤の方を見て訊いていた。

 その二人なら、映画にドラマに引っ張りだこの超人気俳優だから、私だって出演作の二つや三つ、すぐに思い出せる。

 だけれど、坂口と金澤は「いや、知らねぇー」と答えていたから、私は軽く二人の常識を疑った。普段何を見て過ごしているのか。

 坂口に「小鹿さん、知ってる?」と言われて、「まあ名前だけは」と答える。出演作をどれだけ並べても、こいつらはピンと来ないだろう。半径五キロメートルのことにしか興味がないのだから、言っても無駄だ。

 それからも三人は、最近できたチェーン店のラーメン屋が美味しいだとか、仕事で使っているシステムが今度バージョンアップするだとか、まったく興味の湧かない話題で盛り上がっていた。

 周囲の若干疎ましいような視線も、微塵も気にしていない。まるで三人だけの世界に入っているようだ。

 割って入るタイミングも見いだせないまま、次々と移り変わる話題に、私はスマートフォンを見ることで逃げていた。

 はっきり言って、耳を傾けているだけでも苦痛だし、楽しそうにしている顔を見るのは、もっとストレスだ。

 人として当たり前の営みを鬱陶しく思っている私は、社会不適合者なのだろう。他の会社だったら、とっくにクビになっているに違いない。

「ところでですね。芸人の神山(かみやま)さん、昨日お亡くなりになったじゃないですか」

「ああ、今朝のニュースでやってたね。何でも首を吊ったとか」

 林谷が持ち出した話題に、私が覚えたのは怒りだった。人の死というデリケートな問題を、「今日は暑いですね」みたいな口調で持ち出されたことに、無性に腹が立った。

 もっと慎重になるべきだろ。

 そんな私の憤りなんて知る由もなく、金澤も口を挟む。

「何も自ら命を絶つことなんてないのにね。そんなに苦しいなら、誰かに相談すればよかったのに」

「そうですよ。芸能人だから知り合いも、いっぱいいたはずなのに」

「まあ、誰にも言えないほど辛かったんじゃねぇの。にしたって死ぬのはやりすぎだけど。ねぇ、小鹿さんはどう思う?」

「……うるせぇな」

 それは無意識ではなく、はっきりと意志を伴った言葉だった。

 戸惑ったのか、三人は会話をやめて、一斉に私を見る。

 興味津々といった目が気に食わない。私の苛立ちはますます増幅されていく。

「小鹿さん、どうしたの? ちょっとよく聞こえなかったんだけど」

「うるせぇなって言ったんですよ。どうしてそんな軽々しく、命を絶った人を話題に出せるんですか? もっとデリカシーとか人の心ってもんは、ないんですか?」

「何? もしかして小鹿さん、怒ってる?」

「怒ってますよ。神山さんの死は、あなたたちの話題の種じゃないんですよ。それをいけしゃあしゃあとへらへらと。どういう神経してんですか?」

 私は辛うじて声を抑えていたから、私たちは誰にも顧みられてはいなかった。

 本当は今すぐ、こいつら一人一人の顔面を殴ってやりたい。特に、どうして責められているのか分からないという顔をしている林谷は、完膚なきまでに叩き潰してやりたい。

 もういい大人なのに、命の重みが分からないのだろう。死にたいなんて、一回も思ったことがないに違いない。

 目を逸らしても視界には、林谷のとぼけた顔が入る。何か一言でも言われたら、声を荒げてしまいそうだ。

「まあ、小鹿さん落ち着きなよ。怒ったって何もいいことないでしょ」

 隣に座った金澤がなだめようとしたけれど、少しも心配していない声色が火に油を注ぐ。理性が仕事することを放棄した。

「うるせぇな。少し黙っててくださいよ。大体、私はあなたたちを見てるとイライラするんですよ。一つも面白くない話で、延々へらへらと笑って。何がそんなにおかしいんですか?」

「何? そう思うんなら来なきゃいいじゃん」

 開き直る坂口に、脳の血管が切れる音を聞く。私だってこんなとこ、望んで来てるわけじゃない。うざったくて、腹が立って、それでも人と話す必要があるから来てるだけなのに。

 こんなに頭にきていても、手を出せない自分が嫌になる。

 殴り返されたら痛いだとか、手を出したらもう会社にいられないだとか、そんなことばかりが頭をよぎって、激情的になれない、自分が情けなくてたまらない。

 だから、私は言葉にありったけの棘を込める。

「皆さんはいいですよね。いつも笑って楽しそうで。人生にいいことなんて、楽しいことなんて一つもないのに。なんでそんなに人生、楽しそうなんですか? 自分が生きてていいって思えるんですか?」

「えっ、小鹿さん、もしかして死にたいんですか?」

 そういうことじゃねぇだろ、バカ。

 いつもの早口で訊いてくる林谷に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

 勢いよく立ち上がって、足早に三人のもとから去る。これ以上いると、口汚い言葉で罵ってしまいそうだ。

 そのまま自分の席に戻って、イヤフォンを装着する。

 三人は何事もなかったかのように雑談を再開していて、私は軽く机を蹴った。

 好きな曲を再生して、机に突っ伏す。どれだけお気に入りのメロディーでも、しばらく私の怒りは収まらなかった。



(続く)


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