【小説】30-2(7)
ただ辛いだけの仕事は、一七時になってようやく終わった。一週間が終わった解放感からか、それとも休日に胸躍らせているのか、社内はいつもより騒がしい。
だけれど、私は雑談をする同僚に目をくれず、一直線に会社の外へと向かっていた。職場に長くいてもストレスがたまるだけだ。
いつもだったら映画館に行って、今日封切られた映画を見ているところだが、この日の私はまっすぐ家に帰っていた。
見たい映画がなかったからではない。今日は以前応募した自作動画コンテスト「ツルヤチャンスプレゼンツ」の結果発表があるからだ。
Youtubeのアカウントを持っていれば、誰でも応募できるこのコンテストは、すでに一〇回の開催を誇り、毎回多くの動画が投稿されている。
先月発表された一次選考に、私が応募した動画も残っていたから、期待は膨らんでいた。
スマートフォンを見たり、本を読んだりしながら、結果発表を待つ。何をしていてもコンテストのことが頭から離れない。
最優秀作品には一〇〇万円の賞金が贈られ、Youtube公認の動画クリエイターになることができる。ここからCMやYoutubeドラマを手掛けた人も出ているから、注目度はピカイチだ。
受賞したときの妄想が、目をつぶっていても、湧き出てくる。名誉とお金と承認。今まで私の動画を無視してきた人たちを見返すことができる。
そう思うと、たとえ受賞の可能性は低くても、心は否応なく弾んだ。
一八時を知らせるアラームが鳴る。私は飛びつくようにスマートフォンを手に取り、結果発表のページを開いた。少しずつ指を滑らせていく。バラ色の日々がすぐそこまで来ている。
だけれど、最優秀作品は私の動画ではなかった。「Funny Chameleon」という五分ほどの動画で、受賞者の欄には「Mayonaka Suwano」と書かれている。
気落ちしなかったと言ったら嘘になる。でも、そう簡単に事が運ぶわけもない。
私は結果発表の続きを見る。しかし、五作品の優秀作品にも、私の動画は入っていなかった。
当然だ。一次選考を通っただけでも上出来だ。そう自分を慰めてみても、余計な期待を持たすなよと、逆恨みにも似た気持ちが湧いてくる。
これ以上結果発表を見るのは、精神衛生上よくない。そう思っても、私は審査員の選評までしっかり読んでしまった。
何が足りないのかと言えば、何が足りないのかも分からない私の頭なのだろう。
自分に失望しながら、それでも私はSuwanoのプロフィールを開いていた。
もし何回も挑戦を続けて、ようやく受賞できたのならば、素直におめでとうと言うつもりだった。燻っている私たちの、希望の星になってくれることを期待した。
だけれど、プロフィールからSNSに飛んだとき、私はそれが浅はかな行動だったと思い知る。固定された投稿に、「初めての応募でしたが、何と最優秀作品に選んでいただきました!」と書かれていたからだ。
しかも、生年月日を見るにまだ二一歳。
私の心には、もはや嫉妬と憎悪しかなかった。才能のある人間はすぐにでも見出されて、才能のない人間は何年経っても芽が出ることはない。
当たり前を突きつけられて、唾を吐きたくなる。
どんどん私よりも若い世代が出てきて、何の結果も出していない私を簡単に追い抜いていく。
二八歳は、この世界ではもうおっさんだ。いや、プライドを捨てきれていないという意味では、老害と呼んだ方がいいだろう。
スマートフォンの電源を切った私は、床に仰向けになった。天井の木目にさえ苛ついてしまう。
私は息を吸いこんだ。寝るなんてできるはずもなかった。
「助けてー」
無意識の呟きを自分の耳が聴いて、私はすぐに自己嫌悪に陥った。
起き上がってかぶりを振る。窓の外はまだ明るい。
「いやいや、こんな奴助けなくていいから。『助けて』っていうのは、自分でもう限界ってとこまでがんばって、初めて言える言葉だから。お前、そんなにがんばってないじゃん。『助けて』なんて言っちゃダメだよ」
心の声が独り言となって、口から漏れる。恥ずかしいと赤面はしない。隣人に聞こえていてもよかった。
私は誰にも見られていない、透明人間だ。
この世に存在しているか怪しいくらいだから、何を思われたっていい。何も言ってこなければ、何も思っていないのと同じだ。
パソコンを立ち上げ、ロード画面を見ながら考える。
どうして私は創作をしてるんだろう。
承認欲求を満たしたいから? この世に私が生きた証を残したいから? 職場のくだらない奴らとは違うと思いたいから?
きっとどれもが正解で、どれもが間違いなのだろう。見られなていないのに創作をする理由は、とても一言で語れない。
私は編集ソフトを開いた。先々週に撮影した動画の編集は、いよいよ大詰めを迎えていた。あと少しで終わるだろう。
「よし」と呟いて、マウスに触れる。
その瞬間、テーブルの上のスマートフォンが通知音を鳴らした。Youtubeからの通知だった。
「新着コメントが1件あります」
喜ばしい通知に、私のやる気はいとも簡単に吹き飛ばされた。
考えるよりも先に手が動く。赤い丸がついていたのは、『ラスト・ペンギン』。私が最初に投稿した、三分ほどの動画だった。
「三分とは思えない密度でとても面白かったです! 特に終盤の大庭の行動には涙腺を刺激されました! 続きがあったらぜひ見てみたいです!」
投稿したのは一〇年前。なのに再生回数は未だに五〇回。
だけれど、去年確認したときには四十九回だったから、この「nameless」というコメント主が見てくれたことは確かなのだろう。
高評価は三で、低評価はゼロ。
Eightさえも気づいていない、インターネットの底なし沼に沈んだこの動画を、今になって見てくれる人がいたとは。
出演している友達の、今の連絡先を私は知らないから、続きを撮ることはできないが、それでも私は飛び回りたいほどの喜びに駆られた。
捨てる神あれば、拾う神あり。このnamelessはまさしく私の神様だ。
どれだけ感謝を述べても、拝み倒しても足りない。
私は透明人間ではなかった。私の動画はちゃんとこの世に存在していた。
私はさっそく「見てくださってありがとうございます! もしよろしければほかの動画もぜひご覧ください!」といった趣旨の長文を書いて返信した。
きっと私たちのやり取りも、誰にも顧みられていないのだろう。だけれど、私はそれでもよかった。
たった一人でも見てくれる人がいる。認めてくれる人がいる。
それだけで計り知れないほどのパワーが湧く。
私はスマートフォンを置いて、マウスに手をかけた。クリック音が、静かな部屋に響く。
その夜、私は眠ることなく動画の編集を続けた。
明日のことなんてどうでもよかった。
(続く)
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