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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(153)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(152)





「莉菜は今日はお休みです。ちょっとまた体調を崩してしまったので」

 シーズン中と変わらないメインスタンドの座席で、由香里は晴明たちからの疑問に答えていた。

 スタジアムには続々と人が入りはじめ、中継開始を今か今かと待っている。フカスタの大型ビジョンはホームゴール裏にあるから、見やすいようにアウェイゴール裏に座っているファンやサポーターも多くて、普段とは異なる雰囲気があった。

「莉菜、大丈夫なんですか?」

「はい。とはいっても、家で中継見れるくらいには元気ですから、そこまで不安にならなくても大丈夫ですよ。本人もフカスタに来たがってましたし」

 由香里の説明に、晴明はひとまず胸をなでおろした。莉菜が大事に至っていないようで安心する。

 だけれど、由香里の隣に空いた座席は、莉菜の不在を強く物語っていた。

「そうなんですか。早く元気になってほしいです」

「ありがとうございます。でも、体調はよくなってきてますし、もし来週もあったら、そのときはスタジアムに来れると思います」

「そのためにも今日、絶対に勝たないとですね」

「はい。ハニファンド千葉が勝つのは当然ですけど、欲を言えば、もう一試合は六位の岡山に勝ってほしいですね。そうすれば順位が上のハニファンド千葉のホームで試合ができますから。それにたとえ引き分けても昇格っていう、アドバンテージも得られますし」

 まだ試合が始まってもいないのに、来週の話をするなんて、少し気が早いなと晴明は思ったけれど、おそらく由香里の言うことは、ハニファンド千葉のファンやサポーターの共通認識だろう。

 同時刻キックオフの昇格プレーオフのもう一試合は、シーズン三位の京都サンクス対六位のファンツィーニ岡山というカードになっている。

 ハニファンド千葉は、京都サンクスに今シーズンは一度も勝てていない。対照的にファンツィーニ岡山には一度も負けていない。試合が始まったらそんなものは関係なくなるけれど、対戦成績からもファンやサポーターが岡山との対戦を望んでいるのは明らかだった。

「確かに莉菜の体調を考えると、京都までっていうのは難しいでしょうから、岡山にはがんばってもらわないとですね」

「はい。まあ、今日ハニファンド千葉が勝つのが大前提なんですけどね。勝てるよう必死で祈っときます」

「祈り、通じるといいですね」

「本当ですね」そう言った由香里の表情は穏やかで、キックオフを落ち着いて待っていた。

 だけれど、晴明はその隣の空席をどうしても意識してしまう。頭に思い浮かんだ事柄は、スタジアムの雰囲気にはまったくそぐわない。それでも、楽しそうに話している由香里を見るたびに、家にいる莉菜のことが思い起こされる。

 これは莉菜のいる前で訊くことはできないだろう。晴明は会話を続けている二人の間に、慎重に言葉を差しこんだ。

「あの、由香里さん。ちょっといいですか。少し気になることがあるんですけど」

「はい。何でしょうか?」

 由香里の目は不思議そうにしていて、思い当たる節はないように晴明には見えた。会話を止めてしまった勢いのまま、晴明は思い切って尋ねる。

「由香里さんたちが莉菜さんのために引っ越すかもしれないって話って、まだ生きてるんですか?」

 そう尋ねた途端、由香里は一瞬真顔になった。すぐにまた笑顔を取り戻していたけれど、この場で訊くにはデリケートすぎる話題だったかと、晴明は軽く後悔する。

 だけれど、気になってしまったものは仕方がない。はっきりと否定してもらうことで、晴明は安心を得たかった。

「正直に言うと、まだなくなったわけじゃないです。莉菜もたまにしか学校に行けてないですし。私は学校に行くのが唯一の正解とは思ってないんですけど、でも親はまだ環境を変えることも含め、話し合ってるみたいで。正直、どうなるかは私もまだ分からない状況です」

 由香里の返事は曖昧で要領を得ていなかったけれど、それがかえって何も決まっていないという状況に真実味を持たせていた。晴明には思っていた以上に深刻に響いて、自分から切り出したはずなのに、それ以上話を続けられない。

 桜子が代わりに「莉菜、なんとかここに残れるといいですね」と言っている。その気持ちは晴明にもよく分かったが、莉菜がこのままの環境に居続けることが、絶対的な正解とも思えなかった。

「そうですね。ライリスたちとも会いにくくなっちゃいますから。でも、何が莉菜にとって最適なのか、本人も含めて、もう一度よく話し合っていきたいです」

 由香里の声も迷っていて、自信に欠けていた。三人の周りの空気が、かすかに澱み始める。

 こんな暗い空気になるために、フカスタに来たんじゃない。

 晴明は今日の結果の予想だとか、どの選手が活躍しそうだとか、前向きな方向に話題を切り替えた。由香里も快く答えてくれて、空気はまた明るさを取り戻す。

 時間が許すまで話を続ける三人。だけれど、莉菜の分の空白を意識しないことは、最後まで晴明にはできなかった。



 中継が始まったのはキックオフ一〇分前からだった。タイミングを合わせるようにライリスたちもピッチサイドに出る。ぽっかりと空いたホームゴール裏は少し変だったものの、他の席にはファンやサポーターが満遍なく座っていて、高まった期待を晴明は感じていた。

 選手入場のときには、目の前で試合があるのと同じように、大勢のファンやサポーターが立ち上がって、タオルマフラーを掲げてくれたし、試合直前にはホームの新潟のサポーターの大声援に紛れて聞こえてくるハニファンドコールを、ゴール裏に座るファンやサポーターを中心に、フカスタでも再現してくれた。

 ライリスたちが手を挙げて応援を煽ったおかげもあったけれど、わざわざフカスタにまで来て応援してくれる人の多さに、晴明は心強い思いを抱く。パブリックビューイングに来てくれた人の分も合わせれば、応援の熱量はホームの新潟のファンやサポーターにも負けていないと思った。

 試合が始まると、わざわざ大型ビジョンを見なくても、スタンドの反応だけで、試合展開が第二会議室にもいる晴明たちに何となくだが伝わる。

 ハニファンド千葉は、前半に一点を先制された。スタンドが一瞬水を打ったように静かになったことに、晴明は危機感を抱く。このままでは一部昇格は叶わない。

 なんとか巻き返してほしいと心の底から願うぐらいに、晴明はすっかりハニファンド千葉の一員になっていた。

 祈るようなフカスタの空気が通じたのか、ハニファンド千葉は後半の早い時間帯に追いついた。今夏に加入した外国籍選手の得点だ。スタンドがしばし喜んだのが晴明には分かったけれど、すぐにそれも収まる。ハニファンド千葉は逆転しなければ、決勝へ進出できない。

 だけれど、フカスタには前向きな勢いが充満しており、ハニファンド千葉の選手たちを遠くから後押ししている。心なしか観客の歓声も増えてきた。それはハニファンド千葉が勢いを持って、相手陣内に攻めこんでいることの証に他ならなかった。

 ハニファンド千葉が逆転したのは、晴明たちが着ぐるみを着て、そろそろ準備をしようかという頃だった。柴本がゴールを決めたらしい。スタンドは今度こそわっと湧き上がり、スタジアムが揺れたようにすら晴明には感じられた。

 晴明たちにも笑顔が広がる。普段ライリスと仲良くしてくれている柴本のゴールは、晴明にとっては自分のことのように嬉しかった。気持ちよく着ぐるみに入ることができる。

 試合が終わるまでは、あと一〇分。ハニファンド千葉は、一部昇格を少しずつ自らの手に手繰り寄せつつあった。

 試合はアディショナルタイムに入った。新潟としては一点でも入れられれば、決勝に進むことができる。意地がかかった猛攻を、ハニファンド千葉が必死に凌ぐ時間帯が続いていた。

 ライリスたちは、メインスタンドの下で試合終了を待つ。目は自然と大型ビジョンに釘づけになる。着ぐるみの暑さとは別に、晴明でさえ手に汗を握っていたのだから、ファンやサポーターが感じるプレッシャーはいかほどだろうか。ゴールを挙げた柴本も、すっかり守備に奔走している。

 晴明は祈るような気持ちで、時間が過ぎるのを待った。ここまで本気で祈ったことはかつてなかったと思うほどに。

 試合終了の笛が、大型ビジョンを通して、スタジアムに鳴り響く。二対一でハニファンド千葉が辛くも勝利を収めたのだ。

 試合が終わってスタジアムは喜びを爆発させるというよりも、緊張の糸が切れたような安堵の方が大きかった。まだ決勝があるけれど、それでも昇格の可能性を残せたという喜びを嚙みしめているようだ。

 画面の向こうで試合を終えた選手たちを称える拍手に包まれながら、ライリスたちは再びピッチサイドに登場した。晴明は手を振り上げて、足を弾ませて喜びを表現する。拍手はなかなか鳴りやまない。

 前向きな空気の中で登場できることが、晴明には心地よかった。

 中継のアナウンサーがもう一方のカードは、ファンツィーニ岡山が勝ったことを伝える。すると、スタンドは小さくどよめいた。昇格プレーオフ決勝が、ここフカスタで行われることが確定したからだ。

 もしかしたら目の前で、ハニファンド千葉が悲願の一部昇格を果たすところが見られるかもしれない。ファンやサポーターの期待値が一気に高まったのを、晴明は着ぐるみ越しに感じ取った。

 選手に代わって今日フカスタに来てくれたことへの感謝を、軽く頭を下げたり、手を大きく振ることで伝える。

 少しずつ人が帰っていくスタンドを、晴明は勝利の余韻を味わうかのように眺めた。自分が何かしたわけではないのに達成感が胸にはあった。



「何ですか、話したいことって」

 パブリックビューイングが終わって一時間が経った。蘇我駅の混雑も大方解消され、改札口にはもうハニファンド千葉の赤いユニフォームを着た人は、さほど見られない。

 階段を上ってやって来た人物に、晴明は早急に問いかけた。もっともらしいカメラが、カバンの横にぶら下がっている。

「いや、今日はハニファンド千葉が勝ってよかったね。先制されたときはどうなることかと思ったけど、逆転したときは俺も思わず興奮しちゃった。サポーターの人にインタビューしても、みんな気持ちよく喋ってくれたし。おかげでいい記事が書けそうだよ」

 揚々と答える有賀に、晴明は若干辟易した。主要な話題が試合ではないことは分かりきっていた。「そうですね」と返す口調も少しぶっきらぼうなものになってしまう。

 こっちは少ない出番とはいえ、着ぐるみに入って疲れているのだ。桜子や先輩たちには用事があると話して、先に帰ってもらった。

 それもこれも、トイレでばったりと取材に来た有賀に会ってしまったせいだ。晴明は自分の運の悪さを悔いたけれど、今さらどうすることもできなかった。

「似鳥くんも、今日は手ごたえあったんじゃない? サポーターの人、みんな喜んでたから」

「まあ敗退するよりはよかったですけどね」

 まだ電車は来ないとはいえ、晴明は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。だから、返事も短く素っ気ないものになってしまう。晴明があまりにも釣れない態度をするから、有賀の顔からも少しずつ笑みが消える。

 今、蘇我駅には出てくる人も入っていく人も一人もいなかった。二人の話は誰にも聞かれていない。

 有賀は目を真剣なものに変えた。いつものへらついた表情とは違う真面目な雰囲気に、晴明は本題が来るのだと悟った。

「実は先週さ、天ヶ瀬くんのコンサートの取材に行ったんだよね」

 有賀が切り出した話題は、晴明の予想の範疇を超えなかった。晴明だって先週は頭のどこかで意識していたし、トイレで話しかけられたときから察してはいた。

 だけれど、いざ口に出されると、晴明は自分の身体が途端に硬直するのを感じる。奥底に押しこめていた記憶が浮上してきて、気温以上に寒気を感じた。

「いや、すごかったよ。天ヶ瀬くんのピアノ。バッハだったりベートヴェンだったり、俺でも知ってるような曲を完全に自分のものにしてて。一台のピアノから出ているとは思えない迫力があって、思わず鳥肌立っちゃった。関係者席でタダで聴けたのは、本当に役得だったなぁ」

 いくら鈍い有賀でも、天ヶ瀬の話をされると晴明が傷つくことぐらい分かっているだろう。率直に言って話をやめてほしい。

 そう思うと、晴明は睨むような目に変わってしまったが、それでも有賀は大して態度を変えなかった。

 晴明が傷ついてもいいと思っているのだろうか。だとしたら、自分は有賀を軽蔑するなと晴明は内心思った。

「……それはよかったですね」

「うん。筆も乗って、記事もいいのが書けたよ。もっとクラシック音楽聴いていきたいなって、素直に思った」

 有賀がどう思おうと自分には関係ない。早くこの場から離れたくて、晴明はそっけない態度に終始してしまう。

 だけれど、千葉駅行きの電車が来るまでにはあと六分もあって、有賀からは簡単に逃れられそうになかった。ハニファンド千葉の勝利で浮かれていた気分が相殺されていく。

 晴明は有賀が今すぐに自分を解放してくれることを願う。だけれど、当の有賀は周囲を見渡して、誰もいないことを確認している。一応配慮しているのだろうが、そうするくらいならそもそも声をかけないでほしかったと、晴明は思った。

「あのさ、似鳥くんは天ヶ瀬くんに一回勝ってるんだよね?」


(続く)


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