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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(139)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(138)





「似鳥さん、今週の土曜日の午前中は空いてますよね?」

 アクター部の活動予定は勝呂も知っている。晴明にとって今週の土曜日は、午後二時から「ライリスが行く!」の取材があるのみだ。だから、勝呂の提案は何らおかしくない。

 それでも晴明は頷くのに、少し戸惑っていた。勝呂の方から誘ってくるのは初めてだったので、心のなかでは身構えてしまう。

 しかし、勝呂は何てことないように話を続けた。

「実は千葉駅の方で、宮城と山形の観光キャンペーンが土日にわたってあるんですけど、そこに参加するキャラクターの着ぐるみに私と、もう一人ゴロープロダクションに所属するスーツアクターの先輩が入るんです。よかったら午前中だけでも、見に来ませんか?」

 勝呂はきっと、不安がる晴明にスーツアクターとしての手本を見せようとしているのだろう。さらに熟達した先輩と一緒に。

 その気持ちはありがたかったが、この満たされなさの根本的な解決になるのかどうか、晴明には分からない。何に遠慮しているかも判然としないまま、「でも、僕が行っていいんでしょうか……」という言葉がこぼれ落ちる。

 勝呂は目元を緩めた。「安心してください」とでも言うように。

「大丈夫ですよ。キャラクターというのは、全ての人に開かれた存在ですから。もちろん似鳥さんも含めて。もし一人が恥ずかしいのなら、文月さんを誘ってもOKです」

 確かに一人は晴明には気が引けたが、一番の問題はそこではない。彼我の差を思い知らされて、自信を無くしてしまったらどうしようという、ちっぽけなプライドだ。

 アクター部を続けるなら行った方がいいことは、晴明にも分かっている。だけれど、心の脆く柔らかい部分を守りたいという思いが働いて、素直に首を縦に振れなかった。

「似鳥さんのことは、僕から先輩に話しておきます。もし似鳥さんが希望するなら、休憩中に話を聞くことだってできます。先輩は少し気難しい人ではありますけれど、同業者には優しいので、似鳥さんのこともきっと受け入れてくれるはずです」

「本当ですか……?」

「ええ、本当です。というか、私も久しぶりに先輩から話を聞きたいですし。さっきは偉そうなこと言いましたけど、似鳥さんと同じようなことを感じる日が、私にも少なからずありますしね。二人で先輩からアドバイスをもらいましょう。そして、それを今後に生かしていきましょう」

 恥ずかしそうに少しはにかんでいたから、晴明は勝呂が本心から言っていると分かった。その先輩も、直属の後輩である勝呂には親身になってくれるだろう。自分はそのおこぼれにでも預かれればいい。

 晴明は首を縦に振る。勝呂が安心したように、浅く息を吐いた。

「じゃあ、決まりですね。観光キャンペーンは九時から始まるんですけど、最初は私たち二人とも外に出ているので、そのあたりを狙って来てください」

 晴明はもう一度頷く。「ライリスが行く!」の取材までは時間があるが、桜子も一緒だしどうにでもなるだろう。

 勝呂は「よかったら千葉駅まで送っていきましょうか?」と言ってくれたが、晴明は最大限申し訳ない表情を見せて断った。車中で二人きりになるところを想像すると、これ以上何を話せばいいか、晴明には分からなかった。

「では、また木曜日よろしくお願いします」と、晴明は勝呂のもとから去っていく。

 駐車場を出て帰路につき始めたとき、晴明は背後から鳴るエンジン音を聞いた。自分を追い越すときに、勝呂が小さくお辞儀をしてくれて、明日からの練習に臨む元気が湧いてきていた。



 昨日勝呂に励まされて、部活へのモチベーションが上がった晴明を冷やかすかのように、翌日の水曜日は朝から雨が降った。風も強く吹いて、傘を差していてもズボンが濡れてしまうような、悪天候の一日だった。

 学校までの道を歩いていても、横殴りの冷たい雨が制服にかかり、晴明のテンションは下がる。帰りも同じような目に遭うと考えると、全てのやる気が半分以下にまで失われた。

 にもかかわらず、教室は相変わらず賑やかで、窓を叩く雨の音を打ち消さんばかりだった。

 始業時間の間際に晴明は席につき、ホームルームが始まるのをスマートフォンを見ながら待つ。桜子は他の女友達と話していたから、晴明は教室の前方で一人、背を屈めていた。

 クラスの友達は、未だに桜子以外はできていなかったけれど、別に雑談をしにきてるわけじゃないと晴明は頭の中で唱える。それがクラスに馴染めていない人間の考え方だとは分かっていたけれど、部室に行けば先輩たちに会えると思うと、惨めたらしさは薄まってくれた。

 晴明が席について一分が経った頃、植田が教室に入ってきた。手には出席簿と、クラスの人数分のプリントをクリアファイルに入れて持っている。毎朝のごとく、学生たちからスマートフォンを回収すると、当番に声をかけて、朝の挨拶をさせた。

 教卓の上に置かれたプリントが気になっているのだろう。教室はまだ少し騒がしかったが、気にせずに植田は全員を見回してから口を開く。

「みんな、おはよう。今日はあいにくの天気だけど、気落ちすることなく一日がんばっていこう」

 生徒たちは、とりたてて返事をしなかった。今さらがんばれと言われてもと思ったのかもしれない。少なくとも、晴明はそう思っていた。

「さて、みんな。再来週から三者面談が始まるのは知ってるな。まだ一年生とはいえ、進路のことを考えるのに早すぎることはないからな。ちゃんと家族とも話して、有意義な時間にするように」

 植田の話に、学生たちは一応は耳を傾けている。晴明は冬樹と進路の話をすることが億劫に感じた。おそらく、大学に行けの一点張りだろう。晴明もなんとなく進学かなとは思っているものの、考える自由くらいはほしい。

「その三者面談に臨むにあたって、みんなにも書いてもらいたいものがある。これから配るから、一枚受け取ったら後ろの人に回してくれ」

 そう言って、植田はクリアファイルからプリントを取り出して、各列の最前にいる学生に配り始めた。

 晴明が受け取ると、一番上には事務的な文字で「進路調査票」と書かれている。まず、進学か就職かのいずれかに丸をし、希望する進路を第三候補まで書く形だ。

 急に将来が自分の目の前に迫ってきたような感覚がして、晴明はかすかに身震いがした。

「ウチの高校は知っての通り、大学に行けって雰囲気があるけれど、先生はお前たちが自分で考えて決めた進路なら、就職でもどっちだっていいと思う。ただ、一人で勝手に書かないように。ちゃんと親とも相談して、その上で自分が本当に進みたいと思う進路について書くこと」

「金曜日の放課後までに提出な」。そう植田が付け加える頃には、教室はすっかりざわめきだしていた。人生を左右しかねない一大イベントが間近に迫っているから、無理もない。

 晴明だって、黙っていながら胸中は盛んに波打っている。植田が「静かに」と言っても、実際に静かになるには時間がかかり、その間晴明は白地に黒のシンプルなプリントを、ただじっと見ていた。



「あーあ、もうすぐ三者面談か。ちょっと面倒くさいなあ」

 先頭を歩く成が暗くなり始めた空に向けて、呟くかのように言った。夕暮れのきぼーる通りは、点いたばかりの電灯が地面をささやかに照らしている。

「確かに。たとえ最終決定ではないにしても、親の前でこうする! とか、ここに行く! って宣言するのちょっと恥ずかしいよな」

 そう反応したのは、最後尾を歩く芽吹だった。少し気だるげな声に、晴明は同感する。もっとも晴明の場合は、「ちょっと」ではなく「かなり」だったが。

「えっ、でも自分で選んだ道なら恥ずかしがる必要なくないですか? いくら親が何か言ってこようと、最終的に決めるのは自分自身ですし」

 晴明の隣を歩く桜子は、心底不思議そうだった。その真っすぐさに、晴明は憧れを通り越して、少し嫉妬を抱いてしまう。叶うと信じて疑わない夢は、今の晴明にはなかった。

「そりゃ文月は女優ってやりたいことが決まってるからいいけどさ、大部分の高校生は、まだ自分が何になりたいかなんて分かんないんだぜ。そりゃ迷うに決まってんだろ」

 そうたしなめたのは、成の隣を歩く渡だ。少し呆れたような口調に、晴明はよくぞ言ってくれたという気分になる。自分たちがどれだけ迷って、とりあえずでも進む道を決めるか分かってほしかった。

 それでも、桜子はへこたれることなく「渡先輩って、今も進路考えてる最中なんですか?」と訊いている。少し失礼にも聞こえる言い草にも、渡はさほど腹を立てはいなかった。

「ああ。大学に行くっていうのは決めてるんだけど、まだどこの大学かは考え中だよ。まあそのためには、もっと勉強がんばんなきゃいけないんだけどな」

「本当そうだね。私も時間あったら、勉強教えたげるよ。部長に浪人なんてしてほしくないしね」

「悪かったな。成績がまだまだで。ところで、南風原はどうすんだよ。あの話どうなったんだ?」

「あの話って?」

「ほら、五郎さんから声かけられた話。ゴロープロダクション行くのか?」

 渡の方からスカウトの話を切り出していて、晴明にはたいそう意外に感じた。だけれど、何の憂いもなく口にするあたり、渡のなかでスカウトのことは、もう腑に落ちているらしい。

「うーん、まだ迷ってる最中かな。弥生大にも行きたいし……。五郎さんからは大学に行きながらでも、事務所には入れるって言ってもらってるけど、私はそんなどっちつかずなことはしたくないからね。進路調査票、なんて書こっか?」

 まるで他人事みたいに、成がはにかみながら言うから、晴明も表情には出さないけれど、少しおかしくなった。

 朝降っていた雨は帰る頃には止んでいて、水たまりを避ける必要はあったけれど、五人はすんなりと雑談を楽しめていた。

「ところで、フミは? 女優になるって言ったって、具体的にどうすんの?」

「そうですね。まず上総台を卒業したら、東京に行って劇団に入るつもりです。手を上げれば誰でも入れてくれるところじゃなくて、ちゃんとオーディションをやってくれるところが理想ですね」

「へぇー、じゃあそのオーディションに受かる自信があるんだ」

「当たり前じゃないですか。こう見えても本とか読んで、演技の勉強少しずつしてるんですよ」

 自信満々に言う桜子を、誰も冷やかさなかった。桜子なら本当に成し遂げてしまいそうな雰囲気があった。

 晴明は改めて桜子の顔を見上げる。希望に満ち溢れた凛々しい表情をしていた。

「えっ、でも東京に行くってことは、似鳥のことおいていくってことか?」

 突然疑問を呈した芽吹に、晴明は胸を貫かれたような心地を味わう。桜子がいずれ東京に行くことは分かっていたのに。

 急に桜子が遠く感じられてしまって、晴明は思わず目を逸らしてしまう。濡れた地面が、西日を浴びてうっすらと輝いていた。

「芽吹先輩、どうしてそうなるんですか? ハルだって大学とは限らなくても、東京に行く可能性だってあるじゃないですか」

「それもそうだな。よくない言い方して悪かったわ」

「いえいえ、全然。でも、ハルだってアクター部に入ってからはだいぶ自立心も生まれてきましたし、いずれは私が見てなくても、立派に生きていけると思いますよ」

 母親か。喉まで出かかった言葉を晴明は飲みこむ。たとえ上から目線でも、前向きな評価は純粋にありがたかった。

「そうだね。似鳥、この半年でずいぶん頼もしくなったもんね。入りたての頃は、あんなにモジモジしてたのに」

「そ、そんなことないですよ」

「なぁ、似鳥。色々と難しいとは思うけどさ、お前って進路どうすんのか、もう決めてたりすんのか?」

 きっと渡に他意はなく、疑問も単純な興味からだろう。

 だけれど、晴明はすぐに答えられなかった。今まで考えてこなかったわけではない。だけれど、考えようとするとその度に自分の過去が首をもたげてきて、将来像をぼやけたものにしていた。

 会話が止まって、五人の間には神妙な空気が流れ始める。いたたまれなさに晴明は思いついたことをそのまま口にした。

「たぶんですけど、どこかの大学に行くことになると思います。高卒で就職しようとは、今はあまり考えられないので」

「そっか。似鳥のお父さん厳しいもんね。また塾とか行ったりするの?」

「それは分からないですけれど、もっと勉強しなきゃなとは思ってます。今のままだと行ける大学も限られてくるので」

「そうだな。アクター部との両立は大変だけど、似鳥ならできるって俺は思ってるから。まずは期末テスト、がんばんなきゃな」

 口々に声をかけてくれる先輩たちに、晴明は「そうですね」ぐらいしか答えられなかった。現状では、自分が今年度いっぱいでアクター部をやめてしまうことは、先輩たちはおろか、桜子ですら知らない。明確な返事をすることは、いずれ先輩たちを裏切ってしまいそうで気が引けた。

 信号は全て青で足を止めずにいられるのが、晴明にはありがたい。立ち止まってしまったら、未来への不安や罪悪感で押し潰されそうだったから。

「と、ところで芽吹先輩はどうなんですか? もう進路とか決まってたりするんですか?」

 話題を逸らすように口にした言葉は、少し不自然だった。でも、芽吹は晴明が急に話題の対象を自分に変えたことにも不審な様子は見せずに、「俺か? 俺はな……」と語り出す。

 既に志望校も決まっているようで、それは晴明には聞いたことのない大学だったが、学部や学科まで具体的に言っていたから、やりたいことは固まっているらしい。

 心底羨ましいと思いながら、晴明は歩を進める。まだ何も決まっていない自分が後ろめたく感じたけれど、高校一年生はみんなそんなもんだと、思いこむようにした。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(140)


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