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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(191)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(190)





 入場時の出迎えから少し時間を置いて、ピッチの周囲を一周するために、晴明たちが再び着ぐるみを着たときには、すでにスタンドは四割程度が埋まっていた。ブロックによって着席状況の差はあれど、まだキックオフには一時間以上あるから、試合時にはもっと多くの座席が埋まるに違いない。

 ライリスを着始めたときは、シーズン中でも客席は半分も埋まっていなかったのに、プレシーズンマッチの段階でこれだけの観客を呼べていることに、一年も経っていないのに晴明には隔世の感さえした。

 ピオニン、カァイブ、エイジャくんとともにゆっくりと時間をかけてピッチサイドを歩く。高く振られた手やスマートフォンといった形になった好意に、その都度立ち止まって応える。ポーズを取ったり、エイジャくんたちと一緒に写真に収まっていると、その度に晴明の喜びは増していく。

 できることなら、自分たちに関心を向けてくれている一人一人とじっくり触れ合いたい。どれだけ時間がかかってもいいから、与えてくれた恩を返したい。

 それが難しいからこそ、晴明は頭のてっぺんからつま先までライリスでいることを心がけた。今年もライリスでいられる喜びを全身で噛みしめるようにして。

 場内アナウンスで選手の名前が読み上げられると、ゴール裏席からは大きなコールが飛んでくる。シーズン中ではないから、映像を使った選手紹介はできないけれど、力強い声援はそれだけで晴明の心を震わせる。

 ライリスたちのピッチ一周が終わって、まずゴールキーパーがウォーミングアップのためにピッチに出た瞬間に聞こえた応援歌は、第二会議室で休憩していた晴明たちにもしっかり届いて、晴明は鳥肌が立つ思いさえしていた。二か月ぶりに聞いたサポーターの応援は、記憶していたよりも強大で、心強く感じられる。

 シーズン前からすでにモチベーションが高く、選手の背中を押すことは間違いなさそうだった。

 今、晴明はライリスを着て、メインスタンド下の選手入場口付近にいた。近くには、樺沢が入ったエイジャくんもいる。まもなくミーティングが終わって、選手たちが出てくるだろう。

 その予想通り、晴明たちが来て数分もいないうちに、選手たちが入場口に向かってくる。

 まずやってきたのは、ハニファンド千葉の選手たちだった。プレシーズンマッチとはいえ、今年最初のフカスタでの試合だから、どの選手の表情にも気合いが漲っているように晴明には見える。去年から知っている顔もいれば、今年加入したばかりの選手もいる。

 晴明は一人一人の選手たちに、両手を握って胸の前にまで掲げたり、右手でガッツポーズを作ったり、最大限の力が出せるように励ました。笑顔を返してくれる選手や、緊張した表情を見せている選手など反応は様々だったが、まるっきり無視されることはなく、晴明はその度にホッとする。ライリスの存在は、選手たちの間でも馴染んできているようだった。

「ライリス! 久しぶり!」

 緊張感のある試合前に、明るく晴明に声をかけてくる選手は一人しかいない。最後にロッカーから出てきた柴本が、一直線にライリスのもとへと向かってきていたのだ。

 柴本が握った手を差し出してきたので、晴明もグータッチで応える。新体制発表会ではすれ違いになってしまったこともあって、晴明の胸には安堵が広がった。

「ライリス、ツイッターやTikTok見てたよ! 俺たち選手がキャンプで千葉にいない間も、ハニファンド千葉をアピールしてくれてありがとう!」

 大事な試合前に自分に声をかけてくれていることが嬉しくて、晴明は思わず大きく頷いた。二回胸を叩いてみせる。柴本に労われたことが、誇らしかった。

 柴本が「おっ、頼もしいね!」と言っている。晴明が今言われたいことを分かっているかのように。

「それだけにマスコット総選挙は惜しかったね。去年と同じ二五位で。俺も毎日投票してたし、もっと上の順位でもよかったのにね」

 悪気のない柴本の言葉に、晴明は一瞬返事に迷った。確かに晴明もそう思ってはいるのだが、ここで頷いたら他のマスコットの順位は落ちてもいいと言っていることになる。どのマスコットにも熱心に投票してくれた人や応援してくれた人がいるから、その人たちをないがしろにすることは晴明にはしたくはなかった。

 ごまかすようにして両手を頭の側まで上げて、少し驚いたポーズを作る。柴本にも晴明が意図するところは伝わったようで、顔をにこりと綻ばせていた。

「そうだよね。他のマスコットもライリスと同じようにがんばってたもんね。出た順位は受け入れなきゃならないよね。でも、来年はもっと上の順位目指そうね。俺もできることはするから」

 そう言ってくれる柴本の心遣いが嬉しくて、晴明はさらに力強く頷くことができる。柴本をはじめ応援してくれる人たちのためにも、来年は一つでも上の順位を目指さなければと思える。

 でも、それは一日や二日で実現できるものではなく、日々の活動の積み重ねの結果だ。今日から既に新しい日々は始まっているのだ。

 審判にスパイクを見せに行った柴本の後ろ姿を、晴明はしっかりと両の眼で捉える。

 ハニファンド千葉のサポーターが歌う応援歌は、選手入場時の恒例のものに変わった。いよいよ今年最初のフカスタでの試合が始まろうとしている。

 晴明は柴本の後、つまりは列の最後尾について入場のときを待った。隣には樺沢が入ったエイジャくんがいる。視線を交えずとも、お互いに今思っていることは一緒だと、晴明には手に取るように分かる。

 スタジアムにはSJリーグの公式アンセムが、今年初めて鳴り響く。先頭に立つ審判団が歩き出したのを、晴明は晴れ晴れとした気持ちで眺めていた。

 二〇二一年のちばしんカップは、一対一の引き分けで終わった。前半にハニファンド千葉が先制し、後半に柏サリエンテが追いついた形だ。柏サリエンテからすれば二部リーグのチームに引き分けというのは決して満足できる結果ではないが、ハニファンド千葉からしてみれば一部リーグの、それも去年最後まで優勝を争ったチームと引き分けに持ち込めて、自信と課題の両方を得ることができた。

 試合後、晴明たちが選手と一緒にゴール裏に挨拶に行った時も、送られる拍手や歓声から、ファンやサポーターがある程度満足していることが伝わってくる。何度も繰り返されたハニファンドコールに、晴明は今年一年が始まったことを、今更ながらに思う。

 顔を上げるとファンやサポーター、一人一人の顔がはっきりと見えて、選手でなくても心強い印象を晴明たちは受けていた。

「いやー、今日は惜しかったなー。最後にバーを叩いたシュートが決まってれば、サリエンテが勝ってたのに」

 今日の活動を終えて、蘇我駅まで戻る最中、樺沢は思い出したように口にしていた。

 確かに特に後半は柏サリエンテがハニファンド千葉を押し込んでいて、決まってもおかしくないようなシュートも何本かあった。それでも、ゴールキーパーの新垣をはじめとした守備陣の奮闘もあり、一失点に抑えられたから、そこは褒め称えられるべきだろう。

「樺沢さん、スポーツにたらればは禁句ですよ。結果は結果で受け入れないと」

 そう答えた桜子は勝ってもいないのに、どこか嬉しそうだった。第二会議室からピッチ全体を見ることはできなかったものの、先制ゴールの瞬間に生まれた歓声を、今でも噛みしめているのだろう。

 晴明も同じようにハーフタイムでのピッチ一周で感じた、勝てるかもしれないという空気をまだ忘れていなかった。

「まあそれもそうだな。幸いリーグ戦の開幕まではまだ一週間あるわけだし。今日出た課題を修正して、開幕戦に臨んでほしいよ」

「開幕戦の相手、川崎でしたっけ? いきなり去年の一位と二位がぶつかるなんて、ビッグマッチじゃないですか」

「ああ。去年は最後に逆転されて悔しい思いをしたからな。ここで勝てれば一気に勢いに乗れる。今年こそ優勝するためには、絶対に落とせない一戦だよ」

 樺沢の思いがこもった声から、強く意気込んでいることが晴明には伝わってくる。

 たとえ他の試合と、試合としての重みは変わらないとしても、やはり開幕戦はシーズンを占ううえで特別な意味を持つ。勝つと勝たないでは、チームの勢いが段違いだ。

 だから、樺沢が開幕戦を強く意識するのも無理はないことだった。そして、晴明たちも。

「そういやさ、ハニファンド千葉の開幕戦の相手は大分だろ? 去年は一部にいたチームといきなり当たるなんてな」

 蘇我駅に続く階段を上りながら、樺沢が聞いてきた。その顔は「大変だな」と言いたそうに晴明には見えたから、思わず反論してしまう。

「まあ確かに大分は強いですし、順位予想でも優勝候補の筆頭に上げられてますけど、優勝や一部リーグ昇格を目指すなら、勝たなきゃいけない相手なので。今日のちばしんカップでもハニファンド千葉はいい試合をしてくれましたし、この調子でいければ、大分も勝てない相手じゃないと思います」

「おっ、頼もしいな。まあやる前から負けることを考える奴はいねぇもんな。俺もハニファンド千葉が勝てること、祈ってるわ。今年こそ昇格を決めてさ、来年は一部リーグの舞台で戦おうぜ」

「はい。柏サリエンテも今年こそは優勝できるようにがんばってください。フラスタにはなかなか行けないけど、応援してます」

 互いにエールを送りあう。それはカテゴリーが違うからこそできる行為だったが、晴明は清々しさを味わっていた。樺沢がいる柏サリエンテには、いい成績を残してほしいと心から思う。

 来年こそは同じカテゴリーで戦えるように、晴明は自分のできること、スタジアムに人を呼ぶことや、やってきたファンやサポーターと頻繁に接することなどを、引き続き全うしようと思える。

 改札を通って、樺沢は「じゃあ、また明日な」とホームの奥へと向かっていった。晴明も「はい、また明日」と答えて、その姿を見送る。久しぶりの共演を経て、樺沢の存在が晴明にはぐっと身近に感じられていた。

 千葉駅に向かう外房線は、晴明たちがホームに降りてから、わりあいすぐにやってきた。電車の中にもホームにも人はそれほど多くなかったから、晴明たちは並んで座ることができる。

 規則的に揺れる電車は千葉駅までのたかが五、六分の間でも晴明を眠りにいざなう。

 スマートフォンをリュックにしまって、目を閉じようとしたとき、真ん中に座る成から「えっ、マジ!?」と驚いた声が聞こえた。何とか目を開けている晴明の隣で、桜子が「成先輩、どうしたんですか?」と訊いている。

 そして成が答えた言葉に、晴明の目は一気に覚めた。

「とま先輩、専門受かったって!」

 興奮したように伝える成の目は大きく見開かれていて、言葉に説得力を持たせる。「本当ですか!?」と言う桜子を筆頭に、全員が驚いているようだ。

 もちろんそれは晴明も例外ではなく、眠気も疲れも一瞬にして吹き飛んでしまう。

 成がこちらに向けてきたスマートフォンの画面には、パソコンに映った「合格」の文字と、それを指さして笑う泊の写真が載っていた。もちろん晴明だって、泊が不合格になるとは思っていなかったが、それでもいざ合格を知らされると望外の喜びがある。

 他の三人も口元を緩ませていて、五人の周りには万能感にも似た高揚感が漂った。

「あとでとま先輩に、一人一人『おめでとう』って言っとかなきゃね」と盛り上がる五人。そんななか、一人のスマートフォンが振動した音を晴明は聞いた。

 それは渡のスマートフォンで、画面を見た渡は小さく、でも二つ隣の晴明にも聞こえる声で「やった」と呟いていた。短い一言だけで、晴明は通知の内容を何となく察する。「どうしたの?」と訊いた成に、渡は爽やかな笑みを浮かべていた。

「佐貫先輩も弥生大、合格したって!」

 喜びを抑えきれないという風に渡が言うと、辺りには歓喜の花が咲いた。「えっ、やったじゃん!」と成が言ったのを皮切りに、よりいっそうの笑顔に五人は包まれる。

 渡にラインの文面を見せてもらうと、晴明は嬉しすぎて思わず立ち上がってしまいそうになる。

 佐貫が受験した学科の偏差値は六〇を超えていた。どれほどの勉強を、努力をしたのかと思うと、喜び以外の感情は生まれない。

 外にいることを忘れるほど、盛り上がる五人。これで何の憂いもなく、明日を迎えられるだろう。

「いや、本当によかったよな。佐貫先輩も泊先輩も無事に合格できて」

 安堵したように口にする渡に、全員がもう一度頷いた。電車は本千葉駅を通過して、もうすぐ千葉駅に着くが、このまま解散したくないと晴明は感じる。

「二人とも受験がんばってたもんね。それぞれ希望通りの進路に進めて、今は直接『おめでとうございます』って言いたい気持ちでいっぱいだよ」

「だな。大事なのはこっからだけど、それでも今だけは達成感に浸っててもいいよな」

「そんなこと言って、また明日すぐ会えるじゃないですか。ラインや電話じゃなくて、面と向かって思いっきりお祝いしましょうよ」

 四人の声は弾んでいた。明日が待ちきれないというように。

 晴明も同じように、明日を待ち遠しく思う。出番があるから二人に「おめでとう」と言えるのは試合の後になるが、それでも会えることには変わりない。その前にも着ぐるみ越しだが、会うことはできるのだ。

 晴明のなかでモチベーションが、また一段と高まっていく。

 車内に鳴るアナウンス。あと一分もしないうちに千葉駅に到着する。

「改めてですけど、明日楽しみですね」

 そう晴明が言うと、四人は表情を緩めた。「似鳥こそ明日も出番なんだし、今日はゆっくり休みなよ。明日期待してる」と成に言われて、晴明もにっこりと微笑むことができる。「期待してる」の言葉も、気心知れた相手から言われるとプレッシャーに感じない。

 電車は千葉駅に到着し、晴明たちは立ち上がる。人の多いホームにも、晴明は顔を下げずに歩くことができた。


(続く)


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