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【小説】30-2(6)



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「ちょっと、宙市。こっち来なさい」

 ソファに座ってスマートフォンを見ていると、ダイニングから厳かな声が飛んできた。部屋着に着替えた母親がダイニングテーブルに座っている。手繰り寄せるような声に、私はソファから立つ。

 叔母の三回忌を終えて、私たちは実家に帰ってきていた。酒を飲んだこともあって、父親と弟は喪服を脱ぐと、自分の部屋に行って寝てしまった。だから、今起きているのは私と母親だけだった。

 ダイニングテーブルに座ると、母親は険しい表情をしていた。張りつめた雰囲気もあって、明るい話でないことは、さすがに私でも察せられる。

「今日さ、お斎のときに叔父さんから『最近、元気にしてるか?』って言われて、『まぁ。でも、特に何もしてないです』って答えたでしょ。なんであんなこと言ったの?」

「だって本当に何もしてないですし……」

「なんでそう思うの? ちゃんと週五で仕事してるじゃん」

「でも、小学生にでもできるような仕事ですし。それに休日もずっと家で寝てばかりで、友達も一人もいないし、というか人との会話もここ最近ほとんどしてないですし……」

「それを言ったらお母さんだって、ずっと一日中寝るかテレビ見るしかしてないよ。宙市は映画観に行ったりしてるでしょ」

「でも、映画を観ることなんて、誰にでもできるので……」

 本当はコミュ障な私に生きる価値はないとか、誰にも見られていない動画を上げ続けている私は、どうしようもない愚か者で死んだ方がいいとか言いたかったけれど、母親が怒るのは明白だったので、言わなかった。

 私は純粋なダメ人間なのに、母親はそれを認めたがらない。だから、母親と話していてもどこか息苦しく感じる。

「ねぇ、宙市。どうしてそんなに自分のことが気に入らないの? ちゃんと仕事もしてるし、自分のお金で一人暮らしもしてる。それで十分だとは思わないの?」

 分かっている。この世には仕事も家もない人がいる。低賃金とはいえ仕事がある私は恵まれている。

 だけれど、私はそれだけでは満足できなかった。何回も投稿しているのに、全く見られていないことは悔しいし、見られて感想を貰っている人を見ると嫉妬する。

 周囲の人は動画なんて作らない代わりに、何気なく他の人と話せているのに、私はそんな簡単なことさえうまくできない。

 私はすべてが欠落していて、何も持っていないゴミ人間だ。

 だけれど、本音を言うことはできないので、私はただ俯いた。納得できない心を必死に隠そうとした。

「ねぇ、人生そこそこでいいじゃん。そんなに大きな成功が手に入らなくてもさ、仕事もして何とか生活できていれば、それでいいじゃん」

 そう訴えかけてくる母親の言葉も、私の心には響かない。

 私はただ普通の人間になりたいだけなのだ。コミュニケーション能力が壊滅的だから、何かを作ることで埋め合わせをしたいだけなのだ。

 考え方の違いに私は、親とはいえやはり自分とは違う人間だと、当たり前のことを思う。もはや適当に頷いて、早く話を終わらせるしかない。

 それでも、不満が顔に出ていたのか、母親は話、というよりも説教を終わらせることはなかった。

「そんな『何もしてない』って言わないで。自分を貶すようなことはしないで。それは自分を貶しているようで、お父さんやお母さんも貶してるんだからね」

 どうしてそういった理屈になる。私がこんなにダメ人間なのは、一〇〇パーセント私の器質的要因のせいで、遺伝的要因も環境的要因も全く関係がない。これは私だけの問題だ。

 もしかして、母親は自分たちの育て方が間違っていたとでも思っているのか。そんなことはまったくないのに。

「それにさ、宙市この前、SNSに『自分死ね』って書いたでしょ」

 私のツイッターはフォロワーが一〇〇人ほどしかいない。だから、動画を投稿したと呟いてもまったく見てもらえない。

 しかし、嫌なことに母親は私をフォローしている。自分で呟くことはなく、ただ私のツイートを監視するためのアカウントだ。

 親だから、ブロックするほど冷酷にもなれない。非常に面倒くさい。もちろんこれも言えるはずないが。

「ああいうこと書くのやめた方がいいよ。SNSなんて誰が見てるか分からないんだから、見た人が嫌な気分になっちゃうでしょ」

 別に私のツイートなんて誰にも見られてないからいいだろ。インプレッション数五〇のツイートに何を夢見てるんだ。

 それにSNSでは、人にそれこそ「死ね」より酷い言葉を吐いている人が、掃いて捨てるほどいる。

 他人に「死ね」と言っていないから、別にいいだろ。母親は関係ない。

 心の中で盾突いておきながら、私は「そうですね」と思ってもいない返事をした。ただ聞き流すだけのロボットになろうとした。

「それにさ、自分に『死ね』っていうのは、お父さんやお母さんに『死ね』って言ってるのと、同じことなんだからね。何? 宙市は私たちに死んでほしいの?」

 すぐ話を飛躍させようとするから、自分と関連付けて考えるから、母親と話すのは嫌なんだ。

 私は早くこの時間が終われと、心の底から願う。

 だけれど、母親はまだ説教したりないようだった。

「それとも何? 宙市は死にたいの?」

 はい、死にたいです。だって生きていてもこの先、いいことなんてないから。

 それでも、そんなこと母親に言えるはずもなく、私は小さく首を横に振る。

 私は死ぬのが怖かった。死に伴う痛みが怖かった。

 ほんの少しの勇気があれば、私は簡単に死ぬことができるだろう。

 でも、それができない私はどこまでも臆病で、そんな自分が私は大嫌いだ。違う人間として生まれたかった。

「言っとくけど、宙市が死ぬなら私も一緒に死ぬからね。私は宙市の葬式なんて絶対に開きたくないから」

 これまでにないほど強い口調で言う母親に、私は「ズルいな」と感じた。そう言われたら死ねない。

 私が死んでも誰も悲しまないが、母親が死んだら悲しむ人はたくさんいる。私はその人たちを悲しませたくない。

 だから、生きろと脅す母親は本当にズルいなと思う。私の命は私だけのものなんだから、別に自分で終わりを選んでもいいだろ。

 自殺は決して可哀想なものではない。本人にとっては、生き地獄からの救いかもしれないのに。

「とにかく、もう二度とSNSに『自分死ね』とか書かないでよ。お母さんやお父さんよりも先に死ぬなんて、絶対に許さないから」

 許す許さないの問題じゃないだろと思ったが、私は会話を終わらせるために首を縦に振った。

 「本当に分かった?」と念を押してくる母親は、本当にしつこくて嫌だったけれど、必死に不満を隠す。

 「分かりました」と言うと、母親はようやく言いたいことを言い終わったのか、リビングに向かっていった。ソファに座って新聞を広げている。

 その姿に私はわずかな怒りを覚えたけれど、行動に移すことなく、ドアを開けてダイニングから離れた。

 二階に用意された自分の部屋に逃げ込む。ベッドに倒れこむと、かすかに日向の匂いがした。



(続く)


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