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【小説】30-2(3)



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 機械のように手を動かし、感受性を鋼のように固定して、私は何とか平日をやり過ごした。

 土曜日は梅雨どきらしくどんよりとした曇り空だったが、今はどうにか持ちこたえてくれている。私は駅で辺見(へんみ)と合流して、近くの川里公園へと向かった。

 川里公園は、図書館や文化会館も併設されている、市内でも比較的大きな公園だ。

 とはいっても、個人撮影で公共施設の許可を得るのは難しい。だから、自ずと撮影場所を探すのは屋外がメインとなった。

「そのカーブの先から歩いてくるカットもほしいんだよな」

「確かにロングのカットがあった方が、映像も引き締まりますもんね」

 辺見は私が次に言うであろうことを察して、小走りでカーブの先まで行ってくれる。もう何回も一緒にやっているから、余計なストレスを抱えずに済むことがありがたい。

 辺見がカーブの先にまで到着して手を挙げる。私もスマートフォンを構えて、録画ボタンを押した。

 画面の中を辺見が歩いてくる。木々の緑が、横風にわずかに揺れている。

 曇り空だから、雰囲気は明るいとは言えなかったけれど、本撮影は六月の下旬だ。その頃には梅雨も上がって、抜けるような青空が広がっているだろう。

 木々の間からこぼれる木漏れ日を、私はイメージした。いい画が撮れそうだった。

「どうですか? 監督」

「うん、いいよ。空間的な広がりがあって、いいシーンになりそう」

 二人で録画を確認する。辺見も手ごたえがあったようで、小さく頷いていた。

 今回こそは多くの人に見られる動画になる。ロケハンの段階で、私はそう訳もなく確信していた。今までも毎回同じことを思っていたけれど、今度こそはだ。

「次行く前に、ちょっと少し休憩にしようか」

 川里公園で撮るシーンの確認が終わったところで、私たちは近くのベンチに腰かけた。屋根はついていなかったけれど、辛うじてまだ雨は降りそうにない。

 公園の人出はあまり多くなかったけれど、小高い丘で子供たちがボール遊びをしていた。

「小鹿さん。少し関係ない話しても大丈夫ですか?」

「うん、いいよ」

「実は俺ですね、今度商業の現場に入ることが決まりまして」

 辺見の話に、私は一瞬動きを止めるほど驚いた。私たちみたいな自主制作で映像を作っている人間が、商業映画の現場とつながれるなんて。

「えっ、凄いじゃん。誰の現場なの?」

「黒岩監督です」

 恐れ多いというように辺見は答えていたが、私は立ち上がりそうになるくらい驚愕した。

 黒岩監督と言えばVシネでキャリアを積んで、最近では商業映画もいくつも手がけている、日本でも有名な監督の一人だ。

 雲の上の人だと感じていたから、私のテンションは引き上げられる。だけれど屋外なので、声量は控えめにした。

「マジで? 黒岩監督なんて凄いじゃん! 快挙じゃん!」

「とはいっても、サードのうちの一人なんですけどね。でも、嬉しいことには変わりないです。ようやく夢への第一歩を踏み出せたような気がして」

 動画投稿サイトに投稿しても再生回数数十回、ずっと同じところに立ち止まったままの私への嫌味か。そう思ったけれど、めでたい話に水を差すことはせず、私はただ「よかったね」とだけ答える。

 大学の頃から辺見が苦労してきたことは知っているから、素直に喜ばしくはあった。

「一つ気になることがあんだけど、どういう経緯で黒岩監督の現場に参加することになったの?」

「ああ、それはプロデューサーの方が、たまたま僕の卒業制作を見てくれたみたいで。ほら、講師だった東山監督いたじゃないですか。それ経由で僕のもとに連絡が来たんですよね」

「そんなこと本当にあるんだな」

「はい。凄くラッキーだと思います。たぶん僕が東京で、色々撮り続けてきたことが大きいんでしょうけど」

「やっぱ東京にいないと、なかなかチャンスは巡ってこないかぁ」

「いえ、そういうつもりで言ったんじゃないんです。今はSNSでどこにいても直にコンタクト取れますし。でも、小鹿さん。なんで大学卒業と同時に、地元に帰っちゃったんですか? あのまま東京に残るって選択肢もあったでしょうに」

 遠慮のない質問が、私を抉る。気の置けない関係が、今だけは嫌だ。

 大学時代、私はもう三年になる頃には、既に実家に帰ると決めていた。同期のあまりの優秀さに、自分の才能のなさを思い知ったからだ。就職活動も地元で行った。

 でも、今もまだ東京で、映像業界の端っこに食らいついている辺見に、そんなみっともないこと言えるはずがない。

 地に落ちたはずなのに、私にもまだプライドはあった。

「別に東京の暮らしが合わなかっただけだよ。東京はたまに行くから楽しいんであって、腰を据えて住むところじゃない。大学での四年間でそう実感したんだ」

 見え透いた嘘を、辺見は疑わなかった。「そうなんですね。まあどこが合うかなんて、人それぞれですもんね」と理解を示してくれる。

 しかし、私には慰めの言葉に聞こえない。自分との差を誇示されているようだ。

「さ、次のロケハン行こ」と、わざとらしく言って立ち上がる。辺見はこんな私の後についてきてくれる。

 理解者がいるのはありがたかったけれど、心にはそれでも埋まらない穴が開いていた。



 六年ぶりに降りた中野駅は、最後に見たときと何も変わっていなかった。

 南口を出ると、あのチェーン店よく入ったなとか、あのカラオケ店でよく一人カラオケしたなとか、大学時代の思い出が蘇ってくる。だけれど、感傷に浸るほどには、私はまだ年を取っていない。

 集合場所は、これまた大学時代よく行った居酒屋だったので、スマートフォンを見なくても行くことができた。脳みそは、どうでもいいことほど覚えているらしい。

 ビルの三階にその居酒屋チェーンはあって、集合時間五分前に着いたのに、やはり誰もいなかった。幹事の福田や主役の高峰(たかみね)すら来ていない。

 集合時間になっても誰も来なかったので、私は福田の名前を言って、席に通してもらった。窓の外では、中央線の高架が東西に街を貫いている。

 始まりは先々週のことだった。卒業してからろくに機能していなかった、サークルのラインに、福田が久しぶりに投稿したのだ。

 何でも高峰に子供が生まれたらしい。それを祝して、久しぶりに同期で集まろうという提案だった。

 彼女いない歴イコール年齢の私は、あまり気が進まなかったが、学生時代に思いを寄せていた旗手(はたて)が「行く」と真っ先に返事をしたので、気持ちがぐらつく。

 八人中七人が行くと返事をし、取り残されるのが嫌で、結局私も「行く」とラインを送っていた。

 東京に行くこと自体二年ぶりだから、人知れず緊張したのを覚えている。まあ来てさえしまえば、どうにでもなるのだけれど。

 ドリンクメニューやスマートフォンを見ていると、入り口が開いた。

 入ってきたのは旗手だった。相変わらず髪をショートに切りそろえていて、一六五センチメートルある身長も相まって端正だ。

 こちらに向かってきた旗手は私がいることに、軽く挨拶はしたものの、それ以上のリアクションを見せなかった。大学時代もあまり同じバンドを組むことがなく、接点にも乏しかったから当たり前だ。

 久しぶりの再会に高鳴っていた私の胸は、旗手がテーブルの側にまで来たとき、一気に沈静化した。左手の薬指で銀のリングが、天井照明を受けて輝いていた。

 旗手は私の対角線上に座った。一番遠い席を選んだのは、私のことを気色悪く思っているからではなく、ただ二人でいるのが気まずいからだ。そう私は思いたかった。

 スマートフォンを見る旗手を、なるべく見ないようにする。でも、時折目を向けてしまうと、ドギマギしてしまう。大学時代から進歩がない。

 ラインには何人かから少し遅れるという連絡が入る。もうすぐ来るとは思ったけれど、私は沈黙に耐えかねて、ためらいがちに口を開いた。

「み、みんな遅いですね」

「そうだね」

 旗手は短い返事でも、ちゃんとスマートフォンから目を離して、私の方を向いて言ってくれたから、私は必要のない緊張を味わってしまう。

 あっさりとした返事は、話を広げる気がないと言っていた。場を持たせるには、私から話しかけるしかないらしい。

「あの、旗手さんって今お仕事何されてるんですか?」

「保険会社の事務やってるよ」

 こんなときに、「へぇ、そうなんですか」としか言えない自分がもどかしい。「私も同じような仕事してるんですよ」と続けられればいいものを。

 旗手はまだ辛うじて私を見てくれている。だけれど、私は次の話題が思いつかなかった。

 いや、正確には思いついてはいたけれど、聞くことができなかった。だって「結婚したんですか?」なんて聞いたら、心が打ち砕かれて、自分が惨めたらしくなる。そんな真似、とてもじゃないけれどできない。

 私たちの会話は、まだ楽器は続けているのかとか、あのバンドの新譜を聞いたかとか、どうでもいい話に終始していた。

 旗手は嫌な顔はしなかった。だけれど、こいつと話していても楽しくないなとも思っていそうだった。胸が締めつけられる。

 またドアが開いて、今度は福田が入ってくる。私みたいな日陰者にも分け隔てなく接してくれる福田の登場に、助かったと感じてしまった。

 福田は旗手の正面に座って、いきなり「結婚したんだ?」と聞いた。旗手も笑顔で頷いている。

 その姿に私は、生まれ変わってもああはなれないだろうなと、悲観してしまうのだった。



(続く)


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