【小説】30-2(4)
「今は新宿の会社でSEやってます。大変なことも多いけど、その分自分が成長していると実感できて、充実した毎日を送れてます。今日は久しぶりにみんなに会えて嬉しいです。改めて、高峰。第一子誕生おめでとう」
私の正面に座る尾山(おやま)が言い終わると、テーブルのあちこちから拍手が飛んだ。私も小さく手を鳴らす。
集合時間から一五分が経ってようやく全員が集まり、祝賀会という名の飲み会はスタートしていた。乾杯を済ませ、今は一人ずつ近況報告をしている。
ここまで喋った五人は全員が立派な仕事をしていて、小学生でもできる仕事しかしていない私は肩身が狭くなる一方だ。
だけれど、どうしたって順番は回ってくるので、私は騒がしい店内でも聞こえるように、声量を上げた。
「私は、今は地元の人材派遣会社で事務みたいな仕事をしています。仕事面ではあまり言うことはありませんが、今でも自主制作で少しずつ映像は撮ってます。そのくらいですかね。高峰さん、第一子誕生おめでとうございます」
近況報告を終えると、例によって他の七人から拍手が飛んだ。だけれど、演奏が下手で存在感も薄かった私だ。仕方なしに拍手されたように感じてしまう。
座ってビールを一口飲む。美味しかったけれど、普段酒は飲まないから、どれくらいのランクのビールかは分からなかった。
飲み会は何事もなく進んでいた。私はうまく話に入ることができず、料理を食べてビールを煽ってばかりいた。
おかげで、私だけがもう三杯目に突入している。ピッチの速さに心配されることも、福田以外からはない。
私が喋らなくても、飲み会はつつがなく行われていて、まさに大学時代に戻ったようだ。
卒業したときから何も変わっていない。私も、周りも。
話している同期をぼんやりと見ていると、福田がやってきて、「高峰にお祝い言わないでいいの?」と迫ってくる。
私はジョッキを持って、福田と高峰の間に割りこませてもらった。アルコールが回り始めたのか、高峰はこんな私にも笑顔を向けてくれている。特に何と思っていないようだ。
遠慮しながら、乾杯をする。騒がしいテーブルの中で、乾いた音が一瞬浮かんだ。
「高峰さん、改めて第一子誕生おめでとうございます」
「うん、ありがと。小鹿も元気そうで何よりだよ」
トイレの鏡に映っていた私は、負のオーラをこれでもかと纏っていたのに、元気そうに見えるのか。私たちはいい大人だから、社交辞令も当然身についている。
定型句に曖昧に笑うことで返す。私だってそれくらいの対応はできる。
「あの、お子さん、健勝(やすまさ)っていうんですよね。健やかに勝つと書いて健勝」
「今の時代色々あるけど、まずは健やかに育ってくれるのが一番だからな。健康体でいてさえくれれば、親は他に何も望まねぇよ」
「六月のはじめに生まれたって言ってましたよね。もう退院はしたんですか?」
「ああ、四日な。何の支障もなく、今家でスヤスヤ寝てるよ。でも、産まれるときはけっこう大変でさ。予定日よりも二週間早かったうえに、三五四〇グラムのわりと大きい赤ちゃんだったから、時間も半日以上かかっちゃって。本当よくがんばってくれたなって、妻には感謝してるよ」
その妻と赤ちゃんを放って、飲み会に来ている時点で、あまりいい父親とは言えないなと私は内心毒づく。私だったらずっと家にいるのになと、ありもしない仮定を並べてプライドを保つ。
「四日って小鹿の誕生日じゃん」とは、誰も言わなかった。私が誕生日を教えていないから、当然だ。
そこまで親しい関係には、四年をかけてもなれなかった。
「写真あんだけど見る?」
高峰がわざわざ持ちかけてくる。よほど誇らしいのだろう。元の席に戻りたかったけれど、本当にそう言うほど、私は心ない人間ではない
高峰のスマートフォンにはざっと一〇〇枚を超える赤ちゃんの写真があり、子煩悩ぶりがうかがえた。
家族三人での自撮り、ベビーベッドに寝そべった姿、母親に抱かれて指をしゃぶっているところ。高峰は何枚かの写真を私に見せてくれた。
見たくないと思っていたけれど、いざ目にすると、どうしても可愛らしいと思ってしまう。くりくりした目に柔らかそうな頬。まるで本能が赤ちゃんを見ると可愛いと思うように、設計されているみたいだった。
素直に感想を漏らすと、高峰はますます喜ぶ。
だけれど、素直に受け入れられない。結婚はおろか彼女もいない私は、人間として失敗していた。
「凄いですね。高峰さんは、ちゃんと結婚して子供もいて。人間としてあるべき姿だなって思います」
膨れ上がっていく劣等感は、声の形になって表出した。呟きはテーブルの騒がしさにすり潰される。
だけれど、高峰の耳には届いてしまっていた。
「そんなことねぇよ。俺はむしろお前の方が凄ぇなって思うよ。だってお前卒業してからも、ずっと映像続けてんだろ? ここにいる奴らでまだ映像やってんの、お前だけなんだから」
ああ、申し訳ない。本音を聞かせてしまったことも、気を遣わせてしまっていることも、何もかもが申し訳なくて情けない。
私は「そんなことないです」とかぶりを振った。
たとえどれだけ気を遣わせても、認めるわけにはいかなかった。
「そうだぜ、小鹿。俺だって卒業して映像業界に入ったはいいものの、二年も持たなかったんだから。今の仕事に就いてからは一切カメラにも触ってねぇし、続けてるだけでも立派だよ」
福田までフォローに入ってくるから、余計肩身が狭くなる。自分が大したことをしているなんて実感は全くない。
「でも、投稿しても誰にも見られてないですよ。見られてないのなんて、存在してないのと同じじゃないですか」
「そんなことねぇって。俺たちはもう作るのをやめてしまったからこそ、まだクリエイターでいるお前を尊敬してんだよ」
クリエイターなんて横文字を使われても、私の心はくすぐられない。
作品を生み出すよりも命を生み出す方が何万倍も立派だし、ここにいる全員が絶対、私より社会の役に立つ仕事をしている。無意味、短時間、低賃金の私とは比べ物にならないほど、社会人として一人立ちしている。
誰にも見られない作品を作るよりも、誰かと一緒に過ごして、安心を与えあう方がよっぽど価値がある。私は世界でも屈指の、必要ない人間なのだ。
声に出して自虐するのは簡単だったけれど、空気を壊したくなくて、私は小さく返事をした。
ジョッキを持って、逃げるようにして自分の席に戻る。
スマートフォンを見ると、飲み会が始まってから一時間も経っていなかった。
「それでは、まずカット一から撮影していきます。お芝居は冒頭から『俺たちって周りからはどう見られてんだろうな』まででお願いします。準備よければ、テストやらせてください。はい、テスト!」
「テスト!」
一人分の声が、川里公園に浮かんで消える。利用者は空気を読んでくれているのか、私たちを避けて歩いていた。
スマートフォンの中では、今日演じてくれる小野寺(おのでら)と森永(もりなが)が、カーブの先で待機してくれている。木々たちが適度な木漏れ日を作り出していて、想像通りの光景が広がっていた。
「よーい、スタート!」と私が言い、辺見がカメラの外でカチンコを鳴らす。それを合図に、小野寺と森永は歩調を合わせて歩き出した。
『この公園ってよく来るの?』
『週末には大体来るかな。ほら、あそこに図書館あるでしょ。そこで本を借りて、ベンチに座って読むのが好きなんだよね』
『じゃあけっこうアウトドア派な感じだ』
『キャンプとかするほど活発ではないけどね』
『なあ、笹川』
『何?』
『俺たちって周りからはどう見られてんだろうな』
「はい、カット!」
私がスマートフォンを降ろすと、小野寺と森永は小さく息を吐いて立ち止まった。側の遊具で遊んでいた子供が、私たちのことをじっと見ていて、少しだけ恥ずかしい気持ちにもなる。
それでも私は気合いを入れ直し、辺見と話してから、演出を待っている小野寺と森永のもとに向かった。
「全体的にはこのままでいいと思います。だけれど、星原(ほしはら)さん。『なあ、笹川』って声をかける前にもう一拍、溜めを作ってもらった方がよりよくなると思います」
「もっと慎重な方がいいってことですか?」
「そうですね。ここは度々会ってはいるものの、自分たちの関係に確信が持てない星原が、勇気を出して尋ねるシーンですので」
「はい。分かりました」
「それと笹川さんは、『何?』って聞き返すところ、もう少し語尾を上げていただけますか? 今のままだと少し暗い感じがするので」
「はい。やってみます。あと、監督。歩くスピードは大丈夫でしたか?」
「はい。お二人とも今のくらいの速度で大丈夫です。では、今言ったところを修正していただいて、もう一回テストいかせていただきます」
二人は頷いて、スタートの位置まで戻っていく。
演者に演出をつけるのはいつも緊張する。何の実績もない私みたいな者が何言ってんだと思われそうで。
でも、なあなあな現場がいいとは限らないから、これは必要な緊張感なのだろう。
二人がスタートの位置まで戻ったことを確認して、私はスマートフォンを掲げ、辺見にアイコンタクトを送った。
「それではもう一度、カット一テストやります。はい、テスト!」
「テスト! ……よーい、スタート!」
(続く)
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