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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(158)


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 体育館は日の光が差し込んでいても、二台のストーブが焚かれていても、歯を鳴らしたくなるほど寒かった。全校生徒が集まっていても、熱気は少しも生まれていない。

 壇上では、校長が講話を述べている。小さなことにも感謝できる心を持ちなさいという話は、晴明から見れば、誰の胸にも届いているようには思えなかった。

 晴明は担任の先生の横で、壇上に立つ準備をしていたから、全校生徒の様子がおおまかに観察できる。体育座りをしている生徒たちは、あくびを噛み殺していたり、気だるげな表情を見せていたり、果ては校長の方をまったく見ていなかったりと全校朝礼を歓迎していない。

 わざわざこんな室温以上に冷めた空気のなかで報告をして何になるのかは晴明には疑問だったが、それでも善意でやってくれることを考えると、おいそれと断ることもできなかった。

「では、私の話はここまでにして、今日は皆さんに一つ嬉しい報告があります」

 そう伝えられて、生徒たちはほんのわずかだけれどざわめく。自分たちにとってさほど関係のないことだと大半は知っていても、心の片隅では毎回期待しているのだ。

「昨日行われた全国学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で、二年二組の似鳥晴明くんが見事第一位を飾りました」

「では、似鳥くん。壇上へお上がりください」そう促されても、生徒たちの反応は薄かったから、晴明は壇上へ向かうのに少し躊躇してしまう。それでも全校生徒の注目が自分一人に向いているこの状況では、嫌ですは通らない。

 晴明は立ち上がると、引っ張られるように足を運んだ。学生たちは一応拍手をしてくれている。でも、それはまばらで乾いたものだったから、自分の結果に関心を持っている学生はあまりいないことを、晴明はどうしても感じてしまう。昨日ホールで受けた、溢れんばかりの拍手とは大違いだ。

 早く報告が、全校朝礼が終わってほしいという空気が体育館には支配的で、今まで壇上に立っていた学生もこういった申し訳ない気持ちを感じていたのだなと、晴明は思った。

「えー、似鳥くんは三歳の頃からピアノをはじめ、全日本学生音楽コンクールにも、小学生の頃から四度出場しています。今までもいい結果を残していましたが、今年は予選から素晴らしい演奏を披露し、全国大会では難曲と言われるフランツ・リストのメフィスト・ワルツ第一番『村の居酒屋での踊り』を完璧に弾きこなし、見事二年生にして一位という栄冠を手にしました」

 晴明を隣に立たせて、校長は晴明が残した結果について、説明を始めた。

 でも、ほとんどの生徒にとっては、言葉が右から左へと抜けていることだろう。晴明は校長が喋っている間、壇上から生徒たちを見回したけれど、少しでも関心を持って祝福してくれている生徒は、全体の一割にも満たないように思われた。きっと大部分の生徒にとっては、ピアノはどうでもいいのだ。

 更地のように静かな生徒たちを見て、晴明は寂しい気分になる。でも、その中で桜子だけが朗らかな笑顔を見せてくれていたから、楽しいと思えない時間にも、晴明は何とか耐えることができていた。

「では、ここで似鳥くんから一言挨拶を頂戴しましょう」

 そう言って校長は、晴明に発言権を譲った。晴明は言われるがまま、マイクの前に立って今一度全校生徒を見回す。自分の言葉はあまり待たれてはいなさそうだったけれど、それでもめげずに口を開く。

「本日は、このような機会を作っていただきありがとうございます。全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で一位を獲得できたこと、そして皆さんにこうして報告できていることを、本当に嬉しく思います。今回の成績は私一人ではとても成しえなかったことで、指導していただいた先生や支えてくれた両親、そして僕を応援してくれたクラスメイトや友人のおかげです。心の底から感謝しています。僕はこれからもピアノを続けて、より良い演奏家になれるように頑張るので、これからも温かく見守っていただけると幸いです。今日は本当にありがとうございました」

 これまで壇上に上がってきた生徒たちの挨拶を思い出しながら作った挨拶は、自分で言っていていかにも優等生くさいなと、晴明は感じてしまう。ほとんどの生徒は、今日初めて晴明がピアノを弾いていることを知ったというのに。

 それでも、周囲への感謝は本当だったから、晴明は前を向いたまま最後まで言い切ることができた。返ってくる拍手も先ほどよりは、心なしか少し暖かい気がする。

 仕方なしに手を叩いている生徒もいるのだろうが、認められているという現実は、晴明の重く沈みがかっていた気持ちを引っ張り上げた。

 校長が、皆さんも似鳥くんのように勉強に限らず夢中になれるものを見つけて頑張ってくださいといった趣旨の締めの挨拶をして、全校朝礼は終わった。立ち上がった生徒たちからは、雑多な話し声が際限なく生まれる。一年生から教室に戻っていく生徒たちを眺めながら、晴明は壇上から降りた。

 担任に促されて、列の中に一つ空けられていた、自分の並ぶ位置まで戻っていく。

 列に入ると、前後のあまり話したことのない男子学生から「おめでとう」と声をかけられた。普段は話しかけてこないのにと一瞬思ったが、素直にありがたかったので、晴明は微笑みながら礼を言う。

 何かが少しずついい方向へと変わっていくような。そんな予感がした。

 全校朝礼での報告の効果は大きく、その後も休み時間や昼休みにかけて、何人かのクラスメイトが晴明に話しかけてきていた。他意のない労いに、晴明はその都度笑顔で応じる。クラスメイトたちには気を遣っている様子も見られず、ざっくばらんな態度が晴明の心を軽くした。

 別に人に認められるためにピアノを弾いているというわけではなかったが、それでも褒められるとやはり悪い気はしない。胸が弾み、今日の練習も前向きに取り組めそうだ。

 でも、それも一日限りのことで、翌日になると晴明の周りは全くの通常運転に戻っていた。一緒に授業を受けている以外で、晴明とクラスメイトの間に共通項は少なかったし、昨日はたまたま話題があっただけのことなのだろう。

 それでも、目に見えて話しかけられる回数が減ったことに、晴明は少し落胆してしまう。態度の変わり様に、寄る辺ない思いを抱かずにはいられなかった。

「似鳥さん、改めて全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部、第一位受賞おめでとうございます」

 何度目かも分からない祝福の言葉に、晴明は小さく頭を下げる。正面に座る女性はピシっとしたスーツ姿で、薄く引かれた口紅が印象的だ。隣でしゃがむ男性が構えるカメラが晴明にはどうしても気になってしまうが、なるべく意識しないように努める。

 ダイニングからは両親の心配そうに見守る視線がひしひしと伝わってきて、晴明としてはやりづらいことこの上なかった。

「録音ですけど、似鳥さんの今回の演奏を聴かせていただきました。素人考えではありますが、どの演奏も情感豊かで大変素晴らしかったと思います。似鳥さんとしても、今回のコンクールに自信はおありだったのでしょうか?」

「もちろん自信はありましたけれど、でも一位をいただけるとは全く思っていませんでした。本番で普段以上の力が出せたのが大きかったと思います」

 取材を受けるという経験が晴明にはあまりなかったから、どうしても返事はたどたどしいものになってしまう。それもクラシックについて深い理解がある音楽雑誌ではなくて、地元のタウン紙・週刊千葉の取材だったから、晴明としても伝わるように、慎重に言葉を選ぶ必要があった。

 記者の女性は、膝に手を当てて背筋を伸ばしている晴明を緊張していると解釈したのか、柔和な笑みを見せてくれたけれど、それでも晴明から不慣れな感触はどうしても抜けない。

「中学二年生で第一位受賞というのは、実に一〇年ぶりの快挙ですが、周囲の反応はいかがでしたか?」

「はい。学校でも表彰してくださいましたし、クラスメイトも『おめでとう』と言ってくれて、とても嬉しかったです。こんなに気にしてくれてる人がいたんだと感じました。その人たちの期待に応えるためにも、これからもピアノを弾いていきたいと思います」

「千葉県からは、唯一の全国大会出場でした。似鳥さんは三年前から毎年、県の音楽祭で演奏を披露していらっしゃいますが、その経験は大きかったのではないですか?」

「そうですね。演奏の場があって、聴いてくれる人がいるということは当たり前ではないですし、温かい応援が励みになりました。この経験がなかったら、僕は今回のような成績を残せていなかったと思います」

「これからも千葉で育ったという誇りを胸に、演奏を続けていただきたいです。これからの似鳥さんの活躍を私も楽しみにしています」

 期待しているようで高慢な女性記者の言い方に晴明は少し引っかかったが、それでも話をややこしくするような場面ではないと思って、「ありがとうございます」と頷いた。

 これからの演奏家としてのキャリアを考えると、いつまでも千葉には留まっていられない。

 だけれど、自分がこの街で生まれ育ったのも事実で、何をしていても揺るがない基盤であることも確かだった。

 それからも、晴明はいくつも質問を受けた。女性記者はある程度クラシック音楽を勉強してきたようで、曲にまつわる質問や将来どんなピアニストになりたいかといった展望まで、限られた取材時間の中で余すところなく訊いてくる。

 音楽のことに関してなら、晴明は何とか答えられるが、それでも趣味や今はまっているものなどパーソナルな質問には、うまく答えられない。晴明は家にいる時間はほとんどピアノに向かっていたし、テレビも漫画も興味がなかった。正直に「ないです」と答えるのが、どこか心苦しい。

 女性記者は相好を崩してはいなかったが、取材になっているのかどうか、晴明は不安に思ってしまっていた。

「ありがとうございます。それでは時間の方も差し迫ってきましたので、以上で取材の方を終了させていただきたいと思います」

 晴明が今後の抱負を答えると、女性記者は腕時計をちらりと見てから口にした。もしかしたらコンクール本番以上に緊張したかもしれない時間がようやく終わって、晴明は記者たちの前で胸をなでおろしてしまった。

 すぐに失礼かと思って訂正すると、女性記者とカメラマンは気にしていないというような顔を見せてくれた。仕事柄、取材に慣れていない相手に会うのも慣れているのだろう。

「あの、今日はありがとうございました」

 ボイスレコーダーなどをバッグにしまい、帰る支度をしている女性記者に晴明はふと話しかけていた。質問にうまく答えられなかった時間もあって、いくらかの申し訳なさがあった。

「いえ、こちらこそありがとうございました。一四歳にして快挙を成し遂げた似鳥さんに取材できて、私たちの方こそ光栄でした」

「すいません。僕こういう取材あまり慣れてなくて。うまく答えられていたでしょうか?」

「ええ、心配しなくても大丈夫です。さすが一位を受賞しただけあって、言葉も考え方もしっかりしてるなと感じました。おかげで良い記事が書けそうです」

 はにかむ女性記者に、晴明は繰り返し感謝の言葉を述べた。取材してもらえることのありがたさが、内側から湧き出てきていた。

 似鳥家に見送られて、女性記者とカメラマンは玄関を後にする。来客が去り、先ほどまでのかしこまった空気はどこかに消える。

 たった三〇分だったのに明確な疲労を感じて、晴明は両親とともにリビングに戻った。

 昼食を食べて、少し休んだらまた練習を始めよう。それは晴明には意識するまでもなく、当然のことだった。


(続く)


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