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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(36)



前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(35)




 渡が足を運んだのは、文化部の部室棟の奥だった。晴明と桜子には見覚えがある。中間テスト前に、佐貫と成が密談をしていた場所だ。

 校庭の向こうにある道路には、人がほとんど歩いていない。部室に道具を取りに来るような学生もおらず、聞かれたくない話をするにはうってつけだ。

 今、三人の距離は明らかに近い。立ち止まったところで、渡が二人のもとへ、ぐっと距離を詰めてきたのだ。渡の行動に、桜子すらも戸惑っていた。

 だけれど、渡はなかなか話し出そうとしない。晴明は時間が流れる遅さにためらう。

 見かねた桜子が、話を切り出そうとしたけれど、渡に手で制される。

 二つ息を吐いてから、渡はようやく口を開いた。

「あのさ、南風原も言ってたと思うんだけど、ウチの学校って部員が五人いない部活は、休部になっちゃうんだよな」

 一言だけで、晴明は渡の言葉を数個先まで悟ってしまう。自分たちを呼び出した意味も、手に取るように分かってしまう。

 だけれど、渡の言うように任せた。

「だから、南風原も必死になってお前たちを誘ったんだけど、実は去年までウチにはもう一人部員がいたんだ」

「それって、一昨日ハルが言っていた、大柄な学生のことですか?」

 我慢できなくなったのか、桜子が聞いた。渡は頷いて、軽く嘲るようにこぼす。

「ウチの学校ってさ、休部している人間は、部員としてカウントされないんだよな。なかなか厳しいよ」

 連帯から外れた誰かを思う口調。太陽が雲に隠れて、あたりがかすかに暗くなる。それだけのことが、今の晴明には深刻に思える。

 それでも、晴明は聞いた。さらに空気が重くなっても構わなかった。

「その人の名前はなんと言うんですか?」

 渡の目には、もはや何の感情も浮かんでいない。さまざまな色が混合して、透明になった光みたいだ。答える口調も淡々としていた。

「芽吹圭太。2ーDにいる」

 あっさりと告げられた名前が、晴明の頭の中でループする。謎の男子学生に名前がついたとき、その表情までもが、鮮明に思い出された。

「その人は退部したわけじゃないんですよね?」

「ああ、あくまで休部ってことになってる。たぶん他の部活にも入ってないと思う」

「その人って今どうしてるんですか? もう受験勉強にシフトしてたりするんですか?」

 けがや病気を持ち出さなかったのは、桜子なりの気遣いだろう。晴明も余計なことを聞く気分にはなれない。

 渡は軽く唇を噛んでいる。

 校庭は、先週からは想像もできないほど静かだ。だから、一度黙るとまた口を開くまでに相当の勇気を要する。

 それでも渡は意を決したように、再び喋りはじめた。

「文月さ、今スマホ持ってるだろ?」

 晴明と桜子の想定を外れた渡の返事。二人は顔を合わせて、キョトンとしてしまう。

「ま、まぁ持ってますけど」

「ちょっと出してみて」

 言われるがまま、桜子はスクールバッグを開いて、スマートフォンを取り出した。画面にはヒビ一つ入っていない。何の変哲もないスマートフォンのように、晴明には見える。

「私のスマホがどうかしたんですか?」

「そのケースに写ってるVtuber、アイツがやってるんだ」

 桜子が思わず、「えっ?」という声を漏らす。晴明も同じ感想だった。

 ケースにはピンク色の髪をして、薄黄色の着物を着たキャラクターが、二人に笑いかけている。

 だけれど、今の晴明はその笑顔に応えることができない。覗きこんで見た桜子の顔も、状況が飲み込めているとはいいがたかった。

 困惑する二人をよそに、渡は続ける。

「そのVtuber、黒崎ダイアって言うんだろ。去年の夏頃からアイツはそれ、始めてさ。今じゃそんなグッズも出てるくらいだから、人気なんだよな。そっちにかかりっきりで、けっこう忙しいみたいだ」

 晴明も名前だけは聞いたことがあるVtuberを運営している人が、まさか同じ学校にいたとは。

 体に力が入らない。呆気にとられるとはこのことか。

 いち早く立て直した桜子が、渡に視線を戻して問う。

「渡先輩はそれでいいんですか?」

 ストレートな質問は、渡の心に触れたようだ。はっとしたような表情。だが、すぐに微笑で隠されてしまう。

 心理的な距離が開いたように、晴明には思われた。

「別に各々がやりたいことをやればいいんじゃねぇの。人にはそれぞれ好みがあって、みんな仲良しこよし、同じ方を向きましょうなんて、できるわけねぇんだしさ」

 そう言うと、渡は地面に置いていたスクールバッグを拾い上げた。ずっしりと中身が詰まっていて、持ち上げる音さえ晴明には聞こえる。

「じゃあ、俺もう帰るから。今日、お前たちに話したのは、あくまでお前たちが知りたがってたからなんだからな。あまり余計なことすんなよ」

 突き放す渡の態度に、凄みのようなものを感じて、晴明は頷くことしかできなかった。気配で何となく桜子も頷いたのが分かる。

 渡は二人の反応を確かめると、そのまま帰ってしまった。

 部室棟の角を曲がると、すぐにその姿は見えなくなる。

 追いかけようとする桜子の腕を、晴明はとっさに掴んで止めた。

 どうしてそんなことをしたのかは自分でも分からない。だけれど、曲がる間際に見た渡の顔が、どことなく寂しそうに見えたからかもしれないと、晴明は感じた。





 晴明と桜子は予定通り、図書館のドトールコーヒーに向かった。渡の話を聞いた後では、足取りも重かったけれど、冷房の効いている店内に入ると、一瞬だけ気持ちが軽くなった。

 二人は教室で話していた通りのメニューを頼む。露のついたグラスは、冷たさを直に伝える。それでも、晴明の頭は冷静になれなかった。

 壁際の席に座る二人。桜子は筆箱や参考書を取り出すよりも先に、スマートフォンとワイヤレスイヤフォンを取り出した。そして、ワイヤレスイヤフォンの片方を晴明に渡す。

 晴明が左耳にワイヤレスイヤフォンをつけたことを確認すると、桜子はスマートフォンを操作して、動画を再生した。

 投稿日、二〇一九年八月一二日。再生回数、7.1万回。

 広告の後に聞こえてきたのは、ハキハキとした女性の声だった。

「みなさん、はじめまして! 黒崎ダイアです! 世はまさに大Vtuber時代。今この瞬間にも、数々の動画が配信されています。人気のVtuberさんも多数いる中で、わざわざ私の動画を選んでくださったということは、私に他のVtuberさんにはないものを、期待してくださっているということですよね? 私もはじめるにあたってどんな動画がいいか悩みました。ゲーム実況? 生配信? 歌ってみた? 先輩方と同じことをしていたのでは、すぐに埋もれてしまいます。そこで、私は考えました! それは……」

 大げさな効果音とともに、画面いっぱいに毛筆体で「書道」という文字が出る。

 黒崎ダイアが書道系Vtuberだということは、桜子から聞かされていた。だが、晴明はさほど興味がわかず、今まで彼女の動画を見ないで過ごしてきた。

 はじめて見た彼女の動画は、動きは少しぎこちないものの、それをカバーするだけの勢いがあった。渋い書道という題材には不釣り合いに思えて、晴明は周囲の視線が気になったが、二人のことは誰も見ていない。

 動画は続いていく。初回ということで、黒崎は座右の銘を書くらしい。半紙と筆を持つ手がアップになる。書いている間は音楽も喋りも止まり、ある種の緊張感が流れ始める。

 彼女が書いたのは「飲水思源」という、晴明がはじめて目にする四字熟語だった。彼女によると、物事の基本を忘れないだとか、他人から受けた恩を大事にするといった意味らしい。

 生身の人間のような力強さを持った字を見ると、偏見を抱いていた自分が、晴明には恥ずかしく思えた。想像以上に抵抗はなく、桜子が気にいるのも頷ける。

「この動画を作ってる人、いわゆる黒崎ダイアの中の人が、ウチの学校にいたとはね」

 動画を終了して、イヤフォンを外しながら、桜子は呟く。ストローで抹茶フロートをかき混ぜるその手先は、名状しがたい感情を紛らわしているかのようだ。

 アイスコーヒーを飲む晴明。教科書を出す気にはなれなかった。

「サクはさ、その人? の中の人が分かって嬉しい?」

 スマートフォンのケースにするほど、熱を上げている桜子のことだ。運営している人間にも興味があるのだろう。

 しかし、桜子はストローを回す手を止めて、晴明に向き直る。睥睨する目つきに、良い答えは期待できない。

「ハルはさ、ミッキーやライリスの中の人が分かったら、嬉しく思う? それと同じだよ」

 晴明は桜子の言葉を、自分の身に置き換えて考える。すぐに知らないほうが良いこともあるという、結論に達した。

「ごめん。言わなくてもいいこと言った」

「別にいいよ。もう知っちゃったことを、なかったことにはできないしね」

 桜子の口調はさばさばしていて、目はもう睨んではいなかった。抹茶フロートを一気に半分ほど飲んで、大げさに「よし」と言う。

 教科書やノートを取り出して、「さ、勉強しよ、勉強」と言う桜子が、晴明には虚勢を張っているように見えた。

「ねぇ、ハル。勉強しないの? 今日はハルのために付き合ってるんだよ?」

 固まったままでいる晴明を見かねて、桜子が声をかける。晴明の手のひらに汗が滲みはじめる。滑らないように固く握って尋ねる。

「サクはさ、これからどうしようと思ってるの?」

「どうしようって?」

「休部している芽吹先輩を、部に連れ戻したいかどうかって話」

 晴明の言葉に、桜子は一瞬だけ口をつぐむ。だけれど、すぐに晴明と目を合わせた。

 奥に宿る真剣さに、晴明は周囲が静まった錯覚を味わう。

「そりゃ、連れ戻したいに決まってんじゃん。渡先輩は、名前はおろかクラスまで教えてくれたんだよ? それって助けてほしいってことでしょ? そうじゃなかったら私たちに話してくれないって」

「でも、余計な事すんなって言ってたぜ」

「もし、気に障って怒られたとしても、どうするかはそのとき考えればいいよ」

 予想通りの桜子の返答に、晴明はほっとして息を吐いた。

 桜子は自分が良いと思うことに、絶対の自信を持っている。善い行いをすれば、誰もが幸せになれると信じている。「ハルもそう思うでしょ?」という念押しが、何よりの証拠だ。

「まぁな。芽吹先輩も戻りたいと思ってるはずだしな。そうじゃなきゃ部室や、佐貫先輩たちの教室の前に来ないだろ。でも、サクは本当にそれでいいのかよ?」

「え、何が?」

「お前は芽吹先輩の顔知らないだろ? 顔を知っちゃったら、純粋にそのVtuberの動画を楽しめなくなるんじゃないか?」

「なんだ。そんなこと、全然大丈夫だよ。私がどうこうよりも、先輩たちが上手くいく方がよっぽど重要だよ。それに、そんなに大きい人なら、教室に行けばすぐに見つけられるだろうしね。いつだろうと大して変わらないよ」

 そう言って桜子は笑ってみせる。有賀の時とは大違いだ。親しい人を助けると決めたら、躊躇がない。

 晴明は安堵して、身を屈めた。教科書とノートを取り出し、背筋を伸ばして提案する。

「そっか。じゃあ、勉強はじめよっか」

 桜子は、声をひそめながらも、明るい返事をしていた。





 午前七時半のきばーる通りは、ぐっと歩道が空いていた。上総台へはもちろん、通学路にある小学校に登校する児童さえ見受けられない。

 上総台高校は現在、部活動は休止中。朝練に来る学生もいないし、図書館だって始業前には開かない。

 つまり、始業時間の一時間も前に来れば、かなり早い段階で校内へと、足を踏み入れることができる。

 提案したのは桜子だった。Vtuberにはテストも、テスト前の休みもない。芽吹先輩は勉強に加えて、編集作業で忙しく、すぐに帰ってしまう可能性もある。だから、帰りがけを狙うよりも、登校時を狙った方が確実だと持ちかけてきたのだ。晴明も特に支障はなかったので、桜子の提案を受け入れた。

 晴明が校門に着くと、すでに桜子が待っていた。一緒に登校すればいいものの、寝坊した晴明を待ちきれなかったらしい。

 腕を組んで立っている桜子に、晴明は駆け寄っていって、まず謝罪をする。

 桜子は「ハルが来ないと、顔分かんないじゃん」と言いながらも、あっさり許してくれた。

 聞くとまだ一〇人ほどしか登校していないという。晴明は一八五センチメートルという大体の身長だけ桜子に伝えていたが、条件に合致する人物は、まだ現れていないとのことだった。

 二人は校門の端に位置を取り、芽吹が登校してくるのを待った。芽吹は文字通り他の学生から頭一つ抜けているのだから、遠目でも分かるだろう。

 二人の前をぽつぽつと学生たちが通過していく。

 途中、泊が登校してきて声をかけられたけれど、二人はそれとなくごまかした。

 時刻は八時を回った。徐々に学生の数も増えてきている。

 そして、八時一〇分になろうかというところで、他の学生よりも頭抜けて背が高い学生が、やってくるのを二人は見つけた。

 間違いない。芽吹先輩だ。

 大きい歩幅でぐんぐんと進んでいる。二人は芽吹のもとへと駆け寄った。校門をくぐる前からスタートを切ったので、芽吹も二人に気づいたらしく、立ち止まる。

 目の当たりにすると、極端に痩せていない分、威圧感がある。晴明が見上げると、目の下にクマができていた。

「おはようございます。芽吹先輩で合ってますよね?」

 切り出したのは晴明だった。これも事前に決めていたことだ。全く面識のない桜子よりは、一度でも会ったことのある晴明の方が、いくらか警戒されないだろう。

 だが、芽吹は怪訝な目を二人に向けている。人気Vtuberの中の人という特性上、他の人よりも警戒心は強いのかもしれない。

「僕たち、芽吹先輩に用があって来たんです」

「ごめん。俺ちょっと急いでるから」

 素っ気ない返事だった。顔を見ただけで晴明たちの目的を察したのか、芽吹は足早に立ち去ろうとする。

 追いすがる二人。「少しだけ、一つだけでもいいんです」と晴明は頼み込むが、芽吹の態度はつれない。

 複数の視線が自分たちに向けられている。晴明はこんなことで目立ちたくはないが、今は四の五の言っている場合ではない。

 もうすぐ昇降口に差し掛かろうかというところで、桜子が芽吹の腕をぐっとつかんだ。実力行使だ。芽吹は不満げな表情をしていたけれど、桜子の手を振り払ってはいない。

 もしかしたら芽吹は、離れていく自分を食い止めてほしかったのかもしれないと、晴明は思った。

 桜子はあらかじめ開けていたスクールバッグから、スマートフォンを取り出し、ケースを芽吹に突きつけた。印籠でも見せられたように、芽吹は口を閉ざしてしまう。

 ここで「芽吹先輩も目立ちたくはないですよね」と脅しをかけることは簡単だ。

 だけれど、二人はそうはしなかった。芽吹が戻ってきた先を考えると、事を荒立てても良いことはない。

 芽吹が何も言わずに、端の方へと歩いていくので、二人もそれに続いた。



続く


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(37)

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