スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(115)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(114)
それから二日間、晴明が渡と成に会うことはなかった。二人とも学校には来ているようだったが、わざわざ会いに行くことは、傷をほじくり返すようで晴明には気が引けた。
中央図書館にも行ってみたが、そこにも渡や成の姿はなく、晴明は助かったような、会いたかったような微妙な心地を抱く。
それでも芽吹が言う限りでは、二人の関係に重大な変化はないらしく、自分の気にしすぎだと晴明は思い直していた。
試験勉強を続けていると平日はあっという間に過ぎ、土曜日になった。
晴明は、軽く古文や英単語のおさらいをしてから、昼ご飯の前に千葉公園に向かった。身体を動かして体力を維持したかったし、千葉公園に行けば、渡に会えるかもしれない。渡は休日の度に、千葉公園を走っている。時間帯は分からないが、会える確率は低くないだろう。
晴明が千葉公園に到着したとき、そこに渡の姿はなかった。綿打池の周りを走ってみても、ディズニーのキャラクターがあしらわれたTシャツを着た渡の姿は、どこにも見られなかった。
休憩も挟みつつ、晴明は正午まで千葉公園を走り続けた。涼しくなってきた風を裂くのはなかなかに気持ちよかったが、もう一つの目的が果たされないと、晴明の心には少しずつ穴が開き始める。汗をかいて身体は火照っているのに、心はどこか冷えていた。
正午を告げるチャイムが鳴ったとき、晴明は走るのをやめた。勉強もあるし、これ以上渡を待つことはできないだろう。
駅とは反対の出口にあるベンチで、晴明はしばし身体を休める。この日はよく晴れていて、人出はなかなかに多かった。
無邪気に笑っている人たちを見ると、勝手に気を揉んでいる自分が場違いに思えてきて、晴明はベンチを立った。汗が肌を伝う感触が冷たかった。
千葉公園駅に到着して、晴明は階段を上り、改札へと向かう。次の電車はあと二分で到着するらしい。
だが、改札を目の当たりにして、晴明は立ち止まった。渡が出てきたからだ。オズワルドがひしめているTシャツは、初めて千葉公園で会ったときと同じものだ。
渡がぎこちなく笑った。晴明も同じようにして笑う。二人は接着剤で留め置かれたように動けず、ここは自分から話しかける場面だと晴明は直感した。
「こ、こんにちは、渡先輩。これからランニングですか?」
「まあな。そういう似鳥はもう帰り? よかったら一緒に走るか?」
「いや、僕はもういいです。一一時から走ってたので。これ以上走ると、明日の出番のときに支障が出そうです」
「そうか」と言って、渡はゆっくりと再び足を動かした。晴明から視線を逸らし、階段を下ろうとする。
だけれど、晴明は「ちょっと待ってください」と渡を呼び止めていた。
立ち止まる二人の後ろで、電車の到着を知らせるアナウンスが鳴る。反対側の階段から男性が一人駆けあがってきて、ホームへと向かっていた。
「どうしたんだよ、似鳥。電車乗らなくていいのか?」
「大丈夫です。次のを待てば。……渡先輩、ちょっと訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」
渡は返事らしい返事をしなかった。その双眸で晴明を探っている。
晴明は身体に力をこめた。そうでもしないと訊けないようなことだった。
「渡先輩、水曜日に南風原先輩と話しましたよね」
「ああ。お前らが見ている前でな」
「あれからどうですか? 南風原先輩とは会ったりしてますか?」
「いや、一度も会ってない」
たったそれだけの言葉を口にするのに、渡は少なくない時間をかけていた。
電車が入線する音がして、駅の空気は慌ただしくなる。その中で微動だにしない自分たちは、ひどく浮いていると晴明には思えた。
「どうして会ってないんですか?」
「別に会う理由がないからだけど。今はお互いテスト勉強に忙しいしな」
「ラインでも話してない感じですか?」
「まあ特に話すこともないしな」
「渡先輩、南風原先輩と本当に仲直りしたんですよね……?」
「ああ、したよ。でも仲直りしたからって、毎日会う必要はないだろ」
渡の口調は晴明だけでなく、今ここにいない成をも突き放していた。まだ心の底では、成に対する嫉妬を捨てられていないようで、芽吹が言っていたことが信憑性を帯びてくる。
見上げる渡の視線はもう行っていいか? と訴えかけていたけれど、晴明は首を縦に振らなかった。まだ何も解決していない。
「渡先輩、自分に嘘ついてるわけじゃないですよね?」
「嘘ついてるって?」
「まだ南風原先輩に対して思うところがあるのに、部のことを優先して、無理に仲直りしてたりとか……」
改札から何人かの人が出てきて、千葉公園へと向かっていく。い怪訝な目を向けられても、晴明は物怖じしない。じっと渡を見つめる。
渡はまた小さく笑ってみせた。本心を隠しきれていない人間の、不器用な笑みだった。
「それはねぇよ。俺は南風原のことをちゃんと認めてるし、尊敬もしてる。後ろめたい気持ちなんて一つもねぇよ」
笑いながら言った渡が素直になれていない気がして、晴明は質問を重ねてしまう。
「そうですか? 確か渡先輩の叔父さんのアパレルのオープンイベント、今日でしたよね。着ぐるみで参加できなくて、残念に思ってたりは……」
「いや、それはもう済んだ話だから。幸い盛況みたいだぞ。着ぐるみが登場しなくてもよかったかもな」
そう言う渡の姿が痛々しく見えて、晴明はそれ以上何かを聞けなかった。煮え切らない笑みを浮かべる。
渡はそれを会話が終了した合図と受け取ったのか、「じゃあ、また明日な」と、晴明のもとから去っていった。
「はい、また明日」と返事はしたものの、晴明は微妙に不安になる。無理に仲良く振る舞おうとするかもしれない、渡と南風原の姿を考えると、胸が痛むような心地にもなる。
階段を下りていく渡を、晴明は無言で眺めた。小さな背中に、かすかな迷いが見てとれた。
晴明たちがスタジアムに着いたときには、既に試合の準備はあらかた完了していて、決戦への雰囲気を高めていた。大型ビジョンの下には、手書きで「SJリーグ一部昇格へ 全てを懸けて掴み取れ」と書かれた横断幕が掲げられ、この試合にかけるサポーターの思いを強く表している。
ハニファンド千葉は前節、アウェイで群馬に〇対一で敗れた。順位も六位に後退し、昇格をかけたプレーオフ圏内ギリギリの瀬戸際に立っている。
横断幕を一目見ると、晴明は身が引き締まった。ブルーシートの上に並べられたライリスたちの着ぐるみが、人前に立つ覚悟はあるのかと問いかける。
晴明はぎゅっと拳を握った。自分にできることは多くなくても、スタジアムを盛り上げるために精一杯の働きをしようと、決意を新たにした。
ライリスたちの着ぐるみの横には、イヌワシを模したフォルテくんの着ぐるみと、ジアックの黒い衣装も並べられていた。頭が大きくつぶらな瞳をしたフォルテくんとは対照的に、ジアックの衣装はマントについたファーと、赤黒い仮面がどことなく禍々しさを感じさせる。第二会議室には既に三人の男性が座っていて、彼らがスーツアクター及びアテンドだと晴明にはすぐに分かる。
筒井が会議室を後にすると、晴明たちは迷わず、その三人のもとへと向かっていった。晴明たちが来るなり、彼らも立ち上がっていた。
「はじめまして。私立上総台高校アクター部です。ライリス、ピオニン、カァイブに入らせていただきます。今日一日よろしくお願いします」
五十鈴に続き、全員が三人に頭を下げる。揃った声に三人はかすかに驚いたように笑ってみせた。「こちらこそよろしくお願いします」と、物腰柔らかに言ってくれる。
対等な相手として見ていてくれることが、晴明には嬉しかった。
晴明たち全員が簡単に自己紹介をした後、「次は僕たちの番ですね」と言ったのは、フォルティッシモ金沢の青いピステスーツを着た男性だった。少し丸みを帯びた体型に、彼がアテンドだろうと晴明は直感する。
彼は隣の小柄な男性へと目線を送った。晴明たちの父親どころか、祖父にさえ見える年代の男性はにこやかに微笑む。
「今日、フォルテくんに入らせていただく相良昌志(さがらまさし)です。フォルティッシモ金沢は現在降格圏間際にまで沈んでいて、どちらにとっても今日は負けられないですが、それはピッチの上での話です。一緒に両チームのサポータがスタジアムに来てよかったと思える雰囲気を作っていきましょう。よろしくお願いします」
この場にいる誰よりも年上なのに、相良は丁寧に挨拶をしていた。目元の小さな皴に晴明は安心感を覚える。きっと交流も円滑に進むだろう。
晴明たちが声を揃えて返事をすると、三人の真ん中にいた男性が、「次は俺の番ですね」と言う。相良よりもやや大柄で、幅の広いいかり肩が印象的だ。
「同じく、今日ジアックに入る三吉弥人(みよしやひと)です。知ってると思うけど、ジアックは対戦相手を応援するというキャラクターなので、どんどんライリスたちにも絡んでいきたいと思います。なので敬遠せずに進んで相手をしてください。共にファンやサポーターの記憶に残るような一日にしましょう。よろしくお願いします」
後ろで手を組んだ三吉は、大きめの声で挨拶をした。胸を張っていて、体育会系で育ってきたのだろう。竹を割ったような清々しい表情には、誠実さが漲っている。
悪役を演じるには好漢すぎる気もしたが、共演相手としては非の打ち所がないだろうと晴明は感じた。
晴明たちが返事をすると、ピステスーツの男性は一つ咳ばらいをして、晴明たちに今一度向き直った。人のよさを凝縮したような奥二重の目が、ひっそりと細められる。
「自分はフォルテくんのアテンドの久原翼(くはらつばさ)です。アクター部の皆さんの噂は聞いています。今日は皆さんに会えるのを楽しみにしていました。素晴らしい一日にするためにも、この後の打ち合わせから協力して考えていきましょう。改めて、今日はよろしくお願いします」
久原は誰よりも深く頭を下げた。実直な態度に、晴明は何としても応えなければと感じる。
心なしか、挨拶を返すときも頭はより深く下がった。顔を上げると、えびす顔をしている久原に晴明の緊張は少しだけ解れた。
「あの、私たちのこと知っててくれてたんですか?」
それぞれの自己紹介が終わった後に、不思議そうに尋ねたのは成だった。まだ筒井は戻ってくる気配がなく、場を持たせなければと感じたのかもしれない。
晴明としても訊きたかった疑問に、三人は小さく笑ってみせた。馬鹿にしたような笑い方ではなかった。
「ええ、他のアクターさんと話していると、よく話題に上ってきますよ。千葉の方にスーツアクターの部活があるって。私たちももう数回聞いてますから、この界隈では知らない人の方が少ないんじゃないですかね」
何気なく相良は言っていたけれど、晴明には収まっていた緊張が、再び喉の辺りまでせり上がってくる。まさか自分たちの存在がそれほど知られていたとは。期待に応えなければと思うほど、手に汗が滲んでいくようだ。
それなのに成は、「そうなんですか。知っていただいていて光栄です」とかしこまっていた。大人が求める高校生像を反映したような成の振る舞いに、三人は引き続き頬を緩ませている。
「いえいえ、まだ若いのに人前に出ていて素晴らしいですよ。南風原さんだったっけ? 君が部長さんなの?」
そう尋ねた三吉に悪気はなかったのだろう。実際、晴明たちは自己紹介でも今日の役割を言うだけだったから、積極的に話しかけてくる成を、三吉が部長とみなすのも当然と言えた。
だけれど、ほんの一瞬だけ空気が凍りつく。まだ渡と成の関係に疑問符がつく状況では、安易に触れてほしくないと晴明は感じる。
横目で見た成は、若干顔を引きつらせていたものの、すぐに真顔に戻っていた。
「……いえ、私は副部長です。部長はこっちの渡です」
手で指し示された渡は軽く頭を下げた。口元が困っているのが、横顔でも晴明には分かった。
「あっ、そうなんですか。なんかすいません」
「いえ、大丈夫ですよ。やっぱりこっちの南風原の方が背も高いし、部長に見えますよね。それは僕も分かってますから」
「いや、卑屈にならなくていいと思いますよ。私も中学のサッカー部で部長やってましたけど、そうは見えないって言われ続けてきたんで。気にすることないですよ」
俯きかけた渡を、とっさに久原が励ます。話の信憑性はともかく、その助言は渡の胸まで届いたらしい。「そうですね。ありがとうございます」と、顔を上げている。でも、その横顔はまだショックを引きずっているように、晴明には思われた。
会話がいったん止まった瞬間、ドアが開いて筒井が入ってくる。手にしているプリントは今日の流れを記したものだろう。
晴明たちはすぐに筒井のもとに向かった。今日最初の出番までは、あと三〇分ほどに迫っていた。
(続く)
次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(116)
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